45 再開する姫と姫
まだ寝ていたい。
このふわふわのベッドと布団は心を惑わせる。喧嘩している人たちにこの布団をかけてやれば、気持ち良さにやられてすぐに仲直りするに違いない。ヨークはきっと気持ち良い布団で寝ていないのだろう。そんな馬鹿な事を考えながら、のっそりとベッドから起き上がった。
今日は、グランデ家にナジャ様が来られるのだ。
私の感覚では数年振りだが、ナジャ姫様からすれば約60年振り。人間ならば、一生を終えてもおかしくは無い月日だ。
会える喜びが、私を自然と笑顔に変えていた。
……だが、ナジャ姫様はグロッソが連れて来るという。
いざという時のために、腰に剣を二本装着する。
メイシィを部屋に寝かせたまま、私とグランデ公爵は屋敷の外に向かう。
「グランデ公爵、何から何までありがとう。場所まで貸して頂いて」
「いえいえ、フレデ殿。こちらこそ光栄ですよ。まさか我が家に竜の姫君までもがお越しになるとは。お二人の手形でも頂いて飾らせてもらいましょうかね……おっと、来られたようですな」
門の前に、2本角の白い美女と茶髪のやつれた男が立っていた。
2人は玄関にいる私に気付いたようだ。
ナジャ姫様が笑いながら歩いてきた。
「何というか、神がいるなら感謝したいところじゃな」
「ふふ……ご縁の神様ならいるでしょうね」
「そうじゃな。久しぶりじゃのう、フレデ」
「……本当にお久しぶりです。ナジャ姫様」
ナジャ姫様は、私を優しく抱きしめた。
懐かしいこの香り。
このお方は、昔から何も変わらない。
「……ヴォェッ!……フレデお主、く、口が臭いぞ! また変な物を食べたな!?」
「ち、違います! これはくさやと言いまして、海水に漬けて干した干物をですね……!」
しどろもどろ説明する。
そんな私を見て、ナジャ姫様は笑いをこらえていた。
「……からかいましたね?」
「ふっふっふ! お主は全く変わらんのう」
「姫様こそ、お変わりのないようで」
にいっと笑い合う。
昔を思い出すやり取りだ。この方のお陰で、私は森の外を知った。森に閉じこもっていた私の世界を広げたのは、ナジャ姫様だ。
そんな私たちの様子を、グロッソは静観していた。
「安心しろ、隊長は連れて来ていない」
「……すまない、ありがとう」
「これは貸しだ」
……メイシィの言う通り、グロッソは悪い人間では無いのかもしれない。
「ふっふっふ! まぁ積もる話は多いのじゃ、ひとまず中に入らせてもらおうかの。グランデ公爵、王城以外で会うのは初めてじゃな。今日はよろしく頼む」
「は! こちらこそよろしくお願い致します。ささ、中へどうぞ!」
緊張気味のグランデ公爵に案内されて、会議室へと向かった。
――――
竜族の長に、マグドレーナの元王。
リゼンベルグの公爵に、プロヴァンスの役人。
自分で言うのも変な話だが、役職だけを見れば全員が各種族の大物だ。
そんな面子で、情報の擦り合わせが始まる。
「まずはお礼を。ナジャ姫様、色々と取り計らって頂き感謝いたします。おかげでかなり活動が楽になりました」
「ふっふっふ、そのせいでこっちの男が苦労しているんじゃがな」
「そういう事だ。もう少し大人しくしていて欲しかった」
「……ぐうの音も出ない。迷惑をかけた」
リルーセでの破壊、王城での破壊。
グロッソから見れば、私はただの壊し屋だろう。
「……まぁ、フレデが目覚めてまだ時間が経っていないからの。マグドレーナがなぜ崩壊したか、崩壊から60年で何があったのかは、時間がある時にゆっくりと話そう。儂らは今、一刻も早くやらねばならぬ事がある」
「ヨークの反乱ですね」
「いかにも。……グランデ公爵から、ある程度の話は聞いておろう」
「えぇ」
中立であるナジャ姫様が動くとは、このグリエッド大陸全土に及ぶかもしれないという事と同義だ。彼女の行動から、事の重大さが読み取れる。
「ヨークは何年も前から種を蒔いておった。その花がもうすぐ開花する。予定ではあと5日後。国王がヨークに寝返っている現状では、リゼンベルグ国民の命運は儂らの行動にかかっておると言っても過言では無い」
ナジャ姫様の言葉で、場の空気が引き締まる。
「……先日、私はグランデ公爵の付き添いという形てリゼンベルグ国王を拝見しました。彼は…………国王は、黒い靄の持ち主です。私と同じく、黒森林に呪われておりました」
「な、何じゃと……!!」
「呪われた人物同士でしか、黒い靄を確認できないのです。プロヴァンスではミルグリフ王子も呪われていました。国王が髪の毛は白かったのは、染めているのでしょう」
ただ、国王はミルグリフほど黒い靄は見えなかった。
