04 崖の街リルーセへ
のどかな街道を、ゆったりと進む。
ラガラゴの荷馬車は小さく、中は荷で詰まっていた。
荷馬車の屋根に寝転び、空を眺める。
不安定な道を車輪が進むたびに、荷馬車の骨組みが背中に当たって痛い。寝転び方を工夫しながら、ぼーっと空を見ていた。
「いいかい、君は僕の妹フレデで、小さいころに顔に火傷を負ったんだ。それが心の傷跡となり、喋る事も出来なくなった。それで仕方なく、兄である僕の仕事を手伝っている訳だ」
「あぁ」
「ここからリルーセの街までは数日掛かる。夜間の護衛も日中の護衛も君に任せる事になるんだ。けど僕もね、ずっとここに座っているとお尻が痛くなる時もあるんだよ」
「あぁ」
「だからね、馬車の扱いを覚えてもらいたいんだけど…」
「馬は、怖いんだ。心に傷跡があってな」
「はぁ……」
目的地のリルーセは、プロヴァンスでも大きな町の一つらしい。
そこまでの街道に野盗は少ないが、森がやや隣接している場所があるため、油断はできない。私は夜の荷番を頼まれているので、彼には悪いが日中は休ませてもらいたい。
「リルーセには、何があるんだ?」
「何って、そうだなぁ。大きな崖があるし、物も何でも揃ってるるよ。主要な産業は製造業だから、道具関係が多いかな。学校もあるし、図書館もあったはずだよ」
ラガラゴから聞く限り、ドロアとは違った都会のようだ。図書館には寄っておくべきだろう。それに、野営用の天幕と寝袋も欲しい所だ。
「それで、名物料理は?」
「本当に食べる事しか考えて無いのかい? リルーセはパンが美味しいね。町の西に穀倉地帯があるから、小麦関係は上等だよ」
「ほう……」
早速ぐぅーっと鳴った。
だめだ、この話題は腹が減る。
ラガラゴの言葉に腹の虫が反応しているようで、恥ずかしい。
「へへ、お腹は正直だねぇ」
「……」
以前の私は、こんなに食が強い方では無かった。
これも呪いの影響なのかもしれない。
そういう事にしておこう。
「ラガラゴ、この下の荷は何を運んでいるんだ?」
「あー、これはね。……誰にも言わない?」
「言わない言わない」
「2回続けて言われると、一気に疑わしくなるよね…。これは、公にはできなような物的証拠たちさ。僕の主な商材は、偉いさん方や悪人共の情報、それに取引証跡なんだよ」
「そんな大事そうな物を、この荷馬車一つで運ぶのか?」
「この荷馬車だからさ。まさか、僕みたいな小物が運んでるなんて、誰も思わないだろう?」
なるほど、ラガラゴは偽装商人か。
彼の落ち着きようを見ると、妙に納得が出来る。ただの商人では無く、ラガラゴは常に危険な橋を渡って商売している。
「……私の情報は、売ってくれるなよ?」
「分かってるよ。商売の本分は、必要なものを、必要な時に、必要なだけ届ける事だからね」
……確かに、その通りだ。まだ完全に信用はできないが、私にとってラガラゴのような人間は助かる。
まだ日は高く、道のりは長い。
身体が荷馬車の屋根のいい位置に収まったので、少し寝かせてもらおう。
「寝ておく」
「ほい、お休み」
のどかな街道を、荷馬車がゆっくりと揺れながら進む。
――
「――そのせいで、妹は辛い思いをしてきました。兵士さん、お分かりになりますか?私と同じぐらいの年になっても、お面を付けて会話もできない妹の気持ちが!」
「……ぐすっ、あぁ。……辛かったなぁ、ぐすっ……」
「それでも、僕たち兄妹は生きなければなりません…。兵士さん、お話を聞いてくださってありがとうございます」
「あぁ、止めて悪かった。お前ら、幸せになぁ……ぐすっ」
リルーセの門前で、私はラガラゴから借りたお面を付けて待っていた。
ラガラゴの荷馬車の順番が来た時、突然彼は兵士に身の上話を始めた。聞いている私がうんざりするほどの作り話だ。この男は口が良く回る。後ろに並ぶ隊商達も、それを知ってか知らぬか面白そうに聞いていた。
長い話も終わったようだ。
門番に手を振り、門を抜ける。
「さぁ付いたよ。ようこそ、崖の街リルーセへ」
門を抜けた先に見えた街並みは、ドロアよりも都会だといった印象だ。だがその奥に見えた景色は、まるで絵画のような光景であった。
周りを高い城壁に囲まれたリルーセは、巨大な渓谷を挟んだ工業都市である。崖下と崖上、ちょうど半々ぐらいの面積だろうか。
街の周りを外壁と天然の起伏が囲い、町の中心には南北に渓谷が走っている。その渓谷には緩やかな川が流れており、それが生活の一部に溶け込んでいた。渓谷の名前はリルーセ渓谷、川の名前もリルーセ川だ。
