77 金貨の価値に変わるもの
少し強めに精霊の炎を呼び寄せたら、体に力が入らなくなって倒れた。
頭痛が以前よりも悪化している。
鈍痛というか、少し体を動かすだけでもずんずんと重い痛みが私を襲い続ける。
「……早く……行くぞ」
「いや、僕いま君を背負ってるよね?」
私はそのままヒタリ担がれて、牢屋を抜け出していた。
ヒタリは力が弱いのか、私を背負って歩くのにひぃひぃ言っている。重いわけでは……無いよな?
しかし、ここで検証できてよかった。いざと言うときに精霊を呼んで倒れたら元も子もない。これから呼ぶ時は今まで以上に気を付けなければ。
「それで、どこに向かっているんだ?」
「ベッドさ。まず君は、まともに歩けるようになるまで宿で寝ていてもらおうか」
「……分かった。悪いが、私がちゃんと死んだ事になっているかどうかの確認だけは頼みたい」
「了解だよ、馬面のお姫様」
猫の仮面をつけたヒタリは、まだ私を煽る余裕があるようだ。
監獄の裏口らしき場所から外へと出る。何日ぶりかの温かい光だ。だが外の様子を見ようにも、この馬の被り物のせいで視界が狭い。
ヒタリは武器商人らしき人物と会話をしながら宿へと向かう。盗み聞きした内容から察するに、クィン・カラの自警団らしい。それが戦争を止める側か、煽る側かは分からない。
「お姫様、そろそろ歩けるかい?」
「まだ無理そうだ。あと姫はよせ。フレデでいい」
「ここまで介護させておいてどの口が言うのさ?」
否定はできない。
宿へと入り、ベッドへと寝かされる。
柔らかい布団だ。体の力が抜ける。
「あぁ! 僕は疲れて死にそうだよ!」
「背負ってもらって言うのもなんだが、もう少し体力を付けたらどうだ?」
「いや君重いよ!」
「し、失礼なやつだな!」
ヒタリは大げさに両手を上げ、椅子にどんと座った。机に置いてあるパンをかじり出す。
「……ふと思ったんだが、この国の上層部も黒森林の呪いを受けている可能性があるんじゃないか? 国家間会議でナジャがどうも不穏な空気を感じたらしくてな。そこで呪いが感染拡大したのかもしれない」
「国家間会議ねぇ……。小国群の誰かは出てるとは思うけど、ネックロンドじゃなと思うよ。この国は全てが弱っちいからね。というか、呪いってそんなに簡単に拡散するものなの?」
「とある水を飲むだけで呪われる」
「……それは怖いね」
私も飲んだかもしれないその水。
情報が知れ渡ると、悪用する者も出てくるだろう。
クルのような魔獣がポンポンと出てくる事態は……流石に無いと思いたい。
「それで、そろそろ詳しく説明してもらえる? どうやってカルドレロから取り立てるのかを」
そう言うと、ヒタリは私にパンを投げた。それを横になりながら受け取る。手の握力はまだ完全には戻っていないのか、軽く掴むだけで震えていた。
かぶりと噛みつき、説明を始める。
「教える前に、蛙も食べたい。栄養が偏っていて不安なんだ」
「冗談だろう? ……冗談だよね?」
食べたいのは本当だが、意地悪はやめよう。
「ふふ、冗談だ。私が思いついた方法は2つあった。結論から言うと、その両方とも必要だ」
まず一つ目。
これは既にヒタリに話した内容だ。
カルドレロで行われる武闘大会には今回、竜の姫君であるナジャが出場する。私は彼女とそこで落ち合う予定となっていた。
ナジャの仕事は揉め事の処理や第三者視点での仲裁。今回のクィン・カラとカルドレロの状況は、それに該当する。人間のどこかの国に肩入れする訳でもないからだ。特にこの額の大きさは問題で、これを放棄するとなると火種になるのが目に見えている。彼女も無視はできないはずだ。
「いやぁ、本当に伝手があったとはね。正直助かるよ。僕らも彼女に連絡を取ってみたんだけど、全くいい返事を貰えなくてね」
「彼女は忙しいからな、最終的な仲裁までの時間を取ってくれるかは分からないが、武闘大会の時期ぐらいは動いてくれるだろう」
