63 マグドレーナ王国の崩壊と呪い②
ジュラ―ルから手渡された、報告書に目を落とす。
「これは端的にまとめた資料です。最初に冒頭の結論をご覧下さい」
表題は『黒いエルフと黒森林の精霊について』。
『結論からご報告します。
黒いエルフの根源とされる呪いとは、竜の姫君のご想像通り、黒森林の精霊で正しい認識です。この精霊が生み出された原因は不明ですが、目的は森化の活性化で間違いございません。マグドレーナの崩壊後に一斉に増えたのは、この精霊がマグドレーナを利用したもの考えられます。
精霊がエルフに憑りつく経路としては、黒森林の植物によって生み出された水が媒介であるという研究結果が有力です。採取した液体を魔獣に接種させた所、生物が変異したのを確認しました』
結論の後は、その情報元と生物についての記載が続く。
やはり、呪いは黒森林の精霊で正しかった。
気になるのは、その媒介元。
「水が媒介というのは?」
「我々が黒森林で普段飲んでいる水とは全く違うものですよ。森の中心に近い場所で多く生育している、真っ黒な大木の根本から採取した水です。この研究所は主にその水で実験しております」
なるほど。
泥水かと思った。
「フレデさん、泥水かと思いましたか?」
「……メイシィはこういう時だけ喋るんだな」
「私、皮肉や煽りが大好きなんですよ!」
「知っている。しかし、黒森林の中心か……」
エルフの文献によれば、黒森林の中心は精霊が多く住まうエルフの死後の世界という物語も残る場所だ。
「我々も怖くて本当の中心には近づいていません。というか、近づけませんでした。根がずるずると蠢いており、巻き込まれると挽肉にされてしまいますよ」
「そんな状態だったのか……」
「我々も偶々発見したのですが、とても驚きました。死後の世界と言われても疑問しか浮かびませんね。あそこは生きている森です」
森の中心は、森化によって移動を繰り返す死後の世界。今思えば、死後の世界というのも誰かが近づかないようにするための戒めだったのかもしれない。
「願いの力という点はどうだ?」
「それは初めて聞いたんですよ。というか、リゼンベルグ王が呪いで操られている状態で意思を持っていたというのが信じられません。エルフと人間は、呪われた時は違う状態になるのでしょうか……そういえば、陛下はなぜ無事なんですか?」
「食い意地が脳を凌駕してるんですよ!」
「違う」
「陛下、こちらの先程から失礼なお嬢様は何者でしょうか?」
お、ついに食いついたか。
「変人の類だ。メイシィ、後で自由時間をやるから今は静かにしていてくれ」
「へ、変人!?」
「続けるぞ。
なぜ私に意思があるのかは自分でも分からない。だが、60年間眠っている間は恐らく呪いの影響で操られていた。何せ全く記憶が無いからな」
「ふむ……乗り移られている間の記憶が無いというのは、ロビンス君の話と同じですね」
「ロビンス?」
「あぁ失礼、以前は黒いエルフだった人物で、我々への情報提供者です。呪いを受けていたんですよ。今は黒い髪ではありません」
「な!? どうやって!?」
驚きのあまり、立ち上がった。
「か、彼の意識が戻った時に、黒い影が去って行ったのを見たらしく。陛下が仰っていた『呪われた者同士で呪いを統合できる』という話を聞いて、もしかしてと思った所でして……」
私以外にも同じ事をしている黒い影……。
――――まさか、クロルデンか?
本当に、生きているのか……?
