60 北の果ての国 キールベス
新品の分厚い雪靴で、滑りやすい山道をのしのしと歩く。
フランバンクスを出て、今日で4日目だ。
最初は2人してころころと転がりながら進んでいた山道も、慣れてしまえば良い運動に変わった。メイシィの足取りは軽く、時折鼻歌も聞こえてくる。
私は新緑の厚手のコート、メイシィは紺色の厚手のコートをフランバンクスで購入した。どちらもフードで頭が隠せる仕様で、お値段は2つ合わせて銀貨70枚。武器は錆びた中古の剣2本で銀貨15枚。手元の資金は残り僅か。
雪国使用のためか、このコートはまるで布団に包まれているかの様に暖かい。寒さ対策は完璧だった。
だが、問題は食事であった。
季節が悪いのか、この地に虫はおらず山道にも獣は少なかった。フランバンクスで購入した干し肉と果物ばかりで、私たちは食事に飽きていた。キールベス側から歩いて来る人の持つ干物と交換しながら旅を続けている。
「グレルスさんの食べてたジビエ料理、美味しそうでしたねぇ……」
「ジビエのことは一旦忘れろ」
「ジビエって何ですか?」
「もう忘れたのか……」
不満そうなメイシィを他所に、焚火を起こす。
この火打石という物は非常に便利だ。木をごしごし擦る必要もなく、打ち付けるだけで点火できる。人間の発明にはつくづく感動する。
山道沿いには野営場がいくつか点在しており、火を起こせる場所には薪も積んであった。随分と設備のいい道だ。その薪が湿気でやられているのが辛い所だが。
焚火の傍に天幕を設営する。
中で横向きになり、冷えた手足の先を焚火に近づける。
「指先が寒い」
「死んだ虫みたいな恰好ですね」
「……皮肉の効いた、いい感想だな」
ちょっと分かるから悔しい。
焚火の煙が、雪山の煌めく星空に舞い上がる。
まさに星の海だ。空気も澄んでいて気持ちが良い。
「フレデさん、焚火を見ていたらジビエの事を思い出しました」
「早いな……キールベスにはあるだろうから我慢だ。明日には食べれる」
この道を歩くのも、残り1日。
静かな夜に、2人の腹の音が鳴った。
――
翌日の昼、キールベスの入国審査の門。
予定通りにやってきた。が、しかし……。
ようやく辿り着いた国の手前で、私たちは足止め食らっていた。
「――ですから、その身分証では入れる事が出来ません。入国許可証を見せてください」
「無い」
「では、フランバンクスで発行してもらってからお越しください」
「えぇ! また戻るんですかぁ!?」
ここまで来て引き返せと?
「うう、いい加減ジビエが食べたいんですよ! 何とか入れてくれませんか?」
「無理ですよ。お嬢さんたちの気持ちは分かりますが、義務ですから」
「……ならば、これでどうだ?」
私は荷物の中からジュラールの手紙を出し、門番に手渡す。
「フレデさん、何ですかそれ?」
「今回の依頼書だ」
「見せてくださいよ」
「嫌だ」
「えぇーっと何々……?
『偉大なる白森王陛下。
我らの研究室へお越し頂けないでしょうか?
