今そこにある危機~猫~の5
同居人の就職は未だ陽の目を見ない。先日感触が良かったと言っていた面接先からは、またしても「お祈り」の郵便が届いていた。
やつはたいそう落胆していたが、私からすれば仕方がないような気もしていた。
近くで見ているから思うことなのだろうが、なんというかパッと見、やつからは魅力を感じないのだ。そんなことを本人に面と向かっては言えないから黙っているが、頃合いを伺っていずれは言ってやるべきことなのかもしれない。
悪いやつではないのだ。そこは保証する。
見た目が野暮ったいからなのか、女の影もまるで感じない。
私からすればそれほど劣る素材には見えないが、人間種から見たやつは出来損ないなのだろうか?
そこをいくと、猫という立場は重宝する。多少不細工でも愛想を良くしてさえいれば、警戒されたり敬遠もあまりされることはない。
そのうえ、清潔であればあるほど相手への印象はグッと上がる。
「トリートメントをケチるんじゃない」
はいはい。面倒くさげな生返事。
ワンプッシュ半。多すぎると嫌味で少ないと不潔。絶妙な量分だ。やつが使っているダメージケア専用のリンスの良し悪しはともかく、洗った後、香る匂いは良い。
洗面器に湯を張らせ、湯船に浮かべて揺蕩う。
至高だ。
ハードストレイキャッツの女性陣との会話ではラックススーパーリッチがいいとかツバキの方が良いとか、そんな話題で盛り上がる。
男性陣(去勢含む)とは全く意見が合わないが、野生を肩書きに生きている心情を汲めば、やむなしといったところか。
私は今、湊の膝の上にいる。
「キミやっぱりいい匂いするねえ」
そうだろうとも。毎日風呂に入り、風呂上がりにはしっかりとドライヤーでブロー、さらに櫛で整えさせているからな。抜け毛対策もバッチリだ。ゼン爺のところも居心地は良かったが衛生的とは言い難かった。そういう意味でもやつには感謝しなければなるまい。
『やつの就職がうまくいきますように』とりあえず今日も祈っておく。
「あー可愛い。ケンジが犬派じゃなければ飼ってあげたいくらいだよ」
湊はフリーターで森本の元カノだ。アパートの三○一にあまり感じの良くない男と暮らしている。余計なお世話だろうが、森本といい金髪で色黒の今の彼氏といい、男運がないのか単に男の趣味が悪いのか。
ともかく『猫分が足りない』とかで最近定期的に会ってはモフらせてやっている。
アパートの部屋はいささか煙草の臭いがついてはいるが、比較的綺麗に整っている。湊はあまり料理をしないのか、部屋の隅に無造作に置かれた透明のゴミ袋には惣菜のトレイが多く見えた。ケンジのものとみられる荷物が部屋の反対側の隅に見えた。湊とは、漂ってくる匂いが違うからすぐわかった。鼻に鋭く刺さる薬品の臭い。パーマ液とかその類だろうか。そういえば御母堂が、ケンジの職業が美容師だと言っていた。
美容師といえば鋏やら剃刀やらを使うと聞く。
スウィーニー・トッドか。フンと鼻を鳴らす。
「どうしたどうした?」湊が顔を覗き込む。気にするな、私の癖のようなものだ。同居人にもよく怒られる。
目を閉じ、喉を鳴らす。湊からは甘酸っぱい匂いがする。触り心地がやわらかいのは猫も人間種も同じというところか。
外で車の音がした。
「いけない!ケンジが帰ってきた。ごめん猫ちゃん、今日はもう帰って」
窓から急かされて外に出る。やれやれ、まるで間男の扱いだ。
幸せな時間は続かないものだ。
裏口から壁沿いに家を回る。ケンジが荒っぽく玄関を開けて入っていく姿が目に入った。この暑いのにソフトレザーを着込んで、明らかにつけすぎた香水の香りを周囲に漂わせている。
安さのわかるイヤな臭いだ。
黒のスモークを貼ったワンボックス。
87-86(ヤナヤロー)。困ったことに車のナンバーさえ気に入らない。見るんじゃなかったと激しく後悔する。
雨の合間のアスファルトはまだ湿っていたが、今日は気温が上がらないらしい。濡れていない場所を選んで家へと向かう。公園に行くのはやめた。風に雨の気配がしたからだ。
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