嵐、の5~猫~
風彦にビールを勧めるが首を横に振られた。階下で同居人とくがねが洗い物をしている間、特にすることもなかった私を追って、風彦が部屋に来ていた。
なにか観るか?との問いかけに、風彦はまたも首を横に振る。
緑色をした猫。こちらを見据える黄金色の瞳は落ち着いていて瞬きひとつしない。
「変わった猫だなお前」
「まさか君にそれを言われるとは」
静かな時間があった。
そういえばやつといる時は決まってテレビか音楽が部屋に流れている。次々と耳を過ぎていく音や網膜から入り込んでくる光は、絶え間なく情報をくれるが、時にそれが煩わしかったこともまたあった。
今聞こえてくる音は、階下でやつとくがねがしている『家族の在り方』についての交錯で、やつがやつなりにくがねに対して触れようと試みている戯事にも似た戯言だけだ。本当にやつは人心の扱いがなっていない。だが、その朴訥さは。
「時には昔の話をしようか」
「なんだい、いきなり」風彦が口元を歪めた。思い当たる節はないよ、と続ける。
「フェアじゃないと、思っているのか?」
そうかもしれない、と風彦。
『自分のことを語るのは相手についてよく見極めができた後』
多分にそんなことを考えていて、それはおそらく合っている。
溜息が出る。
野球の試合でお互いに後攻めを申告しているようなものだ。試合前から試合にならない。
風彦は、もっと追い詰められなければ自分を出さない。だがそれについては、私もまた然りだ。
「風彦、アニメを見ろ。人生の大事なことは、大抵アニメが教えてくれる」
「なんだよ、それ。アニメなんて人間の作り事じゃないか。映画だってそうだ」
「映画か。アニメに趣向を見出せないなら映画も悪くない。お勧めは、これは月並みだが、洋画の『ショーシャンクの空に』だ。あと個人的には『真夜中のカーボーイ』も捨てがたい」
「日本語吹き替え版ならいいけど、字幕だと僕には読めない」
「内容など想像すればいい。吹き替えで加工されたものを見るくらいなら、なにを言ってるのかわからなくてもやつらの言葉で感じるべきだ。人の顔色を見ながら理解していくのは私ら猫の得意技だろう?」
それは、まあ違いない、と風彦も同意する。
「ちなみに、アニメ鬼滅の刃がアメリカで映画で公開されたときのタイトルを知ってるか?」
「いや?」鬼滅の刃自体を知らなそうな風彦のリアクション。しかしあえて続ける。
「デーモンスレイヤーだ」
「別物だな。僕でもわかる」
「こんなのもある。アメリカの映画『フォレスト・ガンプ』。日本に来たら『フォレスト・ガンプ~一期一会~』」
「余計なものが増えたな?」
私は答えるかわりに頷いた。
もっとあるぞ、と目で訴える。
「わかった。悪かった。時には昔の話をしよう、僕の負けだ」緑色の猫は小さく息を吐いた。これ以上の問答がキル・タイムになりこそすれ、互いのためにならない、風彦はそう悟ったようだ。
彼は賢い。そして同居人も女子を口説くのならこれくらいはやってみせるべきなのだ。




