55 記憶にこびり付いた景色
久しぶりに森の精霊を呼んだ。
頭痛がするが、我慢できない程ではない。
外門を飛び越えた私たちは、広がる穀倉地帯を抜けて内門へと近づいた。
内門には2人の門番が立っていた。松明の明かりで映し出される門番の2つの兜は、どこかピリピリと張り詰めたものを感じさせる。
草影に身を潜めて様子を伺いながら、小声で方針を話し合う。
「どうする? この時間に女3人で行くと確実に怪しまれそうだが」
「怪しまれても私は多分入れますね、リゼンベルグ公爵印の身分証がありますから。2人は旅芸人の仲間として付いてきますか?」
「待つのじゃ。もしメイシィが入れたとしても、結局儂らの身分も尋ねられるじゃろう。いっその事、儂が表に立ってもよいが、そうなると更に目立つの。ラシュネリの主に面会を申し込まれて動きにくくなるか……」
2人だけなら問題無く入れるだろう。
黒いエルフである私の存在が厄介なのだ。
だが、決してそれを口にしない。この2人は全てを分かった上で悩んでくれているのだから。
情けないが、それが嬉しくもあった。
「仕方ない、大人しく並んで待つとするかのう。明日の朝には……おぉ?」
ナジャが審査待ちの馬車の列を見て、何かに気が付いたようだ。そのまま草影から歩み出て、一つの豪華な馬車の元へと向かって行った。
「ナジャ、おいナジャ!」
「行ってしまいました。ナジャさんって結構行き当たりばったりですよね」
「お前が言うな……と言いつつも、私も人の事を言えないが」
「そのうち私たち3人とも突然迷子になりそうですね!」
「流石にそれは……」
あながち否定できない。
今度はナジャが門番と話をして、誰かを連れて草影に戻って来た。
「戻って来ましたよ。紳士的なヒゲのおじさんも一緒ですね」
「いや、あいつはまさか……」
懐かしい顔だ。
「ふっふっふ。フレデよ、この男に見覚えがあるか?」
ナジャが悪戯な笑顔で聞いてきた。
「ふふ……随分と立派な服装になったな、グレルス」
「よう、久しぶりだな嬢ちゃん。派手に町を破壊しているそうじゃないか」
男の名はグレルス。
プロヴァンス国の東端の町ドロアのスラムにいた、世話になった情報屋。行方を晦ましたかと思えば、こんな所にいたのか。
「竜の姫君がこんな場所にいるなんて、驚いたぜ」
「おかげで助かったぞ、グレルス。儂も腹が減って仕方が無かったんじゃ」
「ん? 竜の姫君、飯は食ってないんですか?」
ナジャは苦笑いして私に目をやった。
それだけで、グレルスが何かを察したらしい。
「口に出してみろ、グレルス」
「俺は野暮な事は言わない主義だ。たとえ嬢ちゃんの偏食のせいであの竜の姫君が空腹のまま歩く事になっていても、俺は馬鹿すぎるだなんて言わない」
言ってるじゃないか。
「いいですねグレルスさん、もっと言ってやってくださいよ!!」
「竜の姫君、こちらの娘は?」
「メイシィ・グランデじゃ。次期リゼンベルグの王女となる」
「「…………えぇ!!?」」
私どころか、メイシィまでもが驚いている。
王女とはどういう事だ?
現在の王はどうなったんだ?
