67 クル②
舞台袖には、グランデ劇場と書いてあった。
劇場を縫うように走りながら、支配人に話しかける。
「メイシィ! 私は光の勇者が見たいんだが!」
『光の勇者ですかぁ? 大好きですねー』
その声で、クルが私に気付いた。
だが遅い。
壇上に現れたのは、リゼンベルグで兜を被ったあの光の勇者。
その鋭い剣は光を纏いながら、クルに向かって振り下ろされた。だが勇者は夢の中でも演技をしているつもりなのか、剣速がやたら遅い。クルは武器が触れる前に飛び掛かり、光の勇者を一撃で消滅させた。
駄目か。やはり楽な戦いでは無い。
双剣がクルに届く前にクルがこちらに振り向いた。
急停止して構えを変え、クルの攻撃に備える。
「ところでメイシィ、ここは空飛ぶ劇場船か?」
『もちろんですよ、ほら』
「ぐうううっ……!!?」
「グアアアアアアアア!!!!!」
突然、物凄い圧力が体にのし掛かり、地面にへばりつく。
これで飛んでいるつもりなのか……!
全く身動きが取れない。だが、クルはかろうじて動けるようで、涎を垂らしながらゆっくりと私の元へ近づいてきた。
「ぐ……メイシィ! ここが空の劇場なら、空から落下する演技も当然あるよな!?」
『わぁ、それは考えて無かったです。流石フレデさん、面白い意見ですねぇ』
その瞬間、劇場の全ての物が消失した。
床も壁も天井も、何もかも。
私とクルだけが夜空へと放たれ、自由落下を始めた。
「やりすぎだああぁ!!」
壇上のクルだけを落下させてほしかったのに!
精霊術は……っく、使えない。暗闇で地面は見えず、いつ着地するかも分からない。
「メイシィイィ! 舞台を変えよう! やはりお前の劇場がいいいぃ!」
『えぇ? フレデさんは我儘ですねぇ。でもいいですよ、私の劇場は色んな仕掛けを入れるつもりなんです』
その瞬間、私とクルは劇場の舞台の上へと戻った。
着地なんて存在しなかった。
気付けばそこにいる。そんな感覚だ。
『まず、天井の照明が落下して演者が死ぬんです』
「おい待てメイシィ!!」
舞台を見上げると、巨大な照明が天井から降って来た。
冗談じゃない!
正面からはクルの突撃。
斜め後ろに飛び上がり、クルの衝撃を受けつつ、あえて後方へと飛ばされる。劇場の2階席の壁に打ち付けられた。
「ぐっ……!!」
クルは落下してきた照明に潰されたが、頭を左右に振って起き上がった。頑丈な奴め。
『そして水や霧が現れて、お客さんも巻き込んだ演劇を繰り広げるんです。もちろん風もありますよ!』
「勘弁してくれ……」
私は腕と肩から出血していた。
休む間もなく、今度は劇場の壁中から水が流れ出てくる。渦巻く水流に連れ去られないように必死に手すりにしがみついた。そしてクルは……まずい、泳げるようだ。2階席が水で埋まり、クルが咆哮を上げながら迫ってきた。
「メイシィ! こんな空飛ぶ劇場があるわけがないだろう!
空と地面が入れ替わる方がマシだ!」
『それもいいですねぇ』
その瞬間に水が消滅し、床と天井がくるりとひっくり返った。
「ぐううぅ……!!」
床が天井に、天井が床に。
落ちないように手すりに腕を絡める。
クルは天井へと落下し、背中から尖った照明に突き刺さった。メイシィの妄想力による一撃だが、あんな危ない照明を客席に作っちゃだめだろう。
「グアアアアア!!!!」
悲痛の声を上げる。効いている。だが、不利なのは私だ。
しがみついた片腕とローブが手すりに固定されて身動きが取れない。そのまま宙ぶらりんで、辛うじて落下を免れている。もう片方の腕からは血が滴り落ちていた。
クルは起き上がって私を見上げ、飛びかかろうとしている。
……まずい。
考えろ。どうすればいい。
重要なのはクルよりもメイシィの感情だ。
メイシィの憎いものをクルにぶつける。
これしかない。
クルが飛び上がった!
