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ホスト、肉を焼く  作者: Emily Millet
1/3

ホスト、肉を焼く(1/3)

2020年の年末のお話。

蒲田。焼肉。アニメ。

そんな感じです。

焼き肉を食べるとき、必ず思い出す女がいる。

 5年経った今でも、焼き肉に行くとその女の顔と声が浮かぶ。

 つまんねー思い出話だけど、

前菜のチョレギサラダやっつける間の暇つぶしだと思って付き合ってよ。

ちなみにこの店のキムチとナムルは絶品。


 辛く?ナイナイ! 

 大丈夫、辛いの苦手な女の子でも食べられるよ。

糸唐辛子はよけたから。はい、どうぞ。


 5年前の、当時ね、本にも書いたけど、

 俺は歌舞伎町でホストをしててね、

焼き肉屋は仕事終わりに後輩連れていく場所って

 感じだったんだよ。


そんなん楽しくナイ楽しくナイ。 


後輩ホスト10人くらいで焼き肉行って、後輩の相談に乗ったり、

気を遣われたりするだけですよ。社交の場。


でも俺さ、肉を焼くのも肉を

じっくり食べるのも好きだから、

社交の場じゃなくて、じっくりたっぷりひとりでお肉食べるたいわけ。

たまに店上がって、夜ひとりで当時住んでた蒲田のマンションでさ、

ガスコンロのさ、換気扇の真下でさ、

お肉焼くのが至福の時間だったのよ。


 その夜は、営業制限のせいで夕方から自宅にいたんだよ。

(営業制限なんてなつかしくない? マスクひもで耳が痛い一年だったよね。)

 肉食べてる間だけ、二時間だけって決めて、

 スマホの電源切って仕事オフにしてさ、冷蔵庫を開けたの。


 わかっちゃいたけど冷蔵庫に野菜なんかなくて、

 ピーマンとキャベツくらいは欲しいなって。近所のスーパーに行かなきゃなって。

 ひとまず肉だけ味付け終わらせたわけ。


 室温に肉を戻して味が滲みるように、

エアコン切って肉をキッチンアイランドに置いてさ。

 で、マイバッグ持って玄関を開けると、その女がいたわけ。


「おにいちゃん、ちょっと話あるんだけど」

 女は、イトコのミユだった。

 当時大学3年生でさ、下宿が近所でたまにうちに遊びに来てたんだよ。

 高い酒飲みたいやら、高い肉食べたいやら。

そんな時だけ俺の部屋に来てたんだよね。


 二〇二〇年の季節は冬、年末だった。

 マスク、感染者、ホストクラブ滅べみたいな散々な一年だった。


 ミユも、バイトしてたイタリアンレストランを解雇されたって夏の終わりに連絡があった。

 だから、小遣いでも欲しくて訪ねてきたのかな?って思った。


「いいけど、一瞬買い出し行かね? スーパー閉まる」

俺の言葉を無視して、ミユが玄関でニーハイブーツを脱ぎ始めた。

ミユのブーツには鳩か何かの鳥の羽根埃が大量についていた。

近くの公園で、俺の帰りを待っていたのかもしれない。

リビングのソファに腰掛けると、

ミユは、冷静に聞いてね、と話し始めた。


「お兄ちゃん、蒲田はもうだめだ。夜明けを待って滅びる。そういうお告げがあったの」


ああ? ええ?…そうか、と俺は脳内でつぶやいた。


「今夜の内に逃げるか、最後にパーッと遊ぶか、

どっちにするにも、お兄ちゃんのところに来たの」


そうね、こういうの…客にすごくよくいる。


「ほら、このお肉食べて、遊んで、

ミユのことギュってして、

くっついて眠って明け方滅びよう? 

