71 図る女王
第五章開始です。
毎日1~2話の更新を予定しておりましたが、コロナの影響で慌ただしくなるため、1~3日に1話の更新になります。申し訳ありません。詳しくは活動報告にてご報告いたします。
暗く冷たい石の床。
天井からは、ぽつぽつと水が滴る。
私は暗い牢屋の中で倒れていた。
ここはネックロンド国と呼ばれる小国群の一つ。現在位置は分からないが、この国にある監獄の最奥だろう。いざ私が暴走しても、国の重鎮が逃げられる時間を稼げる程の距離にあるはずだ。
そして、この牢屋はかなり厳重だった。
分厚そうな石に囲まれた、完全に真っ暗な部屋の中。逃げ道は無く、あるのはネズミの巣穴のみ。
食事の際にだけ鉄扉の小窓が開かれ、腐りかけの芋が投げられる。これは毒物に近いが、毒は好きだから食べた。
近くで、ネズミがカサカサと動いている。
ネズミは病原菌の媒介の代表だ。山にいる種はまだましだが、危険なのは都市の下水にいるネズミだ。大抵何かしらの病気を持っている事が多い。
だが、そうは言っていられない。
「……ぐぅ~」
私は食事を制限されていた。
だがネズミを捕らえようにも、暗すぎてどこにいるかも分からず、耳で音を追っても体が追いつかない。私の腕はやせ細り、少し動くだけでも辛くなっていた。
殺せないのならばとりあえず疲弊させておけ、そんな指示が出たのだろう。ネックロンドの奴等も、黒いエルフをどう処分すればいいのか判断に迷っていると思われる。
――私はこのまま死ぬかもしれない。今は、そんな気にさせられていた。
「……キイ、お前は逃げないのか?」
「キーキー!!」
このネズミは話し相手だ。
たまに食べたくなるが、キイは捕らえようとする私の手を上手く避ける。
ここから脱獄するのは簡単だ。精霊術を行使すれば出来るだろう。だがそうなると、キールベスの人々がどう扱われる事になるのか、それを考えると行動を起こせなかった。
身動きが取れなくなって、今日で5、6日といった所か。
もはや、今が朝か夜かも分からない。
そんな時だった。
扉の小窓が開く。
部屋に光が訪れるのは、この時だけだ。
と思ったら、今度は扉が開いた。
私を捕らえた男、クダンが立っていた。
「黒エルフ、立て」
「……どういう風の吹き回しだ」
「黙れ、さっさと起き上がれ」
こいつを含め、結局私に触れた者はいない。私もキイと同じで、病原体のような扱いをされている。
「体に力が入らない。食事を寄こせ」
本当に、もう立ち上がる力が無かった。
「……チッ、おい持って来い」
兵士の一人が芋を持って来た。
そんなに近くにあったのか。
クダンは受け取ると、それを私の顔に投げつけた。
「うぐっ……!!」
「ははは、これはいいな。何だ、呪いが襲って来るんじゃないのか? ……糞エルフが!!」
「……ぐぅ……!!」
倒れたまま、顔を手で覆う。
クダンは、何度も芋を投げた。
骨と皮だけになった私の手に当て続け、切り傷からは血が流れ出る。
「悪くないな、ははは! 明日までに全部食って歩けるようになれ。いいな?」
そう言うと、クダンは部屋から出て行った。
がちゃりと扉が閉まり、牢屋は再び暗闇に包まれる。固い靴の音が遠ざかって行った。
「……キイ、良かったな」
これで食事を得る事が出来る。
私一人だったら、心が折れていたかもしれない。生存欲と食欲を掻き立てる相棒に感謝した。
――
翌日、私はコートを羽織り、石壁の通路を歩み進んでいた。
来た道とは違う方向だ。
円形の塔らしき階段を上り、暗い建物の中をぞろぞろと進む。
しかし、この呪われた体は本当に凄い。芋を腹一杯食べただけで体の衰えがさっぱり消えた。擦り切れた傷も一日で治り、階段も悠々と上れている。
ただリゼンベルグで倒れた時のように、今は栄養が偏っているるのが心配だ。それに、芋の毒と病原菌に感染している可能性も無くはない。
