66 クル①
キールベス、町の外れの墓地。
「どうか安らかに……」
この町で亡くなった者、そして黒いエルフ。それぞれに祈る。
ジュラールに見せてもらった黒いエルフの一覧の中には、あの時城にいた私の部下が何人もいた。しかし、呪いから元に戻った者の中には私の部下はいなかった。プロヴァンスで保管されている一覧と同じものだそうだ。
遅れてすまない。世話になった。
……静かに立ち上がり、出発した。
――
引き留めるジュラールを押し切り、私とメイシィはクルの元へと向かっていた。
クルの根城はキールベスからは徒歩で3日の距離。海岸線をまっすぐ北上した先にある浜辺にいるはずだという。
キールベスを出立して、今日で2日目。箝口令の影響か、内密に封鎖されているのか、誰とも今のところ誰ともすれ違っていない。
今日、明日にでもクルと遭遇するだろう。
ヌーラが言うには、夢を見た兵士はクルが豆粒ほどに見えるぐらいの距離で警備していたという。そのため、誤って近づきすぎないように目を凝らしながら海岸線を歩く。
メイシィには今回の任務について『寝ている海豹の近くで寝るだけ』という説明をした。そのためメイシィはお遊び気分だ。近づかなければ問題無いし、クルが攻撃してこないという事前情報から考えて、彼女を連れてきても安全だと判断した。
何よりも、光の精霊を操る彼女がクルへの対抗手段になる可能性がある。
今までの経験から、そんな気がしたのだ。
それに、もし私が倒れた時にジュラールへの連絡手段でもあった。
「うぅ……この海沿いは寒いですねぇ」
ジュラールから借りたこのモコモコの装備でもまだ冷える。ここはグリエッド大陸北部、平地の中では最も寒い場所の一つだ。晴れている事がせめてもの救いか。
「風が強いからな、ゆっくり行こう。そろそろ……お?」
遠くに、海豹の群れが見えた。
あの大きさなら普通の海豹だろう。
そういえば、キールベスの人々は海豹を生で食べる事もあるそうだ。臭みがあって、獣の肝臓のような味だという。
「……ぐぅー」
「フレデさん、本当に見境が無いですね!」
「いや、今日は我慢する。危険な魔獣も近くにいるんだ」
ようやく海豹の生息域に入ったか。ジュラールから預かった地図によると、クルはここから少し先にいる。
だが、念には念を入れておこう。
「少し早いが、今日はここで休もう」
波打ち際からやや離れた場所、風除けになる木々の間に天幕を設営し、火を起こす。こうして木などで風を防がないと、火は簡単に消えてしまう。天幕も同じで、海風が運ぶ砂が中に入ってくる。野営とはこうしてやってみないと気付かない事も多く、実に面白いものだ。
暖を取ると、じわじわと固まった体が解れていくのが分かる。
メイシィは夕食の準備を始めた。ここ最近の食事は彼女が仕切っている。今日も干し肉とパンだ。
……飽きたな。
遠くにいた一匹の海豹と目が合う。
私に怯えているようだ。
武器を取る。
「フレデさん駄目ですよ! あんなに可愛いのに!」
「よく見ろ、あれは食材だ」
「違いますよ!!」
引き留めるメイシィに屈して、目の前の食べ物だけで渋々我慢した。
「しかし、素敵な夜ですねぇ……」
メイシィの言う通り、この辺りの夜は雰囲気がいい。
地面は広い砂浜、空には一面に星が映り、波音と焚火の爆ぜる音が共鳴して聴こえてくる。寒さなど忘れるぐらいに現実味の無い世界だ。
これを趣と言うんだろう。
2人でちびちびと酒を飲みながら、空を眺めていた。
「フレデさん、そう言えば出資金が結構集まったんですよ」
「出資金? 何の話だ?」
「劇団ですよ! 忘れたんですか!?」
「えぇ? あれ本気だったのか?」
「当然です!」
というか、いつの間に集めていたんだ。
「どれぐらい集まったんだ?」
「契約を交わした分だけで、ざっと金貨244枚です」
「お前、犯罪は駄目だぞ」
「真っ当に契約しましたよ! 本気ですから!!」
244枚はすごい数だな。
私は金貨2枚で狼狽えていたのに。
「とりあえずの目標は1,000枚です」
「というかその莫大な金貨は誰が出してくれたんだ?」
「ナジャさんとジュラールさん、ケニスさんにグレルスさんと……」
……何だか不安になってきた。これ以上聞かないでおこう。
