72 ネックロンド監獄
まるで、晴れた日の朝の挨拶。
右隣りの牢屋からだ。
「こんにちは。この部屋は落ち着いていて気に入った」
「おや、流石は黒エルフ殿だ。でも、誰もが入りたい訳じゃないんだけどね」
「そうは言うが、ここはかなりの人気物件じゃないか? 見た感じ、満室のようだったが」
「すぐに入れ替わるさ。大体2日で1部屋だね」
かなりの頻度だな。
ざっと見て10室程の牢屋だった。この男の話が本当であれば、全員20日以内に収監されたばかりだと言う事か。
「ここの皆は家賃を滞納してるのさ。クダンの奴に手や足、耳や鼻といった身体の一部を支払って出て行くのがここの決まりでね」
「収監されたばかりにしては、お前は随分と詳しいな?」
「……くっくっく、黒エルフも大した事ぁねぇな」
「おい黙って聞いてようぜ、へっへっへ……!」
……どうやら、この男と私以外に喋っていない様子を考えると、全員がこの話を聞いているな。全員で私を騙しているのか、それとも様子を伺っているのか。
監視の兵士は牢屋の扉の外。私たちの話し声は聞こえているはずなのに、注意をしようともしない。
「ネックロンド監獄は刑が甘っちょろい事で有名でね。まぁ犯罪者を捕えておく事が金貨に変わるわけじゃないから、殺さない程度に刑罰を与えてさっさと追い出すんだよ。だって、この国の犯罪者の数は多すぎるからさ」
「そうそう、屑男代表のクダンちゃんに体を売りゃあすぐにでも出して貰えるぜ、女ぁ?」
「へっへっへ、そんときゃこの通路で頼むぜぇ」
まるでお手本のような低俗っぷり。
メイシィが好きそうな輩だ。
……あいつは今頃、何をしているんだろうか。
「僕はヒタリ。よろしくねフレデチャン!」
「ヒタリ、お前は何の罪を犯したんだ?」
「僕の罪? 僕はただの商人だよ。ちょっとばかし金勘定を間違えたのさ」
「嘘吐けや戦争屋ぁ!」
「クィンの詐欺師だぜそいつぁよ!」
クィン……まさか、内戦中のクィン・カラの事か。
「まぁそうかもね、この口が商売道具さ」
「そうなると、お前の今までの話は全く信用できないな」
「それならそれで構わないよ。僕の希望は最初に言った通りさ。隣同士、仲良くしようよ!」
実に胡散臭い男だ。
だが、今は少しでも情報が欲しい所。
この機会を利用したい。
「さっき兵士が怪我をして走り抜けて行ったけど、やったのは君かい?」
「そうだ。だが、私の意思ではない。この呪いは敵意ある者に対して勝手に反撃するんだ。嘘にも反応するから気を付けろ」
「おぉ、そりゃあおっかない!」
詐欺師というだけあって、その反応は大げさで胡散臭い。
「ねぇフレデチャン、その力でさっさと逃げればいいんじゃないかい? 何なら出口まで案内するよ?」
「結構だ。まだ脱獄する気は無い」
「へぇ、理由を聞いていいかい?」
「武力を持たない人質が沢山いるんだ」
「……なるほどねぇ」
ヒタリは察したようだ。
考えてみれば、キールベスの人々も私と同じように脅されているのかもしれないな。下手な行動をすると白森王を殺すぞ、と。
だが正直その方がいい。私のために行動して何かを失うだなんて絶対に駄目だ。
「ところで、さっき君はクダンに交渉していたよね? エルフの財宝って聞こえたんだけど」
「言ったが、気になるのか?」
「気になるねぇ!」
「何だ女ぁ、本当にあんなら教えろよ!」
調子の良い時だけ口をはさむ連中のようだ。
「いいだろう。……これは、私がマグドレーナの国王だった頃、流れの狩人に聞いた話だ。マグドレーナの東端から北東に4日間ほど歩くと、魔獣の巣穴がある。中は入り組んでいる上に、凶暴な魔獣だらけで入ることができない場所だ。だがその狩人は危険を承知で洞窟へと侵入した。そして、最奥に古代エルフの王の墓らしき小部屋を発見したそうだ」
「それでどうなったんだい?」
「……狩人は魔獣が多すぎて手を出せなかった。だが気になった彼は、里に戻って過去の文献を漁った。調べた結果、宝物庫だという事が分かったそうだ。私の聞いた話はここまでだ」
「面白れぇ話じゃねぇか、抜け出したら行って見るぜ、へっへっへ」
「まぁ嘘かもしれないがな」
「嘘かよてめぇ!!」
周りから野次が飛ぶ。
さて、詐欺師はどう出る?
