僕の、ある夏の一日、の5
「この、スペース☆ダンディとかいう作品だが」
猫が揚げ鶏をほおばりながら真剣な目をテレビ画面に向けている。宇宙をテーマにしたアニメが流れていて、主人公のリーゼント頭のダンディーが、口癖の「じゃんよ!」を叫んでいた。
「揚げ鶏な、皮目を下にして食べると美味いぞ」
「真実か」
「まことまこと」
ほどよい味付けの薄い衣の下にある鶏を食べる時、決まって僕はそうしている。そんなに差があるか?とよく訊かれるが、こればかりはそうと決めてかかったうえで食べてみなければわからないことだ。
「最高じゃんよ!」と猫のリアクション。猫は気に入ったようだ。スペース☆ダンディの口癖が口を吐く。
「東京銘菓ひよこも、僕は底を抜いて餡を食べ、その後中身が空っぽの皮を食べるのが好きだ」
「レクター博士でもあるまいに」同意しかねる、と猫の表情が濁る。
「いっそいくつか食べてひよこの皮で服でも作ってみるか」
「言っておくが私は食わないからな」
めいめいにビールをあおる。鶏の油がじゅわっと流れていくのを感じる。
「で?スペース☆ダンディの話じゃなかったか?」話題を切ったことを悪びれず、猫に返す。
ああ、と猫も思い出したように相槌を打つ。
「これを見ていて思ったのだが、宇宙にはいったいどれほどの生命種がおるのだろうな、と」
アニメを見ていてそんなことを思う人間はそうはいないと思う。まあ、しゃべる猫だから考え方のベクトルが斜めに向いていても驚きはしないが。
「この星の人間は昔、タコみたいな宇宙人が火星に住んでると思ってた。アメリカにはUFOの基地があって、今でも灰色の小さな宇宙人と交流しているらしい。そんなこと僕に訊かれても、正直「知らんがな」としか言えないな。実際、宇宙人なんか見たこともないしな。この星はいまだ鎖国下にあるか、でなきゃよその星からすればとるに足りないほどの辺境なんだろうさ」
どこに片づけたのかもう覚えてさえいないが、昔天体望遠鏡があって夜空を見ていた時期があった。子供でも買える安い望遠鏡だったから、ひどく使いにくくて、見えた星にもそれほどの感動はなかった。
勿論、安いものでもそれなりに流星群もハレー彗星も見ることができたが、あえて望遠鏡など使わなくても、それくらいなら肉眼でも十分楽しめた。流星などは望遠鏡ごしにピントを合わせている間に、たちまちどこかへ流れていってしまうから、そもそも意味をなさなかった。
当然と言えば当然だが、未確認飛行物体なんてものにも、これまでのところお目にかかったことはない。
「それ以前に」
それ以前に、星に思いを馳せる年頃なんて時期はとうに過ぎている。今の自分には現実という地平線さえ胡乱でよく見えていない。自分の足元さえおぼつかないのに「宇宙の話をしよう」なんて南波六太みたいなことを僕には到底言えない。
「僕のあしたはどっちだ?」
猫は首を傾げた。流石に僕のコレクションにも『あしたのジョー』はない。
「朝になったらわかるのではないか?」という猫の言葉は、ある意味もっとものことであるように響いた。
テレビの中から「スペース☆ダンディは宇宙のダンディである」と、よく意味の通らないナレーションが流れてきた。




