決戦、の9
くがねと風彦が走っているのには相応の理由があった。
待ち合わせ場所である公園までの道のりを、それが見えるまでは実に丹念に、クールガイの姿を尋ね歩いていた。それこそ猫が好きで歩きそうな路地や、狸の通るようなけもの道までも、だ。
天に駆け上がる細い光に、最初に反応したのは風彦だった。
「くがね!あれを」
家込の合間に数秒、狼煙のようにゆっくりと細い光が上がった。花火の尺玉が爆発前に見せる光にも似たそれは、くがねが風彦の言葉で見届けるのとほぼ同時に消えた。
「公園の方ね」
二人が公園に入ったのはその数分後だった。夜目の効く風彦が黒づくめの男二人の姿を捉え、西側から回り込むように駆け出す。くがねは公園の街路灯の先に見えたホームレスたちの方へと走り、はからずも二手に分かれる格好となった。
風彦は、西側の橋を渡って男たちの姿を見失わないように追う。男たちは膝まで濡れた服を気にするように時折ぴょんぴょんと跳ねながら、それでも逃げる足を止めない。やがて先行していたもう一人の男の姿を認めると、合流の動きを見せる。芝生が石畳へと変わった瞬間、風彦の顔色が、さっと変わる。
人間に限らず、生きているものには生きてきた経緯において独特のクセが生まれる。例えば走り方、移動の仕方、ちょっとした時にするなにげない仕草、数えてしまえばさまざまだが、それらは、染みついたのち、本人はそうと気づかないままクセとして残る。彼らのそれは、風彦がこれまで一時たりとも忘れることができなかった記憶そのままのものだった。
あの時の記憶が鮮明に甦ってくる。
ざんざん降りの雨の中。
戦意を失ったまばらな足運び、底の厚い皮のブーツ。石畳を独特のリズムで刻むその音は、かつて降りしきる雨の中でヨーコを置いて逃げ去り、自分の真横頭上を無遠慮に駆け抜けたあの音だ。
逃げゆく男たちの先にはあの時と同じ黒い車が見えた。
風彦の全身が総毛立つ。と、同時に目の奥が熱く滾ってくるのがわかった。冷熱互い反する感情が小さな体になだれ込み、同期する。
『バスカヴィル家の犬』の、燃える犬のように、鮮やかな緑が炎のごとくゆらめいて体を覆っていくのが風彦にもわかった。
数年経た記憶が自分の中で都合良く書き換えられていくロジックを、風彦はよく理解している。
誤解が、あって。
目の前のこいつらが、あの時ヨーコを襲った連中でなかったとしたら。
――否。
あの時と同じ音、同じ呼吸音、同じ臭いがした。
彼らは、あの時から二年四カ月と二日と三時間四十三分、なにも変わらず、なにも省みることなく刻を刻んできたのか。
あの降りしきる雨の中、自分とは違う小さい命をを護って消えた同胞の命の重さについて、彼らにはなにも思うところはなかったのだろうか。
人間のすべてがクズであるとは思っていない。しかし、あやまちをあやまちと感じない心根を持ったまま生きている連中は、それは、果たして、生を繋げていくに能う存在なのだろうか。
断じて否。
断じて、否な筈だ。
自分の毛色が時折緑色に見える理由を私は知らない。身体的に強くなるわけでもなく、感覚が鋭敏になるでもない。色だけがただ無為に緑色に変化する。
この復讐に、この力が及ぼす影響は何なのか。いったいどんな役を果たすというのか。
せめて念じる。
牙よ伸びろ。爪よ、鋼のごとく反り返ってやつらの喉を裂ききれ。
吹く風よりも疾く駆けて、敵の心臓を打ち抜く弾丸に変われ。
されど必死で追う背中は遠く、届かない。
車が無情にも走り去る。
涙が止まらない。 感情が絶望に変わっていくにつれ、体温が下がっていくのを感じる。
灰色の、惨めななりを、駆け寄るくがねが強く抱きしめたのを感じた。
「お前が無事でよかった」と、くがねは言った。
ヨーコの仇を知っているのは私だけだ。
くがねに、いったい私は、どう伝えればいいのか、
『ヨーコを、殺したのは、あいつらだ』
言葉には、多分なったはずだ。