「この渓谷は、リルーセ川が浸食した事によって形成されていてね。長い長ーい歴史があるのさ。あぁ、酒場は崖下に多いからね。君が考えている通り、酔っ払いが落ちちゃうから」
崖下まではかなり距離がある。
落下したら、ただでは済まないだろう。
崖の壁には窓も多く見える。どうやら、崖の中にも人が住んでいるようだ。工場は崖下に多く、居住区や行政区、商業区は崖上に多いらしい。
「工場の煙が公害となるのは、この町の長年の課題だねぇ」
それもそうだろう。
特に崖下は煙の逃げ場が無く、環境が悪いはずだ。
また、リルーセ川は比較的浅いが、雨量によっては氾濫する恐れもあるという。上流にある水の調整弁が破損するとこの町の経済が沈むため、ここの警備員よりも多くの人数が上流に配備されているそうだ。
ラガラゴの荷馬車は渓谷沿いの大通りを進み、崖を渡る橋へと向かう。
「この橋がこの町の名物さ。食べ物じゃなくて残念だね」
「いや、十分だ。これは凄いな……」
リルーセ渓谷を渡る大きな橋は、リルーセアーチと呼ばれているそうだ。橋はその名の通り、巨大な4つのアーチ構造になっていた。
石造りのその橋の高さは、私の足元からはるか崖下のリルーセ川まであった。橋の幅は広く、この荷馬車が10台並んでもすれ違えるそうだ。対岸までも中々の距離がある。
「圧巻だ。人間達の建築技術は、エルフとは比べ物にならないな」
「へへ、そりゃあ人間冥利に尽きるねぇ。この橋の内部には管理部屋と牢獄があってね。犯罪者が逃げられないような仕組みなんだよ」
「逃げるには、崖下に落ちるしかないからか?」
「その通り」
崖下は浅い川。
これも、歴史を感じさせる用途だ。
今も、私の足元に犯罪者がいるのだろうか。
リルーセアーチを渡りながら、ラガラゴは観光案内を続ける。
「この橋を境に、町は東西に分かれているよ。西は新市街、僕たちが今いた東は旧市街だね。僕の拠点は新市街だ。あと、宿も商店も新市街に固まってるからね。夜でも橋は渡れるし、夜景も綺麗けど、危ないからやめておいた方がいいよ」
ラガラゴの話を聞きながら、周りを見渡す。
橋の南に目をやると、広い平原の向こうには荒野が続いていた。長い崖の果ては、視認できない。
橋の両端には街灯が並び、明るさと風情を醸し出していた。彼の言うように、日が落ちるとより幻想的な景色となるのだろう。
「私は今日、どこで寝ればいい?」
「僕は自分のとこの組合で寝るけど、君の分は宿を押さえる。身分証明証の発行は数日かかるから、それまでその宿を拠点にしてもらっていいかい?」
「構わない、助かる」
「いいさ。でもその分、割増料金だからね?」
ラガラゴは商人の笑みをする。こういったやり口も、商人らしい。裏表も無く損得勘定で動くだけ、分かりやすくて好ましい。
崖の傍にある中流の宿を押さえてもらい、ラガラゴと別れた。
管理人もおらず、ただ寝るだけの宿であるが、私の立場からすればこれ以上の宿は無い。その上、窓からの景色も良いのだ。
一息ついて、夜のリルーセアーチを眺める。
「……お腹がすいたな」
今は景色よりも夕飯だ。
とにかく腹ペコだ。ぐぅぐぅと鳴る腹をさする。名物の美味しいパンを食べたいが、酒場は崖下か。
高い崖を下るのは面倒だが、空腹は我慢できない。おやつ替わりに食べていた虫も、既に底をついていたのだ。
青銅貨を1枚だけ抜き取り、私は外へと繰り出した。
リルーセ渓谷からは、明かりが見えた。崖下にある酒場の明かりだろう。長い階段を下り、明かりが灯る場所へと向かう。
川は想像していたよりも浅かった。私の身長分の高さだ。
川べりを歩き、喧噪が一際大きな、明るい酒場を見つけた。看板には、『出会いと別れの酒場』と書いてある。
「いらっしゃーい! 空いている席へどうぞ!」
「ここの名物と、パンが食べたい」
「はーい、少々お待ちを!」
カウンター隅の一人席に座り、酒場を見渡した。窓からは夜景と川が見える。不思議だ、ここが崖下とは思えないな。
酒場の喧噪は男達のものだ。仕事終わりなのか、作業着風の者が多かった。女性客は少ないせいか若干の視線を感じる。
……ここで騒ぎは起こしたくないな。顔が見られないように、寝たふりをして料理を待つ。
「はぁいお客さん! リルーセ名物、川魚の酒蒸しとパンでぇす!」
目の前に置かれた魚から、にんにくの良い香りが漂ってきた。
ラガラゴよ、ちゃんと名物料理あるじゃないか。ふふふ……。
「ぐぅー……」
「あらぁ? 可愛いお腹の音ですね! ごゆっくり~!」
……確かに腹の虫は正直なようだった。