35 2人の旅路
私とメイシィを乗せた商隊の荷馬車の中に、冷たい風が吹き込む。
春が近いというのに、このクルボアの地はまだ肌寒い。
地形の影響で、山脈からの山おろしが夏でも町を冷やし続けるそうだ。
この山脈を超えた先には、リゼンベルグ領の最初の町がある。そしてそこは国境の町。私の身分証でも一応通れるらしいが、通常よりも厳しく審査されるらしい。
そこで私は、商隊に大金を支払って私とメイシィを荷物として運んでもらうことにした。荷馬車の中で小麦の箱に囲まれながら山道を進む。メイシィには悪いと思ったが、彼女はこの旅を十二分に楽しんでいるようだ。
「ほらフレデさん、もうすぐ山頂ですよ! 花の高原ですよ!」
「……こんなに寒いのに、咲く花があるのか?」
「えぇ!? ふふ……。フレデさんにも、知らない事があるんですね!」
「それはあるさ。知らない事だらけだ」
そもそも、エルフよりも人間の方が優れているのだ。
早く早くとメイシィに唆されて、荷馬車の前に移動する。
その時、丁度先導していた馬車が停止した。
どうやらここで休憩するようだ。
「お嬢ちゃんたち。一旦休憩を取るから、少し降りて見てきてもいいよ」
荷馬車の主がそう言うと、メイシィがさっと駆け下りて行った。
私も後を追って、外に出る。
「わぁ…………!」
そこで視界に映ったのは、見渡す限りの黄色い花畑――。
高原に吹く冷たい風が、黄色い花吹雪を生み出してる。
心が震える程の絶景だった。
「……この黄色い花は万冬花と言いまして、寒くなると一気に開花するんです。花弁自体が花粉の役割も担っているので、花弁を飛ばしてはまた花が生えてくるという、珍しい植物なんですよ。それに綺麗なので、祝い事などでもパァっと撒かれたりします。それにしても、最高の景色ですねぇ!」
笑顔で説明するメイシィの周りにも、万冬花の花弁が舞い踊る。
「はは……確かに凄いな、これは」
景色のどこを切り取っても絶景だ。
舞い散る花弁を一つ掴む。
きらきらと花粉が輝いており、綺麗だ。
……旅をして良かった。
私も、十二分に楽しめているようだ。
――
山脈を抜けた、ある夜。
「いいですか、商隊のみなさん。大切なのは相手の同情を誘う事です。我がグランデ家は、甘いです。まず、当主を持ち上げてください。そして、自分は掃き溜めの糞尿以下だと必死で訴えてください」
「なるほど……!」
なるほどじゃない。
メイシィは自分が公爵令嬢である事を利用し、お喋りの相手として商隊の方々を捕まえだした。
焚火を囲み、皆で怪しい相談をしている。
懲りないやつめ。
……だが、見ている分には面白い。
「グランデ家には、秘密の挨拶があります。名乗るのと同時に、白目をむいて笑うのです。これは、信頼できる者にしか開示されていません」
「なんですと!」
「なるほど……!」
なるほどじゃない。
メイシィは商隊の人生を破壊する気だ。
……だが、やはり見ている分には面白い。
私も大分メイシィに毒されてきたようだ。
――
「凄いぞメイシィ、ヒキガエルの巣だ……!」
「い、いやああああ!!」
10匹や20匹は下らない。
今夜は御馳走だ。
「後ろ足を掴むんだ、白い毒には絶対に触れるなよ!」
「ああああ! そもそも触りたくないですうぅ!!」
私たちは今、国境の町の手前の森の中にいた。
あの山脈を超えてから数日後、特に問題もなく国境の町の手前までやってきた。
だが、先導する荷馬車から良くない知らせが届く。
リゼンベルグ内部の問題で、検問が以前よりもかなり厳しくなっていたのだ。通常なら身分証だけで済むはずが、全ての荷を開かれて、不正や脱税が無いかを一々確認されるという。
そんな状況では時間もかかるし、私は一発で逮捕だ。
そのため私は深夜まで森に潜んで、森の精霊で空から町に入る事にした。
だが、何故かメイシィも着いてきた。
野営が楽しいそうだ。
そう言われると、ちょっと嬉しくなった。
「ヒキガエルの毒が怖ければ、後ろ足だけ食べればいい」
「カエル自体が気持ち悪いんです!」
焚火の上に、蔓で結ばれたヒキガエルたちが並ぶ。まるで怪しい呪術のようだが、これは大量の証だ。炙られたカエルは、毒を垂らしながらこんがりとした焼き色を付けている。
「こんな贅沢ってあるんだな……」
「何言ってるんですかフレデさん! これ毒ガエルですよ!?」
カエルの味を知らないとは。
だが言う必要は無いな、私の取り分が減る。
カエルの足をナイフで切り、口に運ぶ。これぞ野営の醍醐味だ。
「……それでメイシィ、入国は大丈夫なのか?」
「これでも一応公爵令嬢ですからね、多分大丈夫ですよ! あの門番さんは詐欺師みたいな人なので、爵位を見ればブルブルと怯えて通してくれます!」
詐欺師が国境の門番とか、リゼンベルグは大丈夫なのか……。
今は、夜明け前の闇の中。
メイシィは朝一番で森を出て門へと向かう。
私はカエルを処理してから、空を飛んで町へと滑空する。
「ところで、なぜ検問が厳しいのだ? 景気がいいのでは無かったのか?」
