33 振り回される女王
王都プロヴァンスを出て数日が経った。
本日も空は快晴。
だが、歩けど歩けど未だにプロヴァンス国の中。
リゼンベルグは遠い。
馬車での移動なら、今頃最初の町の宿でぬくぬくとスープでもすすっている事だろう。だが、私とメイシィは徒歩。今日も森の中で凍えながら、夕飯の支度をはじめていた。
「……いいかメイシィ、生きる為に最も大切なのは食事だ。食事を疎かにする事は、自分の健康を損なう事と同義だ。良い物を食べることこそが幸福への第一歩と心得ろ」
「…………がたがた……」
「……よし、出来た。今日の夕飯はニガ虫のソテーだ」
「い、いやあああああぁ!!!」
嫌じゃない。
というか、他に食べるものが無い。
「ニガ虫の顔をよく見ろ、可愛いんだぞ?」
「ひぃっ!! こっちに近づけないで下さいいい!!」
「どうしろと言うんだ…」
「草! 私は草がいいです!!」
そう言って、メイシィは乾燥し終えたばかりのオリノロシ草を黙々と食べている。胃痛に良く効く上等な薬草だが、栄養は少なく腹持ちも悪い。だが、彼女が自分で用意した食料は今日の昼で全て尽きていたのだ。
「はぁ…」
私は正直、この旅は徒歩ではなく空の旅になると思っていた。メイシィと手を繋いで森の精霊を呼べば、あっという間に移動できると思ったからだ。
だが、そう簡単にはいかなかった。
予想だにしていなかった障害があったのだ。
メイシィは光の精霊に好かれていた。その力はとても弱く、近くにある物を光らす事が出来るだけだと言う。それだけでは何の問題も無いはずなのに、なぜかメイシィと手を繋いだ状態で森の精霊を呼べなかったのだ。
……それで私は気が付いた。
王都で私を捕らえようとした光る大男。
奴に掴まれたときも、森の精霊が来なかった。
呪いの影響なのか、私は光の精霊に触れた状態だと精霊術を使用できないのだ。
その結果、2人で長い道のりを歩いていく事になった。
街道を歩いては、身を隠すために森で寝る。
そんな生活を繰り返す。
当然、メイシィからは不満の声が上がる。
昨日の昼もそうだった――。
「プロヴァンス印の馬車が来ましたよ。ほら乗せて貰いましょうよ!」
「……いや、もう少し待とう」
「何を待つんですか! あああぁ行っちゃったああ!」
プロヴァンス王城を破壊してからまだ3日。私の首は相変わらず高値で売れる。王都の近くで不用意に人に会う事がまだ不安なのだ。
「――ふぅ……」
焚火の明かりで地図を見る。
メイシィも薬草を食べ終わったようで、温かいお茶を飲みながら隣に座って来た。夜の彼女は静かだ。昼は鬱陶しいぐらい喋ってくるが、夜は大人しくなる。
「私たちが今いるのはこの辺りだ。明日の昼には、ポトンという町に着くだろう。先程、空から確認した時に町の明かりが見えた」
「おぉ……やっとですか! そこからは馬車ですよ!」
「……メイシィ、馬は好きか?」
「大好きです!」
頭の中で、ロドリーナが笑顔で馬小屋に置いて来いと囁いている。
奴は悪魔か。
「私の手持ちは金貨4枚弱だ。これでリゼンベルグまで行けそうか?」
「余裕ですよ! 高い山脈を越えますから、少し食費が嵩むぐらいですね」
「…山脈? ちょっと待て、リゼンベルグって山を越えるのか?」
「越えますよ! フレデさん、リゼンベルグがどこにあるか分かってますよね?」
分かってない。何となく東に向かっているだけだ。
「……当然だ」
「嘘です! その間は嘘ですね!」
まだ数日の付き合いだが、メイシィは私の事を分かってきたようだ。
「嘘だ」
「仕方ないですねぇフレデさん。私が教えてあげますよ」
メイシィは地図を持ち、説明を始めた。
「えぇとリゼンベルグはこの辺ですね」
私の持っているプロヴァンスの地図、それにはリゼンベルグの場所は書いていない。多分この東の国境を抜けたどこかだとは思っていた。メイシィが指を差したのは地図のはるか外側。
「また随分と遠いな…」
「ずっとそう言ってるじゃないですか! 馬車ですよ馬車、歩いていく距離じゃないです! まずプロヴァンスが大きすぎるんですよ。昔……○%×$☆#▲~……」
メイシィの話が、途中から聞こえるようで聞こえなくなる。
最近、そんな無駄な特技を覚えた。
今ポトンの手前なら、町を3つ経由してようやく山脈に入る。山脈までは、今まで歩いてきた距離の何十倍だろうか。
これはメイシィの言う通り、馬車の距離だ。ポトンは小さな地方都市のようなので、馬はあるだろう。王都から一つ目の町であるため、長居は避けたい。時間を金で買い、リゼンベルグへ行くのだ。
「……☆#▲○%×●~!!」
「そろそろ寝るか」
「フレデさん、聞いてました!? 今、良い事言いましたよ!?」
「聞いていたが、頭に入ってこなかった」
「それは聞いているとは言いませんよ!!」
慣れたやり取りを済ませ、天幕へと入る。
寒いこの森の中でも温度が保たれた、王のローブの天幕。