「どうせなら虫と毒だけで成り立つ体にして欲しかったな……」
「おい、黙って歩け!」
口に出ていたようだ。
兵士たちは私の周りにいるが、決して私に触れようとしなかった。だが先日、クダンが芋を投げたことで少し恐怖心が薄れているようだ。後ろの兵士が、槍を私の腰に軽く小突かれた。
……全く痛くないが、利用させてもらうぞ。
「ぐわあああ!」
「おい!」
私はきっと、役者には向いていない。
だが……来い、森の精霊。
そう念じた瞬間、植物の根が石の床を突き破り、槍を持つ兵士の手首を切り裂いた。
「……あ……あああああぁ!!!」
兵士の膝が崩れる。
「黒エルフお前ぇ!!」
「……っつ、やめておけと……言っただろうに」
頭がズキリと痛み、眩暈が襲ってきた。
刺された腰を抑えて誤魔化す。
「やめろ、てめぇら手を出すな! おい、誰かその馬鹿を連れて行け。……立て糞野郎、早くしろ!」
クダンが今後も手を出してくるかは分からない。
だが、恐怖心は与えた。
ふらつきながら立ち上がり、そのまま暫く進んだ。
すると、いくつかの鉄格子の並ぶ一角にたどり着いた。ぼんやりと松明が照らし出すそこは、先程いた場所とは違った一般の牢屋のようだ。
「おぉ? いい女じゃねぇか!」
「脱げよ女ぁ!」
「おい俺が可愛がってやるぜぇ?」
「こっち向いてくれよ、おいぃ!」
先導するクダンが武器を床に突き、鈍い音が牢屋中に響く。
「黙れ屑共! ……こいつはあの黒エルフだ。貴様ら屑共には、この女に好きに触れる事を許可する。その結果、どうなるかは知らねぇがな! はっはっは!」
「クダン、お前は私に触る勇気が無かったんじゃないか?」
「言われてんじゃねぇか兵士さんよぉ!」
「おい、てめぇが触れよクダン!」
「黙れ貴様ら!!」
誰も彼も、まともな者はいなさそうだ。
「さっさと入れ!」
後ろの兵士に槍を向けられ、目の前の牢屋へと入る。
内部を見渡す。
鉄格子で通気性が良い。それに、少し薄汚いが寝る場所とトイレがある。床と壁は石、天井は土か。簡単に脱獄はできそうだ。さっきまでいた部屋よりもかなり快適である。
「貴様はこの牢屋から出る事を許されていない。せいぜいこいつらと仲良くやれ」
「クダン、交渉してやる。エルフの財宝が欲しくないか?」
「……糞エルフ、二度と俺に話しかけるな」
牢屋の鍵が閉められ、兵士たちが去って行った。
「うひょーたまんねぇなおい、早く漏らしちまえよぉ」
正面の牢屋にいるのは下品な男のようだ。
さて。
寝床に座り、考えを整理する。
目下の急務は栄養補給だろう。ここで再び芋が出てくるとなると何か対策が必要だ。
あとは、クダンに蒔いたエルフの財宝と言う情報の種。私を捕縛するほど金に困窮しているのであれば芽吹くかもしれない。これはあくまで最後の保険だ。
そして、小国群のネックロンドに私が捕えられたという情報は、キールベスから広まっているはず。近いうちにナジャの耳に届くだろう。
だが、彼女はあくまで中立の立場。ラシュネリで私を守ったが、今度は討伐組合とやり合う事になる。動いてくれる可能性は高いが、そこまでの迷惑をかけられない。
ここは、自力での脱獄を図るべきだ。
「おい、飯だ」
兵士が投げつけてきたのは黒い泥のような食事。カランと皿が床でひっくり返る。見るからに栄養が無く不味そうだが、私はこういうのがたまらなく好きだ。
「ありがとう」
兵士を見て微笑むと、不適な笑みを浮かべていた兵士が、急に照れた様子で去って行った。
脱獄の手段に繋がる手は、全て打つ。
だが、脱獄するとキールベスが狙われる。結局は、これが私の全てを制限していた。
私の手札は、精霊術と暖かいコート。
さて、どうしたものか……。
「――やぁ、こんにちは。お隣同士仲良くしようよ」
隣の牢屋から、爽やかな声の男が呼びかけてきた。




