予期せぬ来訪者、の2
「突然のことで、すまない」
剣くがねが頭を下げたのは、二階の僕の部屋に入った次の瞬間だった。呆気にはとられたもののそれほどに驚かなかったのは、猫に聞いていた下情報があったためで、それでも正直、初めて猫に会った時よりも心臓が鳴ったのは、やはりくがねを異性と認識してしまった自分のせいだ。
これまで部屋に異性を招いたことは一度もない。
親もさぞ吃驚したことだろう。
とりあえず一階から持ってきた麦茶を注ぎいでくがねに勧め、自分でも口に含む。
「勝手をして、すまなかった」猫が頭を下げた。
いいさ、と首を振る。驚きはしたが、おいそれと考えなしな行動をとるようなやつでないことくらいはわかっているつもりだ。
「こいつから、一度だけ話を聞いてます。なんでも猫の言葉がわかるとか」
「にゃあ」と緑色の猫がくがねのかわりに短く鳴いた。利発そうな視線がこちらに向いている。
「『簡単な言葉なら大抵。難しい言葉なら3割。平均しておよそ半分くらいはわかる』、と言っている。ちなみにこいつは風彦という」猫が通訳してくれた。
ずいぶんと慣れたつもりではいたが、同居人以外の猫の言葉はさっぱりだ。
「驚いたな。こいつやっぱり喋るぞ。さっき玄関で聞こえたのはこいつが喋った人語だったのか」目を丸くしたのはくがねだ。
「悪く思わないでもらおう。二度手間を避けただけのことだ」フン、と猫は鼻を鳴らした。
確かに猫しかいないところで人語を話す必要性は皆無だ。
「僕の言葉は大丈夫かな。そちらの猫、風彦さんは」
「にゃあ」と風彦が頷くのが見えた。
「風彦でいいと言っている。聞くだけなら問題ない。通訳なら私がしよう」
「つまり、くがねさんは、『猫専用の退治屋』ということなんですか?」
「違う。『猫専門』の、だ」
「津々浦々、いろんなとこへ行った。ネットで書き込みがあれば北へも行くし、南へも行く。猫が虐待されているならそれこそどこへでも」言葉がすでに怪しい。
酒を飲ませた自分も悪かったが、弱いなら弱いと事前に言ってほしかった。くがねはビール数口で微妙に正体を失いつつあった。
こうなった女性の扱いをこれまで避けてきたことが災いして、正直どうしていいかわからない。とりあえず、くたっとして軽く目を閉じるくがねの頭に座布団をあてがい、そっと寝かせる。聞きたいことは多かったが、今はとても無理そうだ。
猫にも助けを求めるが、自分の飲むはずだったビールをくがねに渡したことが面白くなかったらしく、さっきからまともに口をきいてくれない。
風彦を見ると、彼は呆れたように目を細めて、小さく「にゃあ」と言うだけだ。
それにしても、と思う。これまでいろいろな仕事をハローワークで探してきたが、「猫専門の退治屋」なんて職業はついぞ見つからなかった。変わったところで「占い師」なんてものもあったが、インパクトは比べものにならない。
寝かせた際に気がついた。黒基調の服でわかりにくくはあったが、よく見たらけっこう服は汚れているし、ところどころ擦りきれや、糸のほつれも目立つ。きめの細かい白い肌には、あちこちに擦り傷の治りかけもあった。
楽な仕事でないことは、容易に想像できた。
しかし、どうしてか、彼女からはほとんどネガティブさを感じない。
仕事への愛着や楽しさが、ありふれた負を上回っているとでもいうのだろうか。
それはとても羨ましいことだ。
その選択を、きっと僕はしない。
リスクの回避とか、経験則から学んだ自己防衛といった、見えない言い訳をつけて、最終的に選ばない選択をするだろう。
先の見えない未来に踏み出す勇気を僕は今、持ちあわせていない。
だからこそ、彼女のした選択に「後悔がない」と彼女が笑顔で口にするのなら、その選択は僕にとって、とても眩いものに映ることだろう。
「『仕事って何なんだろう』なんて、きっと彼女は考えもしないんだろうね」
僕の言葉をこの賢明に見える猫がどう捉えたのかは知らない。ただ、風彦は少し口の端っこをつり上げて笑ったようだった。
「にゃあ」とその緑色の猫は透きとおる声で鳴いた。
おかげさまをもちましてPV1000を突破いたしました。これもひとえに皆様のご愛読の賜物と存じます。
初投稿からもうすぐ1か月。次はユニーク500をとりあえず目指したいなと。今後ともよろしくお願いいたします。