見ているだけでにやにやとしてしまう。
「何でフレデさんは寝る時にいつもニヤっとするんですか? 不気味ですよ?」
「見るな、早く寝ろ」
「ふふ……お休みなさい、フレデさん!」
「お休み、メイシィ」
精霊の灯を消す。
そうして、今日も夜が更けていった。
――
「……嬢ちゃん、リゼンベルグに行くにゃあ、馬車を使わねぇと無理だぞ」
「やはりか。どう行くのが早い?」
「んーそうだなぁ。北東と南東のどっちかになるんだが……南東の方がいい。少し遠回りだが、クルボアまでの街道が綺麗で馬車が早く進む」
クルボアは、山脈のふもとにある国境の町らしい。
「ちなみに、そのクルボアで乗り捨て出来るような乗り合い馬車はあるか?」
「馬屋に聞かねぇと分からんな。ここは酒場だ」
「分かった。助かった、ありがとう」
「いいって事よ」
ポトンに着いたのは夕方。
酒場で早めの夕食がてら、情報収集である。
小さな町だが、王都の近くであるからか、それなりに人は多い。
「メイシィ、さっきから食べ過ぎじゃないか?」
「……もぐもぐ……!!」
「……食べ終えたら、先に宿に戻っていい。私は馬屋に行ってくる」
リゼンベルグに行くには山脈を超える。グリエッド大陸北西部を南北に走る、大きな山脈だ。その山脈は黒森林にも少しだけ掠めており、森化の進行具合を伺わせる。
クルボアで馬車を乗り捨て、そこから山越えの定期馬車に乗るのが正規の行路だそうだ。山を越えるといいつつも、実際は迂回をしながら平坦な道を進む。馬の疲労度を加味すると、クルボアからリゼンベルグ南部の町まではおよそ10数日らしい。
馬屋で馬車を手配し終え、食料を買い込み、宿へと戻る。メイシィは居ない。まさか、まだ食べているのか?
荷を解き、天幕などの整備を始める。
……この瞬間が、最高に楽しい。
メイシィは食べ終えた後もだらだらしていたようで、宿に戻って来たのは夜も深くなった頃だった。2人で手早く出立の準備を済ませ、ベッドに横になる。
「……メイシィ、リゼンベルグってどんな国なんだ?」
「えええぇ!! 道中さんざん話したじゃないですか! 本当に何も聞いていなかったんですか!?」
「水の都、とだけ覚えている」
「それ、随分前の話ですよね!? こほん……分かりました。ではしっかりと聞いてくださいね?」
群島国家リゼンベルグ。
グリエッド大陸の中央よりやや北西、リゼンベルグ湾を中心とした国だ。
国土は狭いが、領海は非常に広い。リゼンベルグ湾の中には大小さまざまな島が存在するためだ。そして湾と言いつつも、いわゆる砂州に囲まれた地形らしい。海からの大きな波も、砂州が防波堤となって穏やかな波に変わる。その湾の中にある最も大きな島こそが王都リゼンベルグ。まるで海に浮かぶ巨大な城だそうだ。
また水の都というだけあって、町には水路が張り巡らされ、大きな港も多数ある。だが、港の利用許可が出ているのは商船か漁船か王族の船のみ。王都リゼンベルグは既に住人が多すぎて、渡航客の受入れが困難だからだそうだ。住人が多い理由は、海が天然の障壁となるため森化の影響が無いからだ。
そして、リゼンベルグの最も特徴的なのはそこに帰結する。王都の人間は安全だと市民は思っており、そこから生まれる文化は多かった。お洒落な人々、音楽が流れる町。優雅な船、芸術や演劇。王都の住人は皆、心に余裕があるのだ。
……だが逆に、リゼンベルグ南部、特に黒森林に隣接するリゼンベルグ領にいる人間はそうでは無い。常に森化の危機に迫られており、魔獣も出没する。その疲弊した国民の町は、北部とは全く違った様相をしているらしい。
そんな相反する都市が混在する国、それが群島国家リゼンベルグ。
そして、メイシィは王都があるリゼンベルグ島に住む公爵嬢だ。
「――分かりましたか、フレデさん?」
「あぁ。それで、名物は何だ?」
「め、名物!? 魚と貝と景色、それに文化! そして何と言っても☆#▲……」
やはり魚か。
……生で食べたいな。
港があるならゲテモノっぽい店もあるかもしれない。
王都で読んだ『世界の食堂番付』をしっかり見ておくべきだった。
……ぐぅ~……
「……なので……ん? ちょっとフレデさん! 魚あたりから話を聞いてませんでしたね!?」
「貝は聞こえた」
「一緒じゃないですか!」
「……そろそろ寝るか。お休み、メイシィ」
「あ、そうですね。お休みなさい、フレデさん!」
メイシィのこの切替の早さは好ましい。
まずは山脈のふもとの町のクルボア。そこから山を越えてリゼンベルグ南部。そして王都リゼンベルグ。
目的は、竜の姫であるナジャ姫様に会うため。そして、黒いエルフ達の出現頻度が高いリゼンベルグ南部を調べるため。呪いもそうだが、同族達の動向も気になる所だ。
やる事は多く先は長いが、不思議と暗い気分では無かった。
隣でスヤスヤと寝息を立て始めた騒がしい連れが、私を振り回すのと同時に、リゼンベルグまでの旅に明るさを与えてくれる気がしていた。