精霊の強さによって大きさが変わるのだろう。
「黒い靄に憑りつかれると、記憶を失って操られる可能性があります。私は60年間眠っており、その間の記憶がありません。勝手に行動していた可能性だってあるのです」
「……なるほど、危険じゃな。今回の国家間会議の場でも、妙に話が拗れての。その黒い靄が出ているのは他にもいる可能性がある。……グランデ公爵、王派はどこまで準備しておる?」
グランデ公爵は、リゼンベルグの地図を机の上に広げた。
「我々は既にこの海路を封鎖しております。まず、観光客は来れません」
公爵が指を差したのはリゼンベルグ島の南にある港一帯。私が海を渡ってすぐ後に封鎖が始まったそうだ。その他に対策として実施したのは、防波堤の延長と検閲の強化。思っていた以上に危機的な状況だったらしい。
「となると、商船はどうなのじゃ?」
「商船は検閲を厳しくするため、砂州にある灯台で一旦停止させております。傭兵が紛れている可能性もありますからね」
「もし強引に南から船がやってきたとするとどうなる?」
「港は島の南側一帯に広がっています。ですので……一気に来られると対処できません。ですが、南部の沿岸に停泊している船はこちらで抑えてあります。兵たちがこちらに渡るためには、その船を奪うしか方法はありません」
「もしくはその船が既に篭絡されている可能性もある、という事じゃな」
「……そうです。そして、リゼンベルグ城の地下にある貴族通路も同様です。城側も南部側も王派の人間が番をしておりますが、情けない話、誰かが篭絡されている可能性は否定できません」
なるほど、すこぶる状況は悪い。
潤沢な資金があれば、傭兵を使う可能性だってある。
そうなるともっと不味い。傭兵は基本的に心が無いのだ。市民を人質に取り、容赦なく殺害し、物を奪う。兵士達にとって、何も知らない島民を守る事の難易度が格段に高くなる。
「島民にはいつ知らせる?」
「……陛下は何の対策も講じないまま、最後まで知らせるなと仰っておりました。知らせると計画が早まる可能性があるからだそうです。それは否定できません。ですが、見殺しにもできません。王派内では島民の脱出準備が出来次第、告知すべきだという意見が大多数です」
「国を……リゼンベルグを捨てるのか?」
「捨てません。国家とは国民そのものです。国民が生きている限り、リゼンベルグは滅びません」
そう言う公爵は、唇を噛んでいる。
断腸の思いだろう。
静かになった所で、グロッソが口を開いた。
「……私からこの場をお借りして報告したいことがあるのですが、竜の姫君、よろしいでしょうか?」
「構わん」
グロッソはメモ用紙を取り出す。
「私のメモ書きで恐縮ですが。これは国王からヨークへの資金の流れです。我が隊が内部資料を漁った結果、直近数年分だけでこの金額です」
グロッソが指を差した丸印の部分には、金貨が1,226枚と書いてある。
公爵は頭を抱えた。
「……この金額だと財務大臣もグルでしょう。あり得ませんよ、こんな事」
「でしょうね。我がプロヴァンスでもあり得ません。この資金はすべてヨークの領土に流れ、そこからヨークは他国へと流しています。分かる範囲ではクィン・カラとカルドレロ。戦争と賭け事で増やしたという訳ですね」
「グロッソ、その金は最終的に何に代わっておる?」
「多くは武器と油です。武器は数はありませんが、油は恐ろしい量を購入しています」
「油?」
「えぇ。船に積んで特攻させ、町を燃やすんでしょう」
……何とも恐ろしい事を考える。
国王の裏切り。国を燃やす、か。
これだけの準備が整っているにも関わらず、なぜヨークと国王は動かないんだろうか。いや、まだ完了していない何かが残っているのだ。
実行日は5日後。
何だ、何が足りない……。
油。
燃やす。
武器。
王城の真下の通路。
国王の黒い靄。
呪い。
南部の貧困。仕事、穴を掘る仕事。
…………もしかして……。
「……そうか」
これは、反乱じゃないのだ。
「どうしたんじゃ、フレデ?」
「今回の事件、南部から傭兵が船で来るわけでも無く、油を積んだ船が特攻して来る訳でもありません」
南部の酒場の店主が言っていたのは、『穴を掘っては土で壁を作る』仕事。
なぜ国王が行動を起こさないのか。
待っているのだ。
その穴が開通する事を。
そして、南部からやってくる物を。
黒森林の植物は、火を嫌う。
火がある場所に対して、植物の根が消火に来るのだ。
黒森林の呪いが、森化を広げたいという精霊だとしたら……。
「――ヨークの真の目的は、黒森林からリゼンベルグ島まで火を使って根を引き寄せる事です」




