01 西に向かう女王
「――それで、これはグリンゴロン花。これは下剤花とも呼ばれ、便秘に効く。こっちはローレノーレ草。睡眠薬の原料だ」
グリエッド大陸西部、プロヴァンス王国。
海に面したこの国は、広大な平野と農地を保有する農業大国だ。
特に港町でもある王都プロヴァンスは大陸の西端に位置し、グリエッド大陸内でも指折りの食の都として知られていた。
そんなプロヴァンス王国の東端、黒森林に隣接する地方都市ドロアで、私は薬草売りを始めていた。
手持ちの毒草関係を並べ、商業組合の喧噪の中、受付商人に掛け合う。当然、エルフである事は伏せて、満面の笑みで売る。
だが、反応は悪い。
「そしてこれは……」
「あぁー、分かった、分かったよ。だがあんた、薬草は持ってねぇのか? その珍妙な草よりも、解毒薬や治療薬の方が助かるんだが」
「無いが、美味しい麻痺草ならあるぞ」
「悪いが薬草しか買い取れねぇわ」
またか……。
相変わらず渋い。
どの窓口でも薬草ばかりを受け付けており、毒草関係は売れない。オリヴィエ草の在庫は残り僅かで、これは私がニガ虫を食べるためにとってあるものだ。
とぼとぼと商業組合を出て、森に薬草を取りに行く準備をする。だが、町の出入りには身分証が必要で、黒いエルフなんて知られたらその場で捕縛、もしくは殺害となる可能性だってあるだろう。
当然、私は抜け道を使って町を出入りしていた。
森の精霊の力は、木々の少ないこの地でも問題無く呼べた。呼んだ場所に根が張るのが気掛かりだが、田舎町のドロアでは気にならない。
森に潜って野草を採取し、町で売ってはまた森に潜る。そのおかげで、純白だった王のローブは元の色が分からなくなり、血や泥でくすんでいた。
「オリヴィエ草、珍しかったんだなぁ……」
あれだけバクバク食べていたオリヴィエ草は、驚いたことに、かなりの大金に化けた。森の奥に入らないと採取できないからだそうだ。
商業組合から裏手に周り、スラムの市場へと向かう。
違法な売買や裏取引は、この市場で行われている。私はこの町に来て数日だが、毒草の買い取りは、今の所ここでしか行ってくれない。そのせいか、単価はかなり低い。
この毒草がどう使われるかは分からない。
だが、私も炭水化物を食べたいのだ。許せ。
「……嬢ちゃん、また来たのか」
「ここしか、伝手が無くてな」
顔に傷のある、三白眼の商人が話しかけてきた。
名をグレルスと言う。
商品も置かず、店だけが開いたその屋台に、静かに胡坐をかいて座っていた。
「今日もスラムには人がいないんだな」
「ここは特殊なんだ。ドロアの町だけじゃない、このプロヴァンスという国の町には、全て秘密がある」
グレルスは悪い顔をしながら、私の出した毒草を確認する。
「私は秘密よりも、目の前の飯代を稼ぐので精一杯だ」
「嬢ちゃん、あんたも商人の端くれなら、自分が貧乏だと言わない方が良いぜ。あんた、組合でもその風貌のせいで足元を見られてるのさ」
「……そうだったのか。すまない、恩に着る」
「そう単純なのも、辞めた方がいいんだがな……ほら、今日はこれだけだ」
グレルスから、忠告とともに小銭の入った袋を受け取る。中にはプロヴァンス銅貨3枚と古銭がいくつか入っていた。二束の毒草が、2食分の食費に化けた。その日暮らしだが非常に助かる。
古銭を袋に戻し、グレルスに渡した。
「何か、いい情報は無いか?」
「くっくっく、こんな古銭で情報を買う商人なんざ、嬢ちゃんしかいねぇな。……あんた、エルフだろう? この町の上層部があんたを嗅ぎ付けているぜ。議会で懸賞金の話が持ち上がったそうだ」
「……グレルス、お前気づいていたのか」
「情報屋をなめるなよ? …悪いが、今晩おれは情報屋としてあんたの情報を売りに出す。売り時というやつだ。あんたに恨みは無いが、俺も目の前の飯代を稼ぐので精一杯なんでな」
そう言って、グレルスはニィっと笑う。
その顔には全く悪気がない。私がこの男を気に入っているのは、表裏関係なく全てそのまま話してくれるところだ。
「ありがとう、グレルス。高値で売ってくれ」
「当然だ。何なら、あんたの個人情報をもう少し買い取ってもいいぜ?」
「ふふふ、遠慮しておこう。世話になったな」
「くっくっく、残念だ。またな、嬢ちゃん」
グレルスに手を振り、その場を去る。
今は昼過ぎ。
グレルスの話が真実ならば、一刻も早く町を出た方がいい。
中央街道へと戻り、食糧を買い込むため酒場へと向かう。ニガ虫のソテーを出してくれる、あの酒場だ。密かに購入してしまいたかったが……なんだか店の様子が騒がしい。
どうやら、客同士が言い争っているようだ。
「いいですか皆さん、冒険には3つの大事な袋があります! まず、玉……モゴモゴ……」
「その下品な酔っ払い女を押さえろ!」
「……モゴモゴ……! た、玉袋! 玉袋!!」
酔っ払いの暴走だったようだ。
横目に見ながら、店主の元へと向かった。
「今日は騒がしいな」
「あぁ、あんたか。変な女が酔っ払っててな。まぁ気にするな。いつものでいいのか?」
「……いや、私は今日この町を出る。これで買えるだけパンを用意してくれないか?」
「おや、そうかい。寂しくなるな。ちょっと待ってな」
店主は店の裏から、パンとニガ虫の詰まった袋を持ち出し、私の前に置いた。
「どうせあんたしか頼まないからな、美味しく食べてやってくれ」
「ありがとう! 助かる!」
「……そんなに喜ぶのも、あんたぐらいだがね」
店主はそう言って微笑み、私に手を振った。
ふふ、これは嬉しい。これだけあれば、ニガ虫丼なんてのも作れるな。
ふと酒場を見渡すと、酔っ払いの女が男たちに羽交い絞めにされ、下品な言葉を連発している様子が映った。それを横目に見ながらオリヴィエ草を一つ頬張り、店主に手を振って店から出た。
森の精霊を呼ぶには、本当は広い場所が好ましい。この狭いドロアでは、中央街道が最も適していた。
だが今は日中で、人通りは多い。
……もうこの町に来ないと考えると、ここで呼んでもいいか。
購入したばかりの食料と、小道具、地図、食器。それらの荷を全て自分に括り付け、酒場の前で森の精霊に祈り始める。
何度か飛ばされているうちに、既に力の使い方には慣れていた。呪いとは、慎重に付き合えれば、精霊達とも共存できそうなのだ。
「行くぞ、森の精霊」
私の周囲が黒い霧に包まれ、地面から根が飛び出す。周囲の人々は驚いた表情でそれを眺めている。
世話になったな、ドロアの諸君。
――こちらを見ていた一人の子供に目配せし、私は森に目掛けて打ち出された。