今そこにある危機~猫~の3
「セニョリィ~タ。いつもは網を持ってきてまでこの俺様を追いかけてくるのに、今日はどうしたんだい?いつものように熱い追いかけっこをしようじゃあ~ないか」銀魂に出てくる若本規夫のようなノリで飛び出してきたタイガーは、『くがね』と名乗る目の前の女を誰かと勘違いしているようだった。くがねと風彦を交互に見やって鼻息を荒げている。
「シャーッ!(この泥棒猫がァ~!)」
威嚇してくるタイガーに、風彦は瞬きひとつしない。まったく我関せずという顔だ。
「タイガー、よせ」
誰と勘違いしているのかはすぐにわかったが、私はどちらかといえば苛立っていた。ここまでのわずかで、タイガーがハードストレイキャッツの集会を日中おこなうことにこだわった理由がおよそ見えたからだ。
「そいつは剣桃子じゃあない」
紐解けてしまえば呆れる話だ。ヒントはいくつかあった。実際この公園は動物愛護センターの職員にマークされていた。キーマンのようにタイガーをはじめとしたハードストレイキャッツのメンバーを去勢しようと剣桃子や佐藤次郎は狙っていた。猫じゃらしでこちらの興味をひいたり、追いかけっこをすることなどは、言うなれば彼女たちの仕事だ。タイガーが考えているような『遊び』ではないのだ。当然、タイガーに気があってちょっかいをかけているわけでもない。
一連の会話をどれだけ理解していたのか、くがねは言葉は発さず、チッと舌打ちだけをした。次の瞬間には瞬きする間も置かずおもむろに森本の方へ歩み寄ると、襟元を力まかせにねじりあげた。
「猫たちに何かあったらここに連絡しろ。犬は専門外だ。いいな」
アンコウの吊るし切りのように持ち上げられた後、森本は一枚の名刺を渡され、芝生に転がされた。森本の顔からはいっさいの生気が損なわれていて、吸血鬼に限界まで血を吸われた抜け殻みたいに縮こまっている。はい、と答えた声に覇気はなく、枯れ葉が一枚アスファルトに落ちた時の音だけが微かに鳴った。
「騒がせたな」と風彦が振り向きざまに言った。このまま去ろうというのだろう。理に適っていたし、賢明な判断だ。唸ってこそいたがタイガーの耳はすでに寝ていて、髭もだいぶ後ろに寄っている。尻尾にいたっては丸めた状態で態勢もジリ貧そのものだ。このまま仮に戦ったところで敗北は火を見るよりも明らかだ。静観することが現状では正しい判断だ。
そもそも戦力差うんぬん以前に、この戦いには大義というものが欠落している。
リーダーの享楽主義にメンバーがつきあう義理なんてものはないのだ。フン、と鼻を鳴らす。
しかし早々に諦めの色を見せたことが風彦には意外に映ったようだった。
「大人しく帰そうとするとは意外だったな。お前には猫らしい縄張り意識とかはないのか?」
チームリーダーではなく、風彦は視線を私にのみ向けてそう言い放った。
「縄張り争いならば戦うこともあるかもしれん。だがオスとメスの駆け引きにまで前足突っ込む主義はない」これはタイガーに対しての皮肉だ。
「緑の猫は、いっそ君の方が相応しいんじゃないか?」
「どういう意味だ?」
「手塚治虫の『緑の猫』さ。得体の知れないという意味では、むしろ君は僕以上だ」
思わず首を傾げた。同居人のコレクションの中にあった手塚治虫は『ブラックジャック』と『どろろ』しかなかった気がする。しかもブラックジャックは本木雅弘の実写版だった。
緑の猫は知らない。目の前の胡散臭い色をして、きな臭い雰囲気を放つ猫以外には。