「でもメイシィ、帰ったら結婚式があるんだろう? 劇団を作るための計画はできているのか?」
「もちろんですよ! まずはお父様とエルレイ様を説得するために、先に既成事実を作ってしまいます。空飛ぶ劇場船の建造ですね!」
「……その時点でかなり厳しいな。そんなもの作れるのか?」
「それが昔、東の国であったらしいんですよ。古代のエルフ達が、大量の風の精霊を使役して飛ばしている壁画が」
「壁画って……まぁ夢はあるな」
「ですよね! ふふふ!」
考えてみれば、確かにできない事は無いか。
私の弱い風の精霊でも自分の体を滑空させる程の力がある。風の精霊に強く愛された人々を集めれば、小舟程度なら飛ばせるかもしれない。
しかし、東のエルフの古代エルフとは初耳だ。昔のエルフは森の外に住んでいたのか、それとも東の国も森に包まれていたのか。ちょっと興味があるな。
そんな事をぼんやりと考えていたら、メイシィから寝息が聞こえてきた。彼女をそっと抱きかかえて、天幕の中へと入れてコートを掛ける。
とても穏やかな時間だった。
そろそろ私も眠って、夢で海豹を見るか。
そんな風にして、私は完全に油断していた。
海豹の集団の方角から、こちらを見つめる2つの赤い眼。星の光で照らされた黒い姿。
クルが、動いている――。
私の視界が暗転し、体から力が抜けた。
――
「……っぐ、メイシィ、起きろメイシィ!!」
まずい、意識を飲まれる!
「クルが動いて…………動いて……?」
……待て、何かおかしい。
私はクルを見て、気を失って倒れたはずだ。
なのに……。
「ここは、どこだ……?」
周囲は赤を基調とした広く豪華な部屋。
多くの座席が規則正しく並ぶ。見上げれば高い天井。観客席は3階まであった。座席の奥には一段高く作られた、幕の下りた舞台。
どうやら、ここは劇場のようだ。
しかしなぜ……。
すると突如、静かな劇場内にカンカンと鐘の音が鳴り響く。同時に、舞台の幕がゆっくりと上がっていく。
そこに現れたのは黒い竜……クルだ。
巨大な図体に似合わない小さな羽。クルは垂れていた首を上に向けて、口を開いた。
「グォオオオオオオオ!!!!」
大きな咆哮が空気を震わせる。
そしてクルは私を見た瞬間、舞台を蹴って飛び込んできた。
低く転がり、それを紙一重でかわす。
「っぐぁ……!!」
滅茶苦茶動くじゃないか!
地面が揺れる衝撃で、椅子が跳ね上がる。
座席を蹴りつつ、逃げ回る。
「おい、聞こえるかメイシィ! メイシィ!!」
『フレデさん、どうしたんですかぁ?』
劇場内に、彼女のフワっとした声が聞こえてきた。
「どこにいる! 早くここから逃げるぞ!」
『もう少し寝たいですぅ』
「ふざけてる場合か! っぐう……!」
再び椅子が飛んできた。
左手で受け流したものの、その衝撃で体ごと柱へと飛ばされる。左手の痛みに耐えながら、急いで柱の裏へと回る。
会場ではクルが暴れまわり、座席が劇場内を飛び回っている。物陰に隠れた私を見失ったのか、ひたすら破壊行為を始めたようだ。
「どうする……場所が悪すぎるぞ!」
柱の裏にあった非常出口らしき扉を開けようとした。だが……開かない。鍵がかかっている。こんな状況で寝るだなんて、メイシィは大丈夫なのか?
『フレデさん、お腹空いてきましたねぇ』
どこからともなくメイシィの声が聞こえる。
「……お前は呑気だな、何が食べたいんだ?」
『グレルスさんが食べてたジビエですね』
「ふふ、そういえばそんな事を……」
その瞬間、舞台の方でどんと轟音が響いた。余波で劇場が大きく振動し、体制を崩して床に手を付く。
舞台に降って来たのは、出来立てほやほやの巨大なジビエ料理。フランバンクスで、グレルスが食べていた物だ。
『あぁー何だかいい匂いですぅ』
何だ、これは。
まさか……。
「……メイシィ、私はパンも食べたいんだが」
『いいですねぇ。リゼンベルグのあのパンがいいなぁ』
今度は舞台に小さなパンがどさどさと降って来る。
クルの注意が舞台へと注がれた。
やはり――ここはメイシィの夢の中だ。
理由は分からないが、私とクルはメイシィの夢の中にいる。
「グォオオオオオオオ!!!!」
クルが雄叫びを上げ、降り注ぐパンを散らす。
「ふふ、そうか」
面白くなってきた。
やってやる。
腰の双剣を抜き、舞台へと向かって飛び出した――。