それかいっしょに遠くへ逃げよ?」


でもまさか、俺のイトコがそんな感じの女に仕上がるとは思ってもみなかった。

でも、うん、はい。わかった。

地方出身者の大学生でさ、さみしくて友達もいなくて。

心療内科とかキャバでバイトとか向精神薬とかアニメとか。

そういう自家中毒になって男に泣きつく子、

いるよね。多いよね。


俺の客には少ないけど、

後輩ホストの姫(大金を使ってくれる常連客)には

その類の客が結構いた。


「真剣に聞いて。もう取返しがつかないの。もう決定事項なの。お兄ちゃん」


俺はとりあえずミユに、

俺はお前の分の追加肉の解凍と味付けをするから、

お前はスーパーで野菜を買って来いと万札を渡した。


菓子でも酒でも欲しいのあったら買っていいからと付け足した。

そして、玄関のドアを開けるミユの背中に、


あのさあ、と話しかけた。


「蒲田だけ滅びるの? 大田区全部? 横浜も滅びるの?」


何も言わずにミユは玄関ドアを閉めた。



俺は、焼き肉は塩タン・ロース・ハラミがあれば半永久的に食ってられる。

ミユもだいたいそれで完璧ですと俺に倣った。

だいたいどのスーパーでも買えるラインナップだ。


相性・欲望・環境がマッチするバランスを知れ。

俺がミユに施した焼き肉教育だ。

ビジネスにも応用できる。


ホストと姫(客)はさ、お互いのニーズと価値観が呼応していて、

かつ来店頻度も程よく成立しないと続かないんだ。

相手も、俺も、続かない。焼き肉と同じだろ? 


バカみたいですか? バカみたいですね。

バカにさせてくれる焼き肉を、俺は好きです。


俺はリビングの窓をほんの少し開けて、

脂が跳ねても構わないジャージに着替えた。

焼き肉の準備が整った。

俺は温めたフライパンに塩タンを並べ始めた。


「んで? お告げのこと、詳しく教えろよ。明日の朝、蒲田が滅びる。なんで?」


ミユは換気扇の下で、高さの合わないパイプ椅子に座っていた。

割りばしを左手に持って、膝に紙皿を乗せていた。

視線は肉の焼けるフライパンを見つめていた。


「他の場所もヤバイけど、特に蒲田がヤバイの。壊滅。ぐっしゃん。バリバリ。

 ねえ、お肉食べ終えたら逃げる? それかもうあきらめる? 

 ミユはあきらめてもいいかもって思っておにいちゃんのところに来たよ」


「ビールとってくれ」


ハイも言わずに、ミユは冷蔵庫からハイネケンの緑色の缶を俺に差し出した。

ミユの家は家族離散していた。

おじさんは借金でおばさんは男を作って、

ミユだけ残されたので俺の家族が引き取った。

もう3年になる。別に珍しい話じゃなかった。

部落レベルの団地ではよくある話だ。


大学に通えて、バイト程度の労働で生活できるだけ、

ミユはラッキーな部類だと思う。


「このあたりの肉、全部ころあい。お前、がっつりいけば」


俺はトングで焼けた肉をすべて、ミユの紙皿に上げた。

俺の家には、食器がなかった。


金のない時代、俺はストレスで皿を割って、

なんとか日々のストレスを発散していた。

ホストになってまともに稼ぐようになってからは何も壊さなくなった。


でも、皿を買い足すことはなかった。

だって食器って使ったら即捨てたほうが、衛生的な気がしませんか? 

ちなみに、紙皿は平皿じゃなくて、深皿にするのがポイントだ。

電子レンジ対応が好ましい。


食器は全滅だけど、グラスとマグカップの2つだけは辛うじて残っていた。

どうにか割らずに済んでいた。

胃薬飲むのに、実際的に必要だったからだと思う。

ミユは俺のマグカップに新しいハイネケンを開けて注いで、

残りを自分のグラスへ注いだ。


俺の偏った意見かもしれないけど、

血をつくってくれる栄養のある食事をして、

血糖値上げればだいたい何でもどうにかできる。


どうにかなっていく。たぶん。


蒲田壊滅だって防げるかもしれない。


栄養のある食事で満腹になったら、風呂入って好きなことして眠る。


そういう何でもないことを、

いっしょに出来る相手がいるならラッキーだし、

ひとりでもやれたなら大人じゃね?と思う。

ひとりでやれない人はホストを指名したらいいと思う。


左利きのミユは、俺の左側に座っていた。

腕が当たらなくて楽だった。

ミユが来ると、俺は脚立に座って、ミユがパイプ椅子に座った。

脚立の座り心地は最悪だけど、焼き肉のためならなんでもなかった。


「んん、お兄ちゃんも」


ミユが塩タンを頬張りながら、箸先でフライパンに追加したばかりの肉群を指した。


「行儀わるいぞ」


 ミユも俺も、同じ団地出身だった。Ghetto(ゲトー)って呼ばれてる汚くて寒い団地だ。

どの県にも、そういう場所ってあるだろ? 

