勝負の後
広い部屋にくしゃみが響く。
間を縫ってどうにか深く息を吸い込んだのは良いが、それが呼び水になって、くしゅんくしゅんと何度もくしゃみを繰り返すことになってしまった。
「無理をするから……」
と気遣いつつ、ハイジェが呼吸を助けるために背中をさする。
「うぅ……すみません」
発する音の全てが濁って崩壊した声で、ビシュラが申し訳なさそうに言った。「油断してしまいました」
まあゆっくり休めて良かったじゃない、と穏やかに慰められ、眠たい時の猫みたいに縮こまって、小さく頷いた。
自分が調子を悪くするなどとは生まれてこのかた欠片も思ったこともなかったのだろう。
動きやすさと勝負を面白くするのに集中した結果、薄着のままで北方の苛烈な寒さに身を浸したビシュラは見事に風邪をひいてしまったのだ。
昨晩、ハガネの飛行戦艦が停泊する上空まで続く魔法の階段を登る途中で膝から崩れてぶっ倒れ、ニアに背負われて戦艦の居住区──小さな城下町を持つ狭い城だ──にまでたどり着いたと言うわけ。
遠慮なく寝ていればいいものを、心は元気な患者は本日の昼ごろにはもう起き出してしまい、ついさっき速攻でハイジェに見つかって服を厳重に着せられた。
綿をたっぷり入れた衣服やらその上から包み込んだ毛布やらが、彼女の活発な動きを完全に封じ込めている。
封印された謎の生物みたいになっても尚もぞもぞと動いて、巨木から切り出した丸テーブルの上の網籠から、おいしそうなりんごを手に取った。
皮ごと噛みつこうとしたのを「だから無茶しないの」エメリットが素早く奪い去る。
ナイフを取り出して丁寧にすばやく皮を剥き、食べやすくカットして渡した。
3人が発する穏やかな圧力に押されて大人しくリンゴを食すビシュラの様子を、ツェトラは電熱コンロの前に立ちながら見る。
師匠ご夫妻がビシュラの療養のために3分で整えてくれた、小さなキッチンと寝室と居間が一体になった特別な一室である。
勝負を始める前に防寒着を貸してあげるくらいはできたはずだ。
そんな後ろ暗い思いが、もと姫君を慣れない異世界の調理器具を使っての料理へと駆り立て動かしている。
眠りこけた自分とビシュラを交代で背負いながら、徹夜で魔法のハシゴを登ってくれた小隊の皆にも報いたかった。
帝都にいる料理の師匠ディートリンデに緊急連絡を入れ、彼女の豊富なレシピから、消化が良くて栄養があり療養を助ける料理を選んで書き送ってもらった。
飛行戦艦の主人たるハガネ師は美食趣味でもあるらしく、師匠ご夫妻の台所から融通してもらった食材だけでも、どんな料理でも作れそうなほどの種類と数がそろっている。
ツェトラは少し考えて、卵のお粥と果物のデザートを作ってみることにした。
かわいらしい丸文字で書かれたレシピに一通り目を通すと、覚悟を決めて調理スタート。
ハガネ師の奥方がご自慢、ひねくれシャダルに特注したと言う大きな鍋に湯を沸かして大量の白米を入れ、焦げ付かないよう気を付けて煮る。
煮立ったところに溶き卵を静かに流し入れて火を弱め、卵が固まるまでゆっくりとかき混ぜる。
異世界では当たり前に売られていると言う、お湯に溶かして使う粒状のスープの素を加えて味を調え、細ネギを小さく切って散らせば完成だ。
次に白桃の缶詰を取り出してシロップごと鍋にあけ、果肉を潰しながら、これも焦げないように煮詰める。
粉末のゼラチンをお湯で溶かして(ビバ異世界便利食材!)鍋に加えたら火を止めてかき混ぜる。
金属の小さな容器に注意深く移し、粗熱がとれたならば冷蔵庫に封印して、あとは食べごろを待つのみ。
「さてと……」
師匠ご夫妻を含めてたっぷり7人分のお粥が食べてもらう瞬間を待ち受ける大きなお鍋(保温機能つき)は見るだに重く、ツェトラは遠慮なくエメの力を借りることにした。
一切ためらうことなく両手で鍋を抱え、視界をふさがれたエメの目となってテーブルの前まで進む。
なんだか、氏族にまで発展しそうな大家族を自分たちで運営して行きたいと言ったバルバロイ夫妻の気持ちが、分かるような気がした。
2022/1/14更新。




