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ホスト、肉を焼く  作者: Emily Millet
3/3

ホスト、肉を焼く(3/3)

夜の締めくくりです。

肉を食べ終わって、

朝までの時間をふたりはどう過ごすんでしょうか、、。

バスルームから、ミユの声がする俺の部屋へ向かうと、


「お兄ちゃん、『アキラ』のDVDが見つからない、

画集も漫画版もあるのに、DVDだけがない!」


ほら、やっぱりくだらなかった。

ベッドルームでミユは、ベッド脇の本棚を睨んでいた。

俺の宝物が全部詰まっている本棚だった。

画集、漫画、DVDに、専門学校のテキストと

卒業制作や自主製作した作品が原画含めて収納してある本棚だ。

他にも、使わず終わった画材の箱やスケッチブックの在庫も

本棚にBOXを置いて突っ込んであった。

レンタル落ちを狙って手に入れたDVDも、漫画もあった。

古いものだと俺が中学生の頃描いたアニメの模写やネタ帳もあった。


一番下の段には、就活につかった

ポートフォリオ(自分の作品集)の山が積んであった。

本棚の上には、トレース台と専用の椅子が突っ込んで放置されていた。

さすがに日常生活の目線に置いておきたいものではなかった。


『アキラ』のDVDは、リビングルームの

DVDプレイヤーに既に入っていた。

出勤したくない日は、『アキラ』を観ながら身支度するのが習慣だった。


俺はクローゼットから、スウェットを取り出してミユに投げた。

探しておくから風呂に入って来いと言うと、

ミユは返事もせずにバスルームへ向かった。


俺はリビングに戻って、ソファに座ると『アキラ』のDVDを再生した。

流し見しながらテーブルに置いたメモパッドに

キルアをおさらい描きした。

知っているキャラなら資料なしでもまだ描けた。


もう何百回観たかわからない『アキラ』は、

中学生のとき、近所のツタヤで出会った作品だ。

俺の知ってる感情も、知らない感情も、

全部描いたアニメ映画だった。

観るたびに湧いてくるテーマが変わる。

俺は何回でも『アキラ』を観て、何度でも生まれ変わって新しい呼吸をした。


大人にさせてくれるんじゃなくて、

知識をくれるんでも勇気づけてくれるんでもない。


世界の何かに俺を巻き込ませてくれる。

トランキライザーとは少し違う。シンパシーとも少し違う。

もしかしたら、その全部をふくんでいるのか? 

だからうまく説明できないのか?


とにかく『アキラ』は俺にとって尊い作品だった。


「今夜もこれっしょ」俺の原点であり、ゴールだった。

ミユの後に続いて、俺も風呂に入ってリビングに戻ると、

キッチンは片付けられていた。

いつもこのパターンだった。

片付けておけよ、なんて俺は言ったことはない。

でも、一緒に片付けよう、とも言ったことがない。

共同作業って楽しいんだろうけど、ミユとそれをするのは気が引けた。

ミユもきっとそうなんだと思う。


4つの年の差は昔から微妙だった。

学校で顔を合わせない。同じ校舎にいない。

お互いに別の世界を持っているけど、

学校が終わると同じ部屋で過ごすことが多かった。

俺の友達も先輩も、ミユを大切に扱った。

すごく微妙だった。

誰もミユに手を出さなかった。

俺の周りの男全員が、俺に気を遣ってるってわかってたよ。困ったよ。

いっしょにいるけど、いっしょにいない、

気楽なまま過ごせる相手でいたかった。


親が憎いとか理由はないけど心細いとかで

ミユが泣いたら、ギュッとしてやった。

で、お互いすぐに離れた。

メインディッシュ直前のふたくち分のソルベと同じだ。儀式。


つけっぱなしていた『アキラ』は

そろそろクライマックスにさしかかっていた。


俺はミユと並んでソファに掛けた。

ミユはハイネケンの缶にキルアを描いていた。

『アキラ』をまったく観ていないようだった。


「曲面に絵描くとか、チャンレジャーかお前」


案の定、ひどい出来だった。

おにいちゃんの描いたのをお手本にしたのに、

と言いながらミユが俺にもたれてきた。

めんどくさいから振りほどいた。

そして、『アキラ』を頭から再生しなおした。


「お兄ちゃんが今日選ぶのは『アキラ』か『君の名は』だと思ったんだー、それか両方。」

「『君の名は』は違うだろ」


俺がアニメーターを諦めた年に、

ヒットした作品が『君の名は』だった。

俺が夢を諦めた逆サイドで、とんでもない傑作が生まれていた。

演出も画質も色彩も何もかも、ため息が出た。

何度映画館で観ても胸が締め付けられた。


いつか作画監督に、いつか絶対なりたいって拳を握った。

でもいつかっていつだ? 

この作品のコストに見合うスピードと画力に俺が届くのはいつだ? 

技術が届くだけじゃ監督になんてなれない。

そうしていたら、ミユの両親が蒸発したらしい、

と実家から連絡を受けた。

その直後に、俺はホストに転職した。


「今日さ、このままここでいっしょに寝ない? 

滅びる瞬間こわいから、おにいちゃんにくっついてたい。

ここでアニメ流しっぱでさ」


ワインとかシャンパンってさ、風呂入るとさらに全身に回る感じしない? 

ビールとか焼酎は風呂入るとちょいちょい覚める気がしない? 

俺だけ? 勘違い?


つまりさ、俺は既に結構頭が冴えてたし、

ミユもそこまで酔ってないように見えたのよ。

ミユは使ったペンのキャップをキチンと締めていたし、

絵を描いた後のハイネケンの缶の汗も拭いた形跡はあったし。


だから、そろそろ言っていいよな?って。

そろそろ妄言へのスルーはやめちゃおうって。

逆によくないよねって。ミユにも俺にも。

蒲田より先に、俺の中身が滅びるのは阻止したいナって? 