「そのロビンスが元に戻ったのは何年前だ?」
「20年ほど前でしょうか。ジャ国の辺りだそうで。今は森のどこかの里でお世話になっているはずです」
20年前のジャ国の近く――。
ナジャに聞いてみるか。
「……黒い影か。私以外にも意識が戻ったエルフがいたんだな。再び意識が途絶える可能性は否定できないが」
「そうさせないためにも、我々がおります!」
今度はジュラ―ルが胸を張って立ち上がった。
ケニスは苦笑いだ。
「ありがとうジュラ―ル。では次に、光の精霊と森の相関性は知っているか?」
「概要だけは。竜の姫君からお聞きになりましたか?」
「あぁ。光の精霊が宿る武器で根を簡単に切れるらしい。……そういえば彼女が言っていたんだが『黒森林が一つの種子である』という説はどういう事だ?」
そう問うと、ジュラ―ルは眉間に皺を寄せた。
「申し訳ありません。あれは何の根拠も無い仮定です。種を見たことが無かったので」
「……そうか」
「陛下、それよりもリゼンベルグ王の発言が気になりますね。願いがどうとか。覚えている限りで構いませんので、お聞かせ願えますか?」
「分かった」
こうして国王の発言やお互いの意見を交わし続けた。
ジュラールの話から、想像以上に黒いエルフが元に戻っていた事が分かった。だが、戻る原因としては黒い影以外は不明だそうだ。だが、戻れた者がいたとしても再び呪われる可能性もある。確定情報が不足しているために、黒いエルフは討伐対象のままらしい。討伐組合の対応を渋々認めているようだ。
私だっていつ自我を失うかは分からない。
討伐組合の対応は正しいのだろう。
そのまま、食事も取らずに話し込んだ。
――
朝に訪れたはずが、気が付けば夜の帳が下りていた。
ケニスによって暖炉に精霊の炎が宿り、研究室が暖かくなる。ここは木と石で作られた建物の3階。暖炉は意匠のようで、煙突は存在していなかった。
暖炉の上の肖像画は私だろうか。
銀髪が懐かしい。
メイシィはいつの間にか寝息を立てていた。
悪い事をしたな。
「――た、大変申し訳ございません!! お食事の時間も忘れてしまい!!」
「構わない。私だって早く元に戻りたいのだ。
先ほどの話に戻るが、水を飲んだ魔獣とは?」
「それが……実は……」
ジュラ―ルは言い辛そうに話し出した。
黒森林の水の実験体となって呪われた魔獣。
何でも、キールベスにいた海豹の変種だそうだ。浜辺に上がっていて動きが鈍い所を捕え、その場で実験をしたそうだが……。
「呪われた水を飲んだ瞬間、大きな竜の姿に豹変しました。その場にいた研究者たちはそれを見た瞬間に気絶し、現在も目を覚ましておりません」
「何だと!」
思わず大きな声を上げた。
メイシィがびくんと肩を震わせる。
それは5年前の出来事だった。研究者たちはそのまま眠り続けており、呪われた魔獣は微動だにせずに今も浜辺で佇んでいるそうだ。魔獣とはある程度の距離を取っていたにも関わらず、一切攻撃が見えなかったと。
「この件は箝口令を敷いたため、知る者は極僅かです。気絶した者達は呼吸もしておりますが、本当に眠っているかの様に目を覚まさないのです。食事も摂らずにやせ細ったまま……」
眠ったように、か。
「その者たちはどこに?」
「こちらです」
ジュラ―ルに案内されたのは、隣の部屋。そこにいたのは、ベッドで横たわる多数のエルフ達だ。穏やかな表情をしている。
「黒い靄は見えない。呪われている訳ではなさそうだ」
そう言うと、ジュラ―ルは安堵した。
「……ありがとうございます、陛下」
「だが、問題が解決したわけじゃない。私が魔獣を始末する」
「い、いけません! あの魔獣は全く手に負えないのです!! それに、呪いの統合についてはまだ未知な部分が多すぎます、陛下の頭痛も悪化するかもしれませんよ!?」
「いや、呪いを統合する訳でも無い。それにタダでは無い」
「え?」
グレルスに払う代金。
「……金貨5枚でどうだ?」
――
「「あああああ……」」
緑の棟を出た私とメイシィは、温泉にいた。
今日も貸切風呂だ。
私がキールベスに来たことは、ジュラ―ルを通してこの国にいる全ての人々に伝わった。同時に、安全な黒いエルフという事もだ。そのため、ここでは姿を隠す必要は無くなった。
だがジュラ―ルはとても誇張した。『あの白森王陛下が!』という雰囲気になってしまった。私の生存確認ができたときに行ったエルフの宴と神事というのも、多分ジュラ―ルが事を大きくしたんだろう。
私は今や普通のエルフなのだ。
いや、普通では無いか。
マグドレーナの崩壊や黒いエルフの被害に遭った人々の気持ちを考えると、私は極力大人しくしていたい。
「それで、明日は海豹を倒しに行くんですか?」
金貨5枚で吹っ掛けた依頼。ジュラ―ルは危険だと言っていたが、強引に押し切った。
「いや、もう少し情報を集める」
「えぇ!? 寝ている研究者たちはいいんですか!?」
「いい。5年寝たままだし数日ぐらいは平気だ。まずは魔獣の詳細が気になる。それに、買い物と珍味を食べないと」
「頂いたばかりの前金で、早速珍味を食べたいんですね! 納得しました! 何なら今晩もドワーフさんの酒場に行きますか?」
「そうだな、行こう」
湯冷めしないうちに、酒場に着いた。
店主は私の真の姿を見て驚いていたが、気さくに珍味を用意してくれた。
「これはキビヤックと言いましてな。海豹の内臓に海鳥を漬け込み土に埋めて発酵させた、この地の伝統料理です」
「ほう、面白い調理方法だ。……うん、美味しい」
「いかにもフレデさんが好きそうな……くっさ! ヴォエッ!!」
久しぶりにフードを取っての外食だ。
「陛下、地下の話は聞きましたかな?」
「あぁ。この後行くつもりだ」
「地下? 地下って何ですか」
メイシィは寝ていたから知らないのか。
「今日泊まる予定の宿屋は、地下の立体迷路の中にあるらしい。気になるだろう?」