「メイシィ、観客席に巨乳の竜がいるぞー!!」
『巨乳は全員敵です!!』
クルの爪が私に届く瞬間――。
メイシィの叫び声と共に、ぱぁんと空気が弾けるような音が鳴り響く。目の前にまで迫っていたクルが、突如見えない壁のようなものに押しつぶされた。
「グアアェエ……ェ……」
平べったくなったクルは、黒い血を流しながら落下していく。そのままずしんと天井に落ち、劇場内に静けさが戻った。
「ふぅ……」
ローブを千切って着地し、クルの様子を伺う。完全にぺちゃんこだ。骨も砕けていて肉の塊のようになっていた。
何とかなったか……。
しかし、巨乳の竜で倒せるとは。
『巨乳で思い出しましたが、美味しい饅頭が食べたいですねぇ』
メイシィがそう言うと、舞台にどどっと饅頭が降って来た。
呑気なやつだ。
「メイシィ、そろそろ目を覚まそう」
『もう少し寝たいですぅ』
「おい……」
――
……ザーザーと、波の音が聞こえる。
瞼の裏が明るい。
目を開いた。
「ううぅ、寒……」
砂の上で眠っていたようだ。
起き上がり、服についた砂を払う。
長かった……。
クルを倒した後、メイシィの滅茶苦茶な夢の中で数時間を過ごした。襲い来るメイシィの我儘な攻撃をかわしながら。あの状況で私が間違えた発言をしたら、私もクルのようにぺちゃんこになっていたのかもしれない。
メイシィも目を覚ましたようだ。天幕の中でもぞもぞと動いている。そのまま起き上がり、こちらを見た。
「おはようメイシィ」
「フレデさん……何だかとても幸せな夢を見た気がします」
「そうだろうな……」
消えかかった焚火に着火する。肉体は寝ていたはずなのに、妙な疲れが溜まっていた。
メイシィが隣にやってきて横になる。
「指先が寒いですねぇ……」
「死んだ虫みたいな恰好だぞ」
「いい皮肉ですねぇ……」
「おい、寝るな」
メイシィの夢が怖い。
「そういえば、クルはどうなったんですか?」
「クルは……」
海豹の集団の中に、黒い竜が一体横たわっているのが見える。その瞳から光は消えていたが、体からは黒い靄を発していた。
あの靄は放置すると厄介だな。クルの死体を食べたり呪いが乗り移ると、第二のクルが生まれかねない。
焚火の火を利用した簡易的な松明を作り、メイシィと共にクルの元へと向かう。
「本当に近くで寝るだけで倒せるだなんて。なぜジュラ―ルさんたちは寝なかったんでしょうね!」
夢の中の出来事は覚えていないのか。
「そうだな。色々と事情があるんだ」
クルに油をふりまき、着火する。
元が海豹だった影響で脂肪が多いのか、着火と共にクルの全身が燃え上がった。周囲の海豹たちはそれを見て目を丸くしている。いや、元から丸いか。
食べようと思わなかった魔獣は久しぶりだ。
だが、腹は減った。
「……ぐぅー」
腹の虫の鳴き声で、海豹が海へと去って行った。そんなつもりは無いんだが。
燃え上がるクルを眺めながら食事を準備する。本日の朝食は、波打ち際の岩にびっしりとへばりついた黒い貝だ。
「えぇ……それも食べるんですか?」
「食べれるぞ。これは高級食材だ」
イガイと言うらしい。軽く下処理を済ませ、即席で作った焼き場に並べて火を通す。食欲をそそる香りが漂ってくる。
「あぁー、美味い……。メイシィも食べるか?」
「匂いだけにしておきます!」
「食わず嫌いは損だな」
身体が温まってきた。海風が心地良い。
「フレデさん、キールベスに戻ったらどうするんですか? 山道はもう雪で閉ざされているんですよね?」
「暫くはジュラ―ルに協力して出来る事をやるつもりだ。呪いの件も気になるし。やる事がなければ、図書館で読書をして時間を潰そうと思う」
「あ、そういえばジュラ―ルさんで思い出しました! フレデさんはジュラ―ルさんと結婚するんですか?」
ジュラールと結婚かぁ。
「……いや、んー。何というか良い人物なんだがな」
「煮え切らないですね!」
「申し訳ないが、正直好みでは無い」
「あらあらぁ~? 残念ですぅ~!」
何でちょっと嬉しそうなんだ。
というか今は恋に現を抜かしている場合じゃない。
「それよりもメイシィ。雪が解けたら、私は一旦プロヴァンスへと戻ろうと思う。ミルグリフ王子の呪いを解いてやりたい」
「ミルグリフ王子って誰ですか?」
「……エルレイの兄だ。お前の義兄だよ」
ロドリーナも心配しているはずだ。
そういえばナジャからは聞けず仕舞いだったが、国家間会議の場に出席した人々、彼らも呪いにかかっている可能性がある。気掛かりだが、ひとまず今は頭の片隅に留めておこう。
「メイシィも結婚式があるだろう?」
「いやぁ、エルレイ様も大事ですが、まだ劇場船の出資金が足りないのでもう少し旅をしますよ。結婚式も言い訳を作って先延ばしにしてますから!」
流石はメイシィ、まさかの回答だ。
相手は王子だがお構いなし。
「待たせるのも程々にな。私はプロヴァンスでやる事を終えた後、カルドレロの武闘大会か、時間があれば黒森林の奥へと行ってみようと思う」
「黒森林の奥って、ジュラ―ルさんが言ってた地獄みたいな場所の事ですか?」
「そうだ」
例えられているのは死後の世界。私の記憶と呪いについて、何か出口を掴めるかもしれないのだ。
「ナジャとカルドレロで会う約束をしているから、メイシィはその辺で遊んでおいてくれ」
「!! 分かりました。種銭は沢山あるので、数倍に増やしておきますね!」
急に元気になったかと思えば、賭博するつもりか。これは負けるやつだな。
「……さて、そろそろクルの様子を見に行くか」
クルの炎はほぼ消えていた。黒い靄は煙のように霧散している。最後に残っているのは、骨か皮か分からないようなクルの残骸だ。討伐の記録として、牙を削り取って持ち帰る事にする。
そう考えて、クルの顔に触れた瞬間だ。
まるで闇の中に吸い込まれるような、悍ましい感覚。
私の視界は再び暗転し、意識を失った。




