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オタクな僕と奇妙な猫  作者: 大原 藍
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今そこにある危機~僕~の4

 剣桃子への謝罪の機会は意外とあっさり訪れた。

 憂鬱な月曜のハローワークでのおつとめを済ませたあと外に出ると、さっきまで薄かった灰色の雲が急に濃く色を変えるや、やにわに雨をぱらつかせてきた。

 なにも今日でなくたっていいのに。

 失業者に対して給付される幾許かの給付金の手続きのために国が用意している段取りには縛りが多く、今日を逃せば一ヶ月手続きを先送りされるなんてことはざらだ。まさか今日は雨が降りそうなので後日に手続きをお願いしますとは言えないし、面倒ごとを先送りにするのはそもそも自分の性分に合わなかった。その結果がこれだ。

 「ついてない」うんざりさせられた後に追い討ちをかける雨に、溜息が出た。

 「どうしたんですか?溜息なんかついて。幸せが高速移動しますよ?」

 ぎょっとした。おそるおそる声の方に顔を向けると、そこには剣桃子がいた。また溜息が出た。知り合いに会いたくない施設のアンケートをとったとしたら、きっとかなり上位にハローワークは来るんじゃないだろうか。

 剣桃子は最初に会った時と同じような、地味目の格好をしていた。今日の曇天に服装まで合わせたみたいだ。

 「求職中だったから、あんな平日の日中に公園なんかにいたんですね。家に居づらかったりするんです?」天気の良し悪しにかかわらず彼女の言葉は健在だ。顔見知りということで少し気を許しているのか、言葉の選択に遠慮や配慮が微塵も感じられない。

 誰かこのの口を塞いでくれ。謝罪するつもりだった気分が、がみるみる小さくなっていく。

 「君は、どうして、ここに?」こんなところに、といいかけて、呑み込む。

 ああ、私は求人の申し込みに、剣桃子はカラっと答えた。

 「人がね、なかなか居つかないんですよ私の職場。特に動物好きな人なんかは思ったより早く辞めちゃうんです。理由はわかってるんですけどね」

 彼女の言葉がなにを意味しているのかは、全容を正さずとも僕にもおおよそ推測できた。剣桃子と佐藤次郎の勤務する動物愛護センターは、動物を愛護するだけのセンターでないことは以前聞いた。

 熱意と目標を持って就職はしたものの、仕事の内容には自分自身が許容できることとそうでないことがあり、辞めた人たちはそれが「許容できなかった」のだろう。

 「仕方ないよ。清濁併せ呑もうとしても、溢れることは、ままある」

 自分自身に言い聞かせるように呟く。これまでだって、仕事をするとはそういうものだとずっと言い聞かせてきた。そうして、溢れたのが、自分だ。


 「自分が好きな仕事を全うしたんだって胸を張って言って死ねる人って、この世界に何人くらいいるんでしょうね」

 『死ねる人』か。彼女の言は極端なものであったが、いかにも彼女らしい言いぶりで、とても彼女らしい質問だとも思えた。「仕事について好きだという気持ち」を真に正しく集計したいと考えるなら、死ぬ直前に訊くよりほか手段はない。

 不覚にも、心から笑いがこぼれた。

 「どうして今、笑ったんですか?」剣桃子は不思議そうに首を傾げる。

 「いや、君なら今まさに死にそうな人たちを片っ端からあたって、『あなた、今まで生きてきて、自分の仕事全うしましたか?死ぬ前に恐縮ですが、お仕事お好きでした?』って聞いて回りそうだなって」

 「失礼にもほどがあります。私はそこまでデリカシーを欠如していませんが!」

 本当だろうか。


 とにかくこの日、僕は剣桃子にするはずだった謝罪の機会を一時先送りしてしまった。




最近、固定でご愛読いただけている方がいらっしゃるようで本当に嬉しいです。できれば御感想など賜れましたらなおのこと嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。

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