「んー、ここ最近で何かあったんでしょうね。私がここを出た時には、そんな事を言われた覚えはありませんよ。あと、景気が良いのは北部だけです。南部は全然です」
「……思ってた以上に、南北の経済格差は大きそうだな」
「経済は疎いので、さっぱり分かりませんね。ではそろそろ行ってきます! 酒場でお会いしましょうね!」
夜の森の中、灯一つでメイシィが去って行った。
この場所に魔獣は出ないらしいが、獣は普通に出る。それなのに、メイシィは弾けるような笑顔だ。実にたくましい公爵嬢である。
「さて、私も準備するか」
ここは南部。すぐ南にまで、黒森林の森化が進んでいるらしい。何か、まずい事が起きていなければいいが……。
カエル達を棒に括り付け、荷をしまう。
焚火を消すと、辺り一面闇に包まれた。
空には満天の星空。
寒い季節の空は、星が美しく見えて好きだ。
「行くぞ、森の精霊」
地面から現れた根が、私をひょいっと上空へと吹き飛ばす。
王都での出来事以降、精霊達はかなり融通が利くようになっていた。細かな調整も願った通り。だが、なぜこうなったかの原因は分からない。
そもそも、精霊の力は有限だ。私はプロヴァンスでかなりの力を使ったはず。それなのに、森の精霊は元気なままだ。あの拷問部屋で同族の黒いエルフの黒い靄に触れた影響なのか、今いるここが黒森林の傍だからなのか。今現在、それを確かめる術は無い。
上空から外壁上にいる兵士達を確認する。
仕事をさぼって、皆良く眠っているようだ。
「おぉ……?」
北に海が見える。
そして、城のような島も。
あれが王都リゼンベルグだろう。
夜明け前にも拘らず、橙色の光がちらほらと輝いていた。
風を纏いながら、人気の無い外壁の上へと降り立った。
ロドリーナから貰った襟巻が海風になびく。
北は町の光、そして……南は黒森林の闇か。
明暗がはっきりしている。
メイシィ曰く、酒場が開くのは昼だ。
草影に身を潜め、日が昇るのを待った。
――
「突然ですが、物まね大会を始めます!」
「やったぜ!」
「さすがメイシィさん!」
昼間なのに、酒場の外まで騒がしさが響いている。
そろそろ時間かと思ってやって来たら、やはりメイシィか。
「琥珀鳥やります! ……ヴオェーッ!! ヴォオェウッ!!!」
「すげぇ、そっくりだ!!」
「お姉ちゃん恰好いい!」
……これが、プロヴァンス国の妃となる女だ。
例え王妃になっても、メイシィなら琥珀鳥の物まねをやり続けるだろう。
ロドリーナの悪魔の囁きも頷ける。
「店主、ここの名物を一つ」
「名物……? あいよ、少し待ってな」
カウンターの隅に座る。この昼の時間帯でも酒場に人は多い。それも働き盛りの大人たちばかりで、逆に年寄りは少ない。食事を注文している様子も無く、皆でメイシィを盛り上げている。
「……この酒場、随分と繁盛しているな」
「いやぁ、お客さんにぁあそう見えるかい?」
「違うのか?」
「……あいつらぁ仕事にあぶれたのさ。
今の領主がひっでぇ奴でな、増税するわ仕事減らすわで、賢い奴からどんどん王都に行っちまってな。ここにいるのは、金も伝手も無くて王都に行けなかった奴等よ。今は安い給料で穴を掘っては土で壁を作るっていう、訳の分からねぇ仕事しかねぇ。あぁ、領主に文句言ってたってのは黙っててくれよ?」
穴を掘る仕事。
仕事を与えるためだけに用意された、意味の無い作業なのかもしれないな。
「もちろんだ。南部はそんなに厳しいのか?」
「……厳しいさ。南部に住む奴等の中に、北部に行きたくない人間など一人もいない。悪い事は言わねぇ、嬢ちゃんも旅の商人ならさっさと王都に行った方がいい。黒森林の根はどうしようもねぇ。
ここはもうすぐ森になる」
店主はそう言うと、調理に戻って行った。
黒森林の根は頑丈な上に、燃やす事が出来ない。
燃やそうとすると、根が生育して消火される。
ここはもうすぐ森になる、か。
では、仕事にあぶれたこの者達はこの先どうなるのか。
……そんな分かり切った事を聞くなと、店主の背中が語っているように見えた。
「――おひねりはいりません! あぁこんなに沢山……ってこれ小石じゃないですか! 皆さま、これからも大道芸人メイシィをよろしくお願いします!」
「ありがとよ、暇が潰れたぜ」
「またなメイシィ!」
ぱたぱたと服を叩き、メイシィが戻って来た。
大道芸人メイシィは有名人のようだ。
「いやー、ノリの良いお客さんでした!」
「いい物まねだったな。リゼンベルグで流行らせたらどうだ?」
「分かりますぅ!? そろそろ琥珀鳥だけじゃなく☆#▲○%~」
リゼンベルグ本島までは船で行く。距離も近く、定期便は夕方まで出ているらしいので、今日中には到着するだろう。島の宿はどこも満室だという事が気掛かりだ。食べたらすぐに出立だな。
「ほら嬢ちゃん、名物だ」
店主が持って来たのは、木の根っこを炒めた物。
味は悪くない。
だが、これがリゼンベルグ南部の現実。
……王都の公爵嬢であるメイシィは、彼らに恨まれてもおかしくない存在、か。
酒場にいた一部の客が、喋り続けるメイシィをじっと睨んでいた。




