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オタクな僕と奇妙な猫  作者: 大原 藍
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猫の恋、の7

 猫が先刻から延々と咀嚼を繰り返して声ひとつあげない。そればかりか、こちらの呼びかけにも一切反応を示さない。長い長い呪文のような咀嚼の後、猫はようやく沈黙を破った。

 「私は、間違っていた。よもや――!ファミチキ、イチチキ以外にもこれほどのものがあったとは!」

 猫が絶叫しているのはセブンイレブンの揚げ鶏についてだ。

 「パリッ!……パリ!じゃないかッ!」

 想像以上の反応にこっちが驚く。そんなに喜んでもらえるなんて、調理された鶏も本望に違いない。あまり勢いよく食べるので、あわてて自分の分を隠す。

 ちょうど揚げたてのものが店頭に出されたのもよかった。「ただいま揚げたてです」と若い女性店員の声に店内の多くの客が足を止めた。いつからこんな掛け声をするようになったのか。ともかく買ってみようという気にさせられるのだから僕もずいぶんとちょろい。焼き鳥なんかは調理後冷ますらしいが今回求めたものは手渡されたその瞬間から強い熱量があった。ビールに熱が移らないように袋を別にもらい、右手と左手で別々に持ったほどだ。

 「食感が、肉の旨味が、とどまることを知らない」かすれ声が得意などこかのバンドの歌詞みたいなことを口ずさむ。

 猫はすでに恍惚としていた。粘膜に吸収されていく脂を名残り惜しそうに指の間々まで丹念に舐め、無意識だろう喉を際限なく鳴らしている。こうしているとそのへんに居るただの猫と大差ないように見える。ビールを差し出すと「脂が残っているから後にする」と答えた。

 テレビでニュースが流れている。

 遠い国で、かれこれ数ヵ月続いている戦争の話題だった。

 知らない言葉で泣き叫ぶ女性、手を引かれ、集団で避難していく歩きはじめたばかりの小さな子供、不衛生な場所に転がされる負傷者たちがスライドのように映されていく。

 どう見ても不幸な光景を、呑気にビールを含み、テレビの小さな箱ごしに眺める。

 パリパリ皮のチキンにかぶりつき、あふれる肉汁を口腔いっぱいに味わって、またビールを含む。

 自然と眉間にしわが寄る。

 心の底に不快感として残るこの感情は、自分がこれまで「こうだ」と教えられてきたことが積み上げてみせる幻なのだろうか。「こうあるべき」とか「こうすべき」といった、断定的でななめ上を向いた言葉は、口をついて迂闊に出せないでいる。

 この間受けた企業面接で「あなたよりずっと年下の正職員が、あきらかに間違いだと思われる指示をあなたに出してきたとして、あなたはその命令を聞いてどうしますか?」と訊かれたことを思い出す。

 あの質問はいったいどう答えたら正解だったのだろう。

 人が大勢死ぬとわかっている戦争の是非にさえ即答できない自分には難解すぎる問題だ。

 猫に頼まれている地元の行方不明のなかまのことでさえ、どこか他人事のように捉えている気がしている。このまま手掛かりがなく時間だけが経過していって、しばらく過ぎたころに「ああ、あの戦争まだやってたんだ」みたいに、過去のものにしてしまわないだろうか。

 ぼうっとしている僕の揚げ鶏を虎視眈々と狙う傍らの猫のように、刹那的にでもくっきりとした輪郭をもった生き方が眩しく見える。

 「どうした、もう酔ったのか?鶏が要らなければ私がもらってやるから遠慮するな。ビールも残しておいてくれていい。そんな辛気臭い顔をしていたらどうせ味などわからんだろ?」

 こんなとき、こいつの考えていることは本当にわからない。真剣な顔で人に頼みごとをしてきたかと思えばこの調子だからだ。

 「お前、心配じゃないのかよ。ミイコのこと」

 必要以上にこいつなりに気を遣っておどけていたのだと、言葉を投げかけた反応で察する。部屋の雰囲気が、凪いだ海のような静けさをもつ。テレビで女性アナウンサーがなにか深刻な口調でニュースを読み上げているが、ただ一つの言葉さえ頭には入ってこない。

 「ミイコさんのことな」

 こちらの言葉を待っていたかのように猫は呟いて、続けた。

 「正直、お前に話したことを後悔している」

 「は?」

 「あの時は、動転していたんだ。らしくもなく、な。打ち明けてみて、気づいた。『ああ、私は、このことを誰かに聞いて欲しかっただけなのだ』と」

 間を置いて、続ける。

 「だってそうだろう?人間が行方不明になったりむごたらしい殺され方をしたら、この国では警察が動いてくれる。だが、わたしたちやほかの動物が同じような目にあっても、その箱は、「今日はこんなことがありました、ひどいのでやめてください」というようなことを、まるで絵画の説明でもするみたいに報道するだけだ。もっと言えば、派手なニュースがなかった時の時間合わせに、『ついでに流されるだけの凡ニュース』の扱いだ。お前だって正直相談されてみたはいいが、実のところ、じゃあなにをどうしたらいいかなどわかっていたか?わかっていなかったろう?――そうお前の顔には書いてある!」

 報道をしゃべり続けるテレビを右手(?)で指して猫はめずらしく声を荒げた。酒の力がそうさせたのかもしれなかったが、それが本心で、同時にかれ自身のふがいなさを嘆く叫びに聞こえた。

 「私だって何もわかっていなかった」

 告白に、どちらからともなく、自然と涙が溢れた。

 人が、そんなに便利になれるわけはない、と僕の背後でガンダムの金髪さんが言った気がした。

 人ひとりの力も、猫一匹の力も、真に適時ででもなければ物事の趨勢を変えることは困難なのだ。ちょうどその場に居合わせたとしたって、うまく事が運ぶかどうかはわからない。


 もうそうなってしまえば、事は『神の味噌汁』だ。


 僕と猫は、へべれけになるまで飲んで、それで互いに抱き合って、自分たちのふがいなさを語りながら、気が済むまで泣いた。それはもう、涙が親の葬式までは出ないだろうというくらいにまで徹底的に。


 次の日、去勢手術を終えたミイコが家に戻ったとの情報がハードストレイキャッツ経由で耳に入り、テレビでは泥沼戦争のニュースの合間に、短く『アニマルキラー逮捕さる』の報が流れた。

 そのことと直接関係があるかどうかは別として、

 「私は別にそれほどミイコが好きだったわけではなかったようだ」と猫がスンとした顔でのたまった。輪廻転生のくだりは、どうやら不発のまま未公表の口説き文句になるみたいだ。


 季節外れの『さかり』が盛夏にあって、それが昨日、あいつの中でちょうど終わったのかもしれなかった。


 

 

 

 

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