食事の作法とか栄養バランスとか、そういうのはホストを始めて客に教わった。

俺達の地元でそんなもの気にして食事する人間なんかいない。


肉と言えばベントマンのハンバーグで、

パスタといえばそのハンバーグの下に敷いてあるのっぺりしたスパゲッティだった。

でも好きだよ、俺は地元が。戻りたくないけど。


日本なのに団地の入り口にはブラジル国旗がなびいてて、

純日本人の居住者が少なくて、金持ってる先輩たちはだいたい自宅でクサ栽培してる、

そういう団地。


シャブ買うためとか遊ぶ金欲しさの大麻栽培じゃないんだぜ。

せっまい家の中でじいちゃんばあちゃん含めた家族7人養うのに、

仮設便所設営したり、大麻栽培したり、

カーナビとかレクサス盗んでるんだぜ。


ね、ちょっと笑えるよね。

あの先輩、元気かな、生きてるかな。

歌舞伎町なんてさ、可愛いもんだわ。逃げ帰る故郷が、どいつにもあるんだもの。


「おいひー、今日もふまー」


ミユが肉を咀嚼しながら声をこぼした。

わざと行儀わるくして、俺の気を引いてるのかもしれない。

妄言なんて言うタイプじゃないんだ、本来ミユは。違和感。


地元には高校出て以来、7年帰ってなかった。

ホストになって稼ぐようになってから、実家は少し近い存在になった。

『振込先』として、毎月仕送りを送る関係としてだけど。

でも月に一回どんな形でも実家と関わっているのは悪いことじゃないはずだ。


左に目をやると、ミユの頬に赤みが差してきていた。

俺はマグカップのハイネケンを一口飲んだ。

肉に缶ビールってよくよく考えると下品かもしれない。

でもさ、生ビールサーバー揃えるほど、俺は自宅で酒を飲まない。


自宅は酒を抜く場所だった。

冷蔵庫には液キャベとポカリスウェットを常備してあった。


「世界が滅びる前に、しっかり肉を堪能しろよ」


「お兄ちゃん。あとで、何か描いてくれる?」


「いいけど。なあ、おまえさヒロ君覚えてる? あの大麻の」


「すき焼き呼んでくれた先輩でしょ?」


「そーそー。レクサス盗むのは気が楽だわ、

 保険おりるから誰も傷つかない☆俺も傷つかない☆とか言ってたヒロ君な。

 先輩んちがすき焼きやる日は呼んでくれてさ。でもさ、」


 ミユが焼けた塩タンを俺の皿に上げた。

 焼き加減ベストの塩タンだった。

 俺が教えた焼き加減だ、当然だよな。

 冷めないうちに口の中へ迎えた。うまい。

 岩塩とタンのさっぱりした脂が、黒コショウの香りと絡まった。

 歯ごたえもたまらん。昔語りより、いまは肉が大切だ。俺が一旦停止した言葉を、ミユが繋いだ。


「お呼ばれしたさきでさあ、お肉がっつりもらえないよね。

 おぼえてるおぼえてる。シイタケと白菜ばっかり食べたあ」


「俺なんか、かったいトーフと白滝と、漬物ばっかり食ってたよ。

 鍋の中の春菊の形がなんか怪しくてさ、ヒロ君これ春菊だよね?って聞いたらさ、

 『大事な商品食うわけないだろーが』ってみんなして笑うんだよな。あとで何描いて欲しい?」


 「ハンターハンターのキルア」


 「またかよ」


 ミユはハンターハンターのキルアが好きだ。

 初めて描いてやったときに、なんでキルア?ってミユに聞いたら、

 きょうだいが多くて大家族で羨ましいって笑って、泣いてた。


 両親が消えて、ミユが推薦で受かっていた大学に入って、

 梅屋敷の下宿に引っ越すまで3カ月もかからなかった。


「明日死ぬ前に、今夜くらいアニメーターに戻りなよ、お兄ちゃん。

