30 黒い靄
「ありがとうございましたー!」
「こちらこそ、ありがとう」
ふふ……。
ついに天幕を手に入れた。
それも、白森王時代にいつも着ていたローブを加工した馴染の品だ。血の跡は綺麗になくなり、元の真っ白な輝きを取り戻していた。思いっきりマグドレーナの紋章が記されているが、まぁ誰も気にしないだろう。
とても格好良い。
これでリゼンベルグに向けての買い物は終わりだ。
次の私の目的地は、リゼンベルグの王城になる。
だが、リゼンベルグまでは距離があった。
まず、プロヴァンスを出るだけでも長いのだ。いくつかの町を経由し、大きな山脈を一つ超える。馬車での移動でなければ、相当な日数がかかるらしい。それに、山脈の途中にある関所を超えればリゼンベルグに入るが、その後は道なりにいかなければ湿地帯や森へと迷い込んで遭難する事も多いという。
そして、ナジャ姫様は王城にいる可能性が高い。
公爵嬢であるメイシィと共に行けば、不審な私でも何とかなるだろう。
部屋に戻り、荷を纏める。
欲張って大きくなってしまった背負い袋も、ドワーフの娘に加工してもらい、今や丁度いい大きさだ。背負い袋の下に括り付け、香辛料や小道具を中に入れる。どれもまだ一度も使用していない新品だ。
旅とは、準備している時が一番楽しい気がする。
私は今とても楽しい。
そして、楽しいのはここまでだ。
王都を出る前に、ロドリーナを安心させてやらねばならない。
「……行くか」
襟巻とローブを装着し、武器を隠す。
快晴の中、王城へと向かう。
――
王城区は、随分と慌ただしい雰囲気であった。
プロヴァンス国王、メデル・アン・プロヴァンス。修練場での視察後に、王城区の貴族に向けてメデル国王のお言葉がある。その後には、王家と貴族の盛大な交流会があるらしい。その準備だろうか、使用人たちが道路を走り回り、貴族たちも忙しそうだ。
この交流会の場で、社交の結果を話し合ったり、出会いの話をしたりする。貴族にとっては、王の御前で直接成果報告ができる最高の場だそうだ。
こういうのを見ると、ロドリーナは一体何をしてるんだと思ってしまう。……いや、私が言えた義理じゃないな。私も彼女と同じで、自由が好きな人物だ。
「これを……」
「おぉ、嬢ちゃん。今日は皆忙しいから、ぶつからない用に気を付けな」
「あぁ、ありがとう」
すっかり顔見知りとなった王城の門番に軽く啓礼し、王城へと入る。
国王は普段、城の中で最も安全な場所にいる。
一言で言えば、一番奥。マグドレーナでも同じだった。
そして国王が夕方視察に向かう修練場は、城の丁度中心にあるだだっ広い中庭だ。その間の通路は、途中から共用通路となる。そこに張り込んで国王を目視するか、もしくは修練場で目視するかとなる。
もし黒い靄を発しているなら、近づかなくても見えるはず。
さて、どうするか。
ただでさえ不審な恰好の女だ。不用意に近づけば疑われる。
……だめだな、修練場から遠目に見るべきだ。
本当は確認したい事があった。
ちゃんと