「……実に参考になったよ! その話、僕がクダンに使ってもいいかい?」
「やめてくれ。私の交渉材料だ」
「冗談だよ。面白い話を聞かせてもらったから、僕からのお礼だ」
ヒタリがそう言うと、見張りの兵士が私の牢屋に草を投げ込んできた。
……なるほど、見張りは籠絡済みか。
この草は……うわ、オリヴィエ草だ。これは助かる。
「これは先行投資だよ。僕は商人だからね、儲け話が大好きなのさ」
「……なぁヒタリ、お前はなぜこの牢屋にいる?」
見張りを篭絡済みで出口も知っているなら、いつでも脱獄できるはずだ。
「僕も君と同じさ。武力を持たない人質が沢山いるんだ。彼らを救う方法が無ければ、僕はこの職務から逃げ出す事は無い」
「そうか。一応聞くが、お前は聖職者ではないよな?」
「はっはっは! 違うよ。免罪符を売るのは、カラの聖職者だけで十分間に合っているさ!」
詐欺師らしい返答だ。
カラでは何らかの宗教が広まっているようだ。戦時中の悲惨な状況がそうさせるのだろうか。
ひとまず、ヒタリはこの牢屋に詳しい事は分かった。
オリヴィエ草を食む。
だが、先ほど兵士の腕を切った時の精霊術による頭痛は治らない。以前よりも、痛みが悪化している気がする。
「いやぁこの監獄は暇なんだよね。フレデチャンのような面白い人物がやって来てくれて嬉しいよ」
「誰も入りたい訳じゃないんだがな」
「そうそう、それだよそれ」
皮肉が好きなようだ。
「ヒタリ、私を捕らえた黒幕は誰だ?」
「随分と核心に迫るね」
「私は時間とも戦っているんだ。何せ、この身がいつ自我を失って隣人を襲うかも分からない」
「はっはっは! ……それは悪い冗談だね」
そこで会話が途切れた。
他の男達も静かになり、沈黙が続く。彼らの脳裏には、手首を切り落とされた兵士が走って行く姿が残っているだろう。世間に広まっている黒いエルフの情報は未確定な部分が多いが、恐怖心だけはしっかりと植え付けられている。
詐欺師は頭を働かせているのだろう。
自分のもつ情報と、自分の命を天秤に乗せているのだ。私を隣に置いてお喋りするのがいいのか、さっさと追い出してしまう方がいいのか。
例え私を会話で篭絡したとしても、いつか暴走するという危険性が残る。もし私がヒタリならば、隣にいる黒いエルフは危険でしかないと判断する。
「……流石、白森王と呼ばれるわけだ」
「その呼称は見た目からだがな」
そうして、ヒタリはこの国の現状を話し出した。
――
北部小国群の評議会。
各国の代議員達が円卓に座り、一人の男を嘲笑っていた。
「約束が違うではありませんか!!」
その男、ネックロンド国の議員が声を荒げる。
「約束はフレデチャンの首だけを差し出す事だろう? 生きたままでは危険すぎる」
「しかし、奴は今までの黒エルフとは違って上位の存在らしいじゃないか」
「こちらまで呪われてはかなわぬ。プロヴァンスやリゼンベルグのようになるのだぞ」
「ネックロンド国が殺せないなら、我が国の兵士を貸し出すぞ? その場合、金貨1,500枚も名誉も頂くがな、はっはっは!」
小国ネックロンド。
小高い山と川が隣接し、街道も走っている。小国群の中でも立地の良い国だ。
だが、その実態は非常に脆弱な国だった。
小国群に加盟する以前はよかった。
問題は加盟後だ。
北部小国群の共栄共存という高い志に感銘して加盟したネックロンド。だが、実際は酷く腐敗した組織だった。まんまと騙されたネックロンドは資金を小国群に吸い取られ、急激に疲弊していく。
特に致命傷だったのは、街道の警備だ。
長い街道を小国群から当てられた少ない予算で警備する事となり、その結果、ほぼ誰も警備をしない無法地帯の道となった。それを知った山賊たちは次々と行商人を襲い始め、そのうち行商人が通らなくなった。
その影響で町の治安までもが悪化し、商人たちに限らず、住人までもが次々とネックロンドを離れて隣国へと流れて行った。
討伐組合の運営費と野盗対策、それに監獄の管理費による財政の圧迫。あっという間に求心力が無くなった。そうしてネックロンドは小国群の属国にまで転げ落ち、小国群でも立場を失いつつあったのだ。
そこで彼らは、この状況を打開するためにフレデの討伐を進める事にした。周囲の人間は、そんな真似が出来る訳が無いと甘く見ていた。
だが、ネックロンドは捕らえてしまった。
焦った小国群の他国は話し合った。
今回の黒エルフは今までとは違い、殺すとその国が呪われるらしい。その真偽は定かではないが、今までのフレデチャンの実績から、王城の崩壊ぐらいは軽くやってのけると考えていた。
加えて、討伐組合は首が無ければ懸賞金を支払わない。
つまるところ、黒エルフをネックロンドから出さなければいい。
そう判断した彼らは、水面下で結託していた。
「まぁその功績は素晴らしい。しかし、危険が去ったのではなく、逆に危険を呼び込んでおるではないか?」
「そうだ。さっさと処分しろ、はっはっは!」
「大仮装行進も近い。それまでに何とかしたまえ」
「っぐ……!」
議員たちは言いたい放題だ。
だが、何も言い返せなかった。
フレデが捕獲されて、まだ数日。
「なんとかせねば……」
ネックロンドは、逆転の芽を探っていた。