 撮影もしてさ、ショート作品。私、声いれるよ? 声優しちゃうよ?」


 俺がどうにも食っていけないアニメーターを諦めて、

 新宿でホストとして勤め始めて、まとも以上に食えるようになった時期と、

 ミユの大学入学はだいたい同じ時期だった。

 高校生だったミユはもう大学3年だ。超早いな。


 でもミユいわく明日蒲田ごと全部滅びるらしい。


「いや、アニメ観ようぜ。原画から全部つくるのはキツいわ」


 そろそろ塩タンからロースと野菜に移行するタイミングだった。


 相性・欲望・環境がマッチするバランスを知れ。

 そのバランスを整えるための冷静さを持て。


 俺は背後のキッチンアイランドに手を伸ばした。

 菓子でも何でも買えと言ったのに、ミユはバカ素直に野菜だけ買って帰ってきた。


「食えん寝れん見えん」

 ミユが唐突につぶやいた。


 俺は、フライパンにクッキンペーパーを敷いて、ロースに取り掛かった。

 塩タンの脂とロースの脂を混ぜたくない。

 肉汁を吸うように、シイタケとピーマンをロースとロースの間に並べる。

 肉と野菜の華麗なマリアージュ。溶けて錬成される旨味の相乗効果。


「よく覚えてるな」

 その三語「食えん寝れん見えん」を、『Nの三重苦』と俺は呼んでいた。


 俺がアニメーターをやめてホストをしていると知ったミユは、

 自分の大学の学費捻出のために夢を諦めないで欲しい、と言った。

 全然そういうんじゃねえしって話した。

『Nの三重苦』に打ち勝てる気がしないんだよって説明した。


 アニメーターの、

 薄給で食えん、

 忙しくてろくに寝れん、

 成功する人間の少なさに明日が見えん、

 だからもういいんだって話した。


 何がしたいのかわかるまで、金も欲しいからホストしてるだけだし、

 トレース睨むだけの作画の日々だったから、

 人に接する接客業を選んだと説明した。本音だった。

 実際、俺の体は、昼夜逆転を通り越した24時間営業のホストライフを

 すんなり受け入れることができた。


 俺は高校時代、専門学校、アニメーター時代ずっとバイトを掛け持ちしながら

 アニメのことを考えてた。

 ピザ屋でバイトして、ピザくさい髪にイラつきながら、朝までデッサン描いてた。

 ホストは売上のことだけ考えてればいい。

 すげえシンプル。


「明日滅びちゃう前にしたいことしよ? それか羽田とかに向かう? 生き延びる?」


 おい、ミユ。お前まだそれ言うんだ? まだそれ続けるんだ? 

 口には出さなかったけど、そう思った。

 俺の冷ややかな視線にミユは全く気付いていないように見えた。


 それどころか、羽織っている俺が貸したパーカーから、

 ミユはスマホを取り出して、乗り換えアプリを操作し始めた。


 出発:蒲田 到着:福岡空港 終電…検索を始めていた。


 「おい、ロースに失礼だぞ。スマホしまえ。あとビール。はやく」


 俺はミユのスマホディスプレイを箸でつついた。お兄ちゃんも行儀わるいしってミユが笑った。


「明日滅びるなら、俺はうまい肉を延々と食ってアニメ観るわ。お前は? 

 九州いく金くらいやるよ。お前だけ逃げれば? 

 俺はアニメ観るから」


 ミユは冷蔵庫から新しいハイネケンを出して俺に注いだ。

 スマホはキッチンアイランドに置いて、パイプ椅子に座りなおした。


「アニメ、最期のアニメ、お兄ちゃん。なに観るの?」



(つづく)


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