53 紡ぐ女王
旅の楽しみとは、人によって様々だ。
計画的に楽しむ者、行き当たりばったりを楽しむ者。一人で風情を味わうかと思えば、逆に複数人では同じ感動を共有する事もできる。
寝る時間も食べる物も、何もかもが自由。
酒を飲んで、草むらで裸で寝たっていいのだ。
ところで、そんな旅の中で最も重要な要素は何だろうか?
そう問われた時、私なら迷わず食事だと言うだろう。
そして、メイシィは会話や出会い。
ナジャは風情や趣、触れ合いだそうだ。
そんな感性を持つ2人が今、私の目の前で食べ物を取り合っている。そこには会話で折り合おうという心も無く、人と触れ合おうとする心も無い。
「昨日もお主が全部食べたじゃろう!」
「どうしてもダメなんですよ! ナジャさん譲ってくださいよ!」
2人の間にあるのは、リゼンベルグで買った固くて美味しいパン。
最後のパンだ。
「……まぁまぁ2人とも。こちらにある毒ムカデ丼は実は栄養が豊富で」
「いらぬ!」「いりません!」
もぞもぞと蠢く毒ムカデ丼は、百戦錬磨のナジャでも無理だったようだ。
……この旅の中で、私たちは3つの決め事を作った。
①お互い対等な立場で、様付けもせずに敬語を止める事(メイシィ以外)
②3人のうち2人が揉めた時は、残りの1人が決断する事
③それぞれの旅を楽しむ事
その結果、私はナジャ姫様をナジャと呼び捨てにする事となった。これはナジャ姫様たっての希望だ。敬語も止めろと言われてしまった。未だに違和感は拭えない。
だが、メイシィは頑として譲らなかった。私の個性を奪うなと言われたので、面倒臭くて諦めた。
さて。
今は2人が揉めていると判断していいかな。
「2人とも、揉め事はここまでだ。判決は私が……」
「ナジャさん、半分こしましょうね」
「そうじゃな」
メイシィが手早くパンを割り、2人で仲良く食べだした。
そんなにムカデが嫌か。
「……ここに出来立てのムカデジャムもあるが」
「いらぬ」「いりません」
私は悲しい。
2人のために頑張って作ったんだ。
だがまぁ、毒ムカデは猛毒だ。解毒草と食べなければ、一晩中腹痛と戦う事になる。
「フレデ、お主は本当にこんな食事ばかりなのか?」
「病原菌が多い生物は食べない。環境の悪い場所にいる生物やケガ持ちの動物、それに猛禽類も食べない。雑食の虫も毒の生物濃縮が起きるから避ける」
「フレデさんでも一応考えてたんですね」
「解毒草があれば別だ。毒でも病気でもなんでも食べる」
「……メイシィも苦労したんじゃのう」
いいのだ、食事を重視して旅をしているのは私だけ。2人に何と言われようとも、この軸をブレさす気は無い。
私たちは現在、リゼンベルグ南部の東端にいた。いや、もう黒森林と言った方がいいのかもしれない。視界一面に映るのは、黒い植物たちだ。
街道らしき獣道を東へと歩き続け、今日で4日目。思った以上に鬱蒼とした道に、私たちは時間と足を取られていた。
「ナジャの凄い脚力で、東の国へひとっ飛びできると思っていた」
「儂だって驚いた。まさか、お主の呪いが竜人の天敵だったとはの」
そもそも竜人とは、竜が人へと精霊化したもの。精霊なのにさわれるし意思疎通も出来るという、人と精霊の中間のような存在だ。竜としての力は残っているため、圧倒的な力を発現できる超人たちだと思っていた。
……だが、私に触れた状態だと竜人の力を出せなくなったのだ。
メイシィも含めた精霊の相関関係はこうだ。
ナジャ(竜人) <私(黒森林の精霊) <メイシィ(光の精霊)
そこで私はナジャに触れなければいいのではと考え、私がメイシィと手を繋ぎ、メイシィとナジャが手を繋いでやってみたが、それでも竜人の力は出なかった。やはり、この黒森林の精霊は伝播しているらしい。
これから私は安易に人に触れない方がいい。今まで触れてきた人物を思うと、少しだけ怖くなった。
そして今度はメイシィとナジャで手をつなぎ、私と二手に別れてそれぞれ飛ぼうと提案した。だが、私の身を案じた2人に黒森林の精霊を使うなと制止された。
今の私の体は、精霊を呼ぼうとする度に軽い頭痛を感じるようになっていた。リゼンベルグ国王の黒い靄を吸い取ってから、どうも変わってしまったらしい。私は彼女たちの優しさに甘える事にした。
そんな訳で、今回も徒歩の旅となったのだ。
「いやぁ、食事の量が全く足りませんね!」
「まさか行商人すらも通れない道になっとるとはのう」
「ナジャさんがぴょーんと飛んで次の町で買ってきてくださいよ!」
竜の姫にお使いを頼むんじゃない。
「仕方ないのう……」
「ナジャ、それは最後の手段にしよう。旅情が無くなる」
「旅情って、フレデさんが虫を食べたいだけじゃないですか!」
「……メイシィ、旅というのは趣が大切なんだ」
「ふっふっふ、そうじゃな」
「いやいや見てくださいよ! このムカデ丼から趣は出ませんよ!」
女三人寄れば姦しいと言うが、メイシィ一人でも姦しい。
私たちは今、ラシュネリという国を目指して進んでいる。リゼンベルグの東隣りに位置し、南には黒森林が生い茂る小国だ。そこを抜けた更に北東にある国、キールベスにいるベントレントに会う事が旅の目的となる。
ラシュネリは黒エルフの爪痕が残る、廃村の多い国。そして……エルフと戦争をして負けた国。私はきっと、見たくない現実を見る事になるだろう。
だが、それ以上に聞きたくなかった真実を、旅の初めにナジャから聞いていた。
「マグドレーナは現在、完全な森じゃ。数十年前に儂がこの目で確認した」
私の祖国が……あの大きな国が全て黒森林に変わった。当然ながら、そこに国民は一人もいなかったそうだ。皆各地へと散って行き、それぞれ別の生活を営んでいるという。
同族のエルフ達の里はマグドレーナのような地震は起きなかったようだ。各エルフの族長達は、マグドレーナの国民を受け入れつつ、現在も黒いエルフの発生に注視しながら密かに暮らし続けているらしい。
そんな話を聞いても、私には現実感が沸いてこなかった。祖国に戻れば今頃皆が元気にしている、そんな妄想が今でも簡単に思い浮かぶのだ。
……本当に60年経っているのかどうか。この旅で私の断片的な記憶を紡ぎ合わせ、周りとの意識の齟齬を無くす。
そして、呪いの駆除という責務を果たすのだ。
「ぐっ……!!」
「ふ、フレデさん! どうしたんですか!?」
腹が……痛い……。
どうやら、無意識に毒ムカデを食べていたようだ。
「……この私が、言葉も浮かびませんよ」
「メイシィも苦労したんじゃのう……」
解毒草を口にねじ込まれた。今日は悪い夢を見そうだ。
旅の趣とは一体何だろうか。
私を眺める2人の顔には、そんな哀愁が漂っていた。