ずっと、愛しておりました。
ジュラ―ル・ベントレント』……ジュラール様の書簡!?」
「おい門番、読み上げるな」
「ずっと愛しておりましたぁ!? フレデさん、どういう事ですか!!」
メイシィの表情が嬉々としている。
だから言いたくなかったんだ。面倒臭いな……。
「確かめに来たんだ」
「愛をですか? ねぇどうやって? ふふ、面白くなってきましたね!」
「ジュラール様の賓客の方々とは知らず、失礼しました! どうぞ、お通り下さい!」
門番の態度が急に変わり、呆気なくキールベスへと入れた。
この国でベントレント家の立場は上なんだろう。助かった。
「……ここがキールベス」
視界に映るのは背の低いいくつかの建物と、大きな建物が4棟。それぞれ色鮮やかで、ほんのりと積もった雪の中でも目立っている。
住宅らしき一角には家が点在しているが、それほど数は無い。
見た感じは国という規模でもなく、中継基地や観察基地のような雰囲気だ。人口も少ないのではなかろうか。
奥には尖った山が見える。
あれが火山だろう。その山頂は一際美しい。信仰対象になっていても違和感が無い程の見事な山容が、冬空に映えていた。
「おぉ、海の近くなんですね!」
町の西側には海があり、家2軒ほどの高さを下れば海岸に出れそうだ。道中は高原に向かっていると思っていたが、いつのまにか下山もしていたようだ。
これ、実は海路の方が早かったとか無いかな。
……あまり考えないでおこう。
「ジュラール様は、あの4棟の緑におります」
なるほど、あの大きな建物は外壁の色で呼んでいるようだ。
左から順番に緑、青、赤、白。
「4棟は種族で別れています。緑がエルフ、青が人間、赤がドワーフ、白はそれ以外の種族と共同棟となっています。共同棟は役場と集会場の役目もありますね。温泉も併設しておりますので、旅の疲れを癒される事をおすすめします」
「そうか。案内ありがとう、あとは何とかする」
「では、よい滞在を」
啓礼し、門番が去って行く。
門番の持っている武器は随分と錆びた槍だな。
手入れを怠っているのか、それとも使う機会がないのか。
「ねぇフレデさん」
「温泉だろう?」
「……ふふ、流石フレデさんですね!」
おかしなことに、ジビエよりも宿の確保よりも温泉が勝った。
魔法の言葉だ。
黒森林にいた時から、本で読んで気になっていたんだ。天然の温かいお湯。森には存在しないもので、私には一生縁の無い物だと思っていた。
メイシィも逸る気持ちを抑えきれなかったのか、駆け足で行ってしまった。
――
「「あああああ……」」
私とメイシィの口から、言葉にならない声が溢れ出た。
不思議だ。
お湯に入るだけなのに、最高に気持ちが良い。固まった体がじわじわと解れ、顔もだらりと笑顔になっていく。
「いやぁ……ふふ……気持ち良すぎて何だか笑えてきますねぇ」
「また貸切というのが良いな」
「丁度空いていてよかったですねぇ」
白の棟の温浴施設には、大浴場と予約制の貸切風呂があった。
私は大浴場に入るのは避けたかった。ここが黒いエルフに寛容らしいキールベスとはいえ、まだ未知数なのだ。たまたま貸切風呂が空いていたので、銀貨を払ってでもそちらに入る事にした。
貸切風呂は小さめの露天風呂だ。だが、私とメイシィが入る分には十分な大きさ。景色も最高だ。湯舟からは火山と海が見えて、夜には星空も見えるだろう。
「もうここに住むか……」
「悪くないですね……」
温泉とは不思議だ。
とにかく何もしたくない、そんな駄目な気持ちにさせる。
「黒森林の呪いとか、面倒くさいなぁ……」
「フレデさん! それはいくら何でも気が緩み過ぎですよ!」
「メイシィも王女ってどうなんだ。本当は劇団を作りたいんじゃないのか?」
「んー。エルレイ様との結婚はいいですが、王女は面倒くさいですねぇ……」
そもそもメイシィは王女になってしまったし、今後はこうして気軽に旅には出れなくなる。これが彼女にとって最後の家出になるだろう。
リゼンベルグを立つ時になぜナジャがメイシィを誘ったのかは分からないが、メイシィはこの機会を利用して本気で劇団を作ろうとしていた。
それが、彼女の夢なのだ。
「……今日は飲もうか」
「いいですねぇ、飲みましょう飲みましょう!」
何だか、自分にどんどん甘くなっていく。
明日出来る事は明日やればいいんだよ、というロドリーナの声が頭に浮かぶ。
やはり奴は悪魔か。
温泉を出た後、個人経営の酒場でドワーフの店主とメイシィの3人で飲み明かした。ドワーフの店主は漁師も兼任していたようで、美味しい魚料理を振舞ってくれた。
しこたま飲んで、べろべろに酔っ払って、たらふく食べた。
ツマミはナマコの刺身だ。
最高に楽しかった。
今までで一番美味しい酒だったかもしれない。
そうして楽しい気分のまま、店の一角で夜を明かした。
――
翌朝、店主にお礼を伝えて店を出た。
その笑顔のままメイシィに告げる。
「金が尽きた」
「……この幸せな空気を一瞬でぶち壊しましたね!」