忙しいと言っても、結構な気分屋だ。
「それで、もう一つの案は何だい?」
「カルドレロの武闘大会だ。それを利用させてもらう」
「……はぁ? あの優勝賞品が夢とかいう、かなり胡散臭いやつ?」
「お前が胡散臭いと言うと説得力があるな」
「詐欺師とは夢を売る商売だからね」
違いない。
「欲しいのはその賞品では無い。カルドレロの保有する金貨80,000枚分の価値だ。それを奪い取る」
「価値?」
カルドレロが支払える金貨は持っていないだろう。だったらそれに代わる価値を持つ何かを差し押さえる。ヒタリとクィン・カラが、これは金貨80,000枚の価値があるぞと納得すればいいのだ。
「賭博場とは、胴元が絶対に負けないようになっているらしい」
「それは知っているけど……何だい、上納金でも奪う気かい?」
「いや、違う。賭博場の売上や場所自体を貰う訳でもない。クィン・カラの名義があれば賭博場を運営できるという義務を生み出すのだ。ナジャの力を悪用してな」
「義務……?」
その時だ。
部屋の扉がコンコンと叩かれる。
「……ヒタリ様、急ぎのご報告が」
「何だい?」
ヒタリが扉を開けて外に出た。
ひそひそと話をし、部屋に戻って来る。
その内容を、私のよく聴こえる耳はとらえていた。
「姫、まずい事になった。もうすぐネックロンドの国境門が封鎖される」
――
北部小国群の評議会から戻ったばかりの議員たちは、クダンから今日発生した事件の報告を聞いて焦っていた。
「貴様、何と……何と馬鹿な事をした!!」
クダンと見張りの兵士は、ネックロンド監獄の入り口で怒鳴りつけられていた。その声は牢屋にまで響き渡る。
フレデチャンが焼身自殺した。
次の対策を検討しようと頭を捻っていた議員たちは、まさかそんな呆れた報告を聞くとは思ってもみなかった。
「金貨1,500枚の損失だぞ、何ということだ!!」
「我々は一体何をしに……」
力が抜けたのか、議員の一人がその場にへたり込んだ。
「まずは現場を見せてくれたまえ……」
「……承知しました」
項垂れたクダンは見張りの男をひと睨みし、案内しろと顎で命令を下した。見張りの男は議員たちを連れて、フレデチャンが燃え尽きた牢屋へと向かう。
辿り着いた場所は黒焦げの牢屋。それはフレデチャンが燃えた時のまま残っていた。誰もが呪いを恐れて、清掃する事が出来なかったのだ。壁には人型らしき黒い影が焼き付けられ、炎の強さを物語っている。
「あの影がそうか」
燭台の明かりだけでは状況がよく分からない。
「はい。あそこでよく寝そべっておりました」
「そこに落ちている武器は何だ? 随分と錆びているが」
「……あれは奴の呪われた武器です」
クダンがそう言うと、議員たちは気を引き締めなおした。
呪い。
その一言が、冷ややかな空気を生んだ。
自分たちがこの場にいても平気なのかすら、誰にも分からない。
「時間を戻すことは出来ぬ。今後の事を考えねば」
「市中でも我々が黒エルフを捕えたとの情報も流れておった。一度討伐組合に現場を確認してもらい、少しでも報酬が貰えるか伺いを立てるのはどうか?」
「報酬は厳しいでしょう。こんな焼け跡なんていくらでも偽装できる。クダンよ、あの死体が偽物だという証拠は無いか?」
「……ここの牢屋にいたすべての人間が、あの女が燃える姿と叫び声を聞いています」
「奴等は犯罪者だぞ、証人の価値があるものか! 使えぬゴミ共め!!」
議員たちはクダンと見張りを見下す。
気まずい沈黙が牢獄を覆う。
そして、一人の議員が重い口を開いた。
「……全ての責任は、見張りのお前だ」
見張りの兵士は驚き、目を見開く。
予想だにしていなかった言葉だ。
小汚いネズミが一匹、兵士の足元を横切る。
クダンは誰にも悟られぬよう、俯きながらニヤリと口元を歪めた。




