巻き込まれてラブ・コメディ!?(2)
アーヴィングの実家であるノルトハイム家にたどり着くまでにヒエンが語った内容には、嘘がたくさん散りばめられていた。
はるか東から渡って来たのでも、アーヴィングが主役の恋愛喜劇をまるっきり楽しんで見ていたわけでもなかったのだ。
だが、それらの嘘は他人をあざむくための悪意あるものではない。
彼女の心の中の大切な隠し事を守るための楯だった。
「そうでしたか」
以前に蜥蜴人族の姫君がそうしたように。
ツェトラは『忍者ヒエン』ことミュレル=ノルトハイムが改めて語った簡潔な話を注意深く聞き、単なる事実として受け止めた。
「何とも思わぬのか」
「ではありませんが……ご実家の面々と同じようにあなたを貶めてどうなりますか? それで楽になるというなら別ですけど」
ひた隠しにしてきた真意を打ち明け、正体をも晒した彼女を嘲笑ったり、詰ったり責めたりする者は──彼女の意に反して──この場に誰もいない。
「ありがたい」
ヒエンが可愛らしい顔を赤らめたまま微笑む。「で……今からどうしよう」
ノルトハイム家の質素な建物は目と鼻の先だというのに、まだ決心がつかないようだ。
「そりゃあ実家に突撃して、問題を一気に解決してしまうべきでしょう。話した通りに試してみましょうよ、ヒエン殿」
「うぅ……し、仕方がない。失敗したりせぬかなぁ……大丈夫かなぁ」
エメリットが彼女を励ますように勢いよくまくしたてる。
ヒエンはさんざん迷ったが、退路は既にない。
意を決したように頷き、再び身体を煙で包んだかと思うと、騎士団の幹部クラスが着るごてごてした制服に着替えた。
帝国騎士団北方駐留部隊から来たスカウトという体で、かつて追放された実家を尋ねようと、準備だけは周到に整えていたのだ。
【忍者】の扱う変装の技法や独特な身体の使い方を学ぶために時間を費やしたと語るだけあり、背格好や声だけはすっかり架空の騎士団幹部になりきっている。
ちゃんと使えるか不安だったが、ツェトラはハンナから学んだ【言葉遣い】に独特の技法(ハンナたちは魔法と区別するために"話法"と呼んでいた)を使ってみた。
「あなたはブルー・ナイツの幹部、コーンウォル子爵です。今日はアーヴィング副長の兄上、ソアンタイグ殿を改めてスカウトすべく、ここノルトハイム家を尋ねます。いいですか?」
不安げだったヒエンの眼を見つめて優しくゆっくり告げると、徐々にだが不安そうな表情が消えてゆくのが分かった。
彼が堂々と玄関の扉を開けたちょうどその時、小さな屋敷の奥の方の部屋から、物凄い物音と数人分の叫び声が聞こえて来た。
ひとりは中年の男性だ。何かを投げつけたのか、破裂音と破壊音が同時に聞こえる。
もう一人は初老の婦人だろうか。
慰め励ますような言葉が遮られ、続けて厳めしい声が「もうよい!!」と叫ぶ。
コーンウォル子爵が声を張り上げて許可を求めるが、返事をする余裕など相手には無いようである。
騎士らしく辛抱強く待った子爵の前に、しばらくしてから、厳めしい顔に青あざと拳の跡を作った初老の男性が姿を見せた。
「我がノルトハイム家に何用であられるか」
「此方は帝国騎士団北方駐留部隊が幹部、コーンウォル子爵であります。貴公のご家族に優れた人物がおいでだと伝手で知り申した。騎士団にてその才覚を発揮されてはと思い、駆けつけた次第にござる」
「何と。騎士団には既に次男のアーヴィングが勤めておりますぞ。閣下がお求めのような人材は、もはや我が家には一人もおりません。身内の恥をさらしたくはない、お帰り願おう」
「……我が帝国騎士団は人材こそ宝と考えている。互いの見解になぜ齟齬があるものかをこの眼で確かめるまでは、ここを動くわけには行きませんな」
コーンウォル子爵が静かに憤慨し、重い騎士服を揺らして、どっかりと狭い玄関に座り込んでしまった。
どうしても迷惑な客が帰らぬと知ると、家族の長が渋々ながら長男のソアンタイグを呼びに戻った。
先ほどの破壊を引き起こしただろう中年男性が、太った身体を木製の車いすに乗せて、のっそりとやって来た。
2021/12/15更新。




