第一皇女(1)
ごく小さな範囲で遮音結界を展開して話しながら歩くこと暫し。
ツェトラは宮廷魔導師と共に、第一皇女ウェンドリンの離宮にたどり着いた。
さきほど確信に近い念をツェトラが抱いたとおり、ウェンドリン殿下も太政大臣閣下に『決断』を迫られたに違いないご様子だ。正に星が輝く如き白皙の美貌が、激しい感情と憔悴のために、疲れ切って見えた。
「あなたがツェトラね。初めまして、ウェンドリンと申します。お送りしたお金は受け取っていただけたかしら」
「ありがとうございます、お姉様。母リルムガーテは、おかげさまで何不自由ない生活を手に入れる事ができましょう」
それはよかった、と微笑んだ殿下に、ツェトラはメイドのエメリットが少ない材料でこしらえたクッキーを差し入れる。
「私のために? ……ふふ、今の今まで顔も知らなかった末姫にまで気遣われて。ウィシュメリアが"機嫌を直しておきなさいね"と言ってくれていたものを、ね……」
お姉様はご自分で仰るほどには、ご機嫌がよろしくない。
当たり前だ。これまで大切に磨き上げて来た"星"を妹に譲り、王宮を出なければならないのだ。
でも、それならちょうどいいな、とツェトラは思った。
エメリットのクッキーはツェトラにとって、いつも機嫌を直してくれる特別なものだからだ。
同じ食べ物でお姉様のご機嫌が直るのならば、彼女と自分に共通の部分ができるということになりはしないか、と思うのだ。
「お口に合いましたか」
「おいしいわ、ツェトラ。ありがとう……なんだか元気が出て来た」
ツェトラはベッドに腰かけたお姉様のお許しをいただいて、彼女の隣に腰かけた。
「お姉様は、あの冷血野郎……じゃなかった、太政大臣に何と言われたの?」
「思い出しても腹が立ちますわ。私には帝位を継ぐ権利がないと言うのよ。ええ、知ってましたけどね。ツェトリア、あなたに"星"を譲って城を去れというのよ。辺境伯爵の家にでも降嫁すれば幸せになれるだろうと」
「ドリュー伯爵は誠実で鷹揚な大人物であります、殿下。そう見下げたものでもないかと存じます」
「ええ、分かっています、ギルネスト。私だって、好きだと言ってくれる殿方のご好意を無視するような傲慢な女ではないつもりよ。でも、でも、今はちがう夢を見ているの」
ギルネストと話したことの確認をするべく、ツェトリアは人差し指を立てた。
「どうにかして"不老"の"星"を手に入れ、帝位を継ぎたい……ううん、3姉妹で力を合わせて、愛する帝国を率いる自分の姿を見てみたい。違いますか、第一皇女殿下」
「ええ、そうよ。どうやら隠す必要も無さそうね? 覚悟を決めて来たとでもいうのかしら?」
元気が出て来た、というのは本当らしい。
ウェンドリン殿下は多少とも高飛車でわがままで、他者の気持ちを考えずにご自分の意志を最優先にしてしまうところがあるとのことだ。
ギルネストが教えてくれた通りだが、もっとこの第一皇女の人柄を見極めなければならない。
「何でもお話しください、お姉様」と告げた。
「あなたの言葉を否定せず、すべて受け止める。ツェトリアの覚悟を問われるならば、あなた様はわたしに全ての想いを包み隠さず打ち明けるべきです。わたしは、その覚悟をして参りましたゆえに」
嫌な役回りだなーと思わなくもなかったが、自分のためにもなる事だと、半ばあきらめのような心境で姫君の言葉を待つ。
小さく同意を示したウェンドリンが、おそらく自らの裡にあり、"こうはなるまい"と強い意志で心がけて来ただろう、"嫌な女"の顔を作った。
「私は帝位を継ぎたい。ドリューみたいな年寄りのところに嫁ぐなんてまっぴらよ。心を許して子どもをもうけるなんてお断りだわ。女の幸せなんか欲しくない! 欲しいのは国よ、灼土帝国よ! 私が我が国をどれほど愛しているかなんて、ツェトリア、あなたに分かるはずないわ! 陛下にも、誰にもよっ!」
「お姉様ならば"星"などなくとも、国を率いた身を導く事ができると?」
「それを証明して見せたいのよ。磨きに磨いた実力を見せる機会もないまま野に下るなんておかしいじゃない! 私の15年間は何だったと言うのよっっ!?」
ああそうか、とツェトリアは思う。
ウェンドリン様はきっと、なりふり構わず血のにじむような努力をなさって来たのだ。だから他人のことになんて関心を持っていないように見えたし、知識があって機転が利き、他者を思いやることもできる美点を、誰からも認められることがなかったのだろう。
国を率いる機会さえあれば──と言う危険な考えにとらわれていて、それを見せないようにすることに腐心して来たのだ。
2021/8/17更新。