「リゼンベルグは世襲制では無いからの。王は肩書だけでただの政治の代表じゃ。お主の父であるオリトが、前国王の責任を取ると言って玉座に座ったそうじゃ。前王家は既に第一線を引いておる」
「ナジャ、その情報はいつの話だ?」
「旅に出る前に本人から聞いた。そもそも儂は情報屋の頭じゃ」
「なんと……」
どうりでロドリーナとの繋がりがあるわけだ。
「ついに私も王女ですが……! 全員が王位持ちの旅だなんて豪華ですね!」
「ひとまず、こんな草場で話さずにラシュネリに入るぞ。俺が先頭に立つから、嬢ちゃんたちは後ろからついてきてくれ。あぁそうだ、嬢ちゃんは絶対にフードを取るなよ。ここはエルフ禁制の国だ」
「分かった」
グレルスの馬車が列から離れ、門へと近づく。
門番に何かの書状を見せて金貨袋を手渡した。それを受け取った門番は静かに道を開け、ラシュネリの内門を開いた。
「よし行くか。嬢ちゃんたち、ようこそ辺境の国ラシュネリへ」
――
ラシュネリの街は、とても分かり易い構造をしていた。
東西と南に走る2本の大通り。交通の結節点だった歴史からか馬屋と倉庫、それに卸屋らしき店が建ち並ぶ。それに付設された商人たちが止まる宿、これらが主だった産業なのだろうか。
住人達のすむ家々はリルーセほどの規模であった。ナジャは都市国家と言っていたが、国と呼べるほどの大きさは感じない。
この国は、過去の戦争の影響でエルフの入国を禁止されている。場所はラシュネリ南部、黒森林の端で起きたエルフ族の里との争いだ。その発端は黒いエルフの襲撃だったそうだ。その周辺の廃村から逃げて生き残った人々は、今もこのラシュネリに住んでいる。
私を除いた3人は遅めの夕食へと出て行き、エルフである私は念のため留守番だ。
2階の窓から、夜のラシュネリを見下ろす。
建物も道路も朽ちた箇所が多い。
どこか寂しげで、静かな町だ。
酒場の密集するあたりだけが光り輝き、それ以外の場所はまるで黒森林の奥深くにいるかのように暗い。残光でかろうじて道と壁が見えるぐらいだ。
「……お、酔っ払ったか」
ナジャがメイシィを背負って帰って来た。
そういえば、メイシィが酒に弱いという事を言ってなかったな。
ベッドにメイシィを寝かせたナジャは、上着を脱いで窓際の席に座った。
「こやつ、一人で飲み食いして騒ぐだけ騒いでスカッと寝おった。酷い物まねを見せられた」
「いつもの事だ」
ナジャの角は今は隠れている。人間と同じ風貌だ。
部屋の窓からの光でうっすらと肌が白く輝いて美しい。
乾燥させたカエルの足をナジャに差し出す。
「いらぬ」
呆れた表情で私を見た。
私は諦めない。
いつか必ず食べさせてやる。
「この国のエルフに対する恨みは、薄らいでおらんかった。エルフが多数住んでいる中立国のキールベスを強く避難しておったよ」
「それは仕方無いでしょう」
「敬語」
「……仕方無いだろう」
まだまだ慣れないな。
「エルフ族を恨む事で人や村が復活する訳でも無いという事は、承知の上だろう。だが、記憶にこびり付いて取れないのだ。私も同じだ。クロルデンに裏切られた時のあの顔が、未だに目に焼き付いている」
「それは理解できるがの。儂からすれば、前を見て進む方が建設的じゃ」
長命のナジャは様々なものを見てきた。過去に囚われるというのは碌な事が無いのだと知っているのだ。
「……私は時々、メイシィが羨ましくなる時がある。私は彼女ほど明るい訳でも無く、夢に溢れている訳でも無い」
「その代わりに、メイシィは全ての責任を放り出しておるがな」
「ふふ、それをメイシィならば仕方ないと周りに言わせるのが、彼女の魅力でもあり欠点でもあるな。何とも言えない娘だ」
「それを言うならお主もじゃぞ? ちゃんとまともな食事を寄こせ」
そう言われて、乾燥させたカエルの足を笑顔でナジャに差し出す。
「……いらぬ」
「美味しいぞ?」
「はぁ……。儂は先に寝る」
ナジャはベッドに向かう。
「……ナジャ、私はこの国の南を見に行きたい。黒いエルフの襲撃と戦争の痕跡をだ。何も得るものが無いとしても、見るだけで構わない」
「元よりそのつもりじゃ。お主が寝ていた60年間の記憶を埋めるのに協力する。じゃがまぁ、明日は少し儂に付き合え。この町でお主にどうしても教えたい事があるのじゃ」
そう言って、彼女は布団に潜った。
再び、窓の外を眺める。
ナジャの言う通り、私は60年間寝ていたはず。
そのはずなんだ。
だが、私が最初に目が覚めた時は黒森林の川の縁。
魔獣に襲われた痕跡も無く、60年分の筋力の衰えも肌の劣化も無かった。髪の長さも服装も、全てがマグドレーナ城が崩壊した時のまま。まるで時間が止まったかのように。
――果たして私は、本当に60年間も寝ていたのだろうか。
前を見て進む方が建設的。
それは分かっている。
だが、記憶の無い空白の時間を、私はどうしても埋めたかった。