俺はスウとため息に見せかけて深呼吸をして、

ミユに話しかけた。


「俺さ、お前のそういう気の惹き方ってどうかと思う。

他にも方法あるだろ? あるよな? 

コロナ不安とか、金がない不安、とか、就活不安とか。

いくらでもあるだろうが。なんだよ、蒲田滅びるって。

センス悪くね? 縁起悪くね? ガッカリだわ。

お前、パーッと遊びに行きたいとか最初言ってたよね? 

パーッと俺を遊ばせたいならさ、なんでそんなん言うの」


言い終わると、俺は『アキラ』にだけ集中した。


ミユは何も言わなかった。

泣くかなと案じたけど、ミユは泣かなかった。

俺は冷蔵庫からポカリスウェットを2本とって、ミユの前に一本置いた。

俺が自分の分に手を伸ばしたら、ミユも自分の分を開けて飲んだ。


鈍い喉の音が聞こえた。

エンドロールが終わって、メニュー選択画面に戻っても、

ミユは黙って俺の隣に座っていた。

俺はチャプターメニューを操作して、中盤から再生を始めた。少し眠い。

俺はいつも就寝前にポカリスウェットを飲んでいる。習慣。

ポカリを飲んだらおやすみなさい。


ミユは立ち上がって、リビングから出て行った。

戻ってきたときには、ベッドルームにセットしてある掛ふとんと

毛布を両手に抱えていた。

毛布は床を引きずっていた。

そのままソファに、毛布を俺の体ごと掛けて、

ふとんを柔らかく整えて添えた。


「ギュウ」

ミユは言いながら、ふとんの上から俺に2秒だけくっついて、

離れた。

ソファの両端にふたり離れたまま、ミユは横になった。

俺も体を倒した。ミユの脚が、俺の脇腹に触れていた。


冷たい足だった。毛布の上から、ミユの脚に手を置いた。

俺の体温がミユに移っていったのを確認して、手を放した。


一晩に何回『アキラ』観るの?って、もしかして、思ったかい?

言ったでしょ、俺にとって尊い作品なんだって。


おやすみ、蒲田。

もし滅ぶなら、ミユが怖くないようにしてやってくれ。



 ドシン、

と衝撃音で目が覚めた。

カーテンから、夜明け前特有の白いオーラが漏れていた。

上体を起こすと、ソファからミユは消えていることに気づいた。

俺は衝撃音の聞こえた方へ、ベッドルームへ、向かった。


「ミユ?」


ベッドルームのドアを開けると、

本棚がベッドを覆うようにして倒れていた。

画集も、DVDも、全部ぶちまけられていた。

本棚の上にあったトレース台が、枕の位置で割れていた。

いっしょにぶち込んでおいた椅子は足が欠けて壊れていた。

ポートフォリオは、潰された絵具の下敷きになっていた。

漫画も画集も何もかもが散乱していた。


「おいおいおいおい、ミユ?」


ミユの声は返ってこない。

壊滅。ぐっしゃん。バリバリ。このことか?

蒲田が滅びるって。


俺はぶちまけられた宝物をよけてよけて、

本棚に潰されているベッドの面を探した。


割れたDVDのケースと筆が、ミユの爪に見えた。指に見えた。

ミユ? おい、ミユ? 

声を掛けながらぐちゃぐちゃに割れたディスクを搔き分けた。

違う違う。違った、ミユじゃない。

本やスケッチブックの白いページが、ミユの肌に見えた。

でも違う、違った。


 壊滅。ぐっしゃん。バリバリ。


ベッドルームにあったのはそれだけだ。

ミユはいなかった。


俺の『食えん寝れん見えん』の詰まった作品たちが、

全部、倒れて割れて、潰れていた。


玄関に、ミユのブーツはなかった。


靴裏にこびりついてた汚い羽根埃が、玄関の隅にあるだけだった。

俺がベッドルームで昨夜眠っていたら、どうなっていたんだろう。



どうして本棚が倒れたのか? 

地震だったのか? ミユはどこに消えた? 


ちなみに、その晩から五年経つけど、蒲田はまだ滅びていない。蒲田は相変わらない。


「お待たせいたしました。タン塩焼と特上ロースでございます」

白磁の角皿に盛られた肉に、俺は素直に興奮した。

「待ってたよお、運命みたいに、待ってたよ☆」おどけた声をだすと、

目の前に座った女は楽しい人って言いながら微笑んだ。


「本日、卓担当いたします。鳩野でございます。さっそく焼き始めてよろしいでしょうか」

ううん、俺が焼くよ。いいからいいから。俺が焼いたお肉、美味しいから任せてよ。

「さあ、元ホスト、処女作の重版記念に、肉焼きます! って、え?」


ミユはどうなったかって?


そっか、お前今夜も、あんまり体調良くないんだな?

 

焼き肉食えるくらいには、今夜のお前は安定してるように見えたんだけど。

今夜はうまくいく気がしていたんだけど。


いいよいいよ、昔の話はまた今度。

昔語りより、いまは肉を大切にしようね。


栄養のある食事をして、

血糖値上げればだいたいどうにかなっていくから。たぶん。

お前の記憶とこころも、またまとまり始めてくれるかもしれない。


満腹になったら、風呂入って好きなことして眠る。

そういう何でもないことを、

いっしょに出来る相手がいるならラッキーだし、

ひとりでもやれたなら大人じゃね?と思う。

ひとりでやれないお前は、俺といればいいと思う。

俺の向かいに座っている左利きのミユの箸が、

かすかに震えていた。


 この店の、口直しのソルベは何味だろう?



(おしまい)

読んでくださってありがとうございます。

また次の作品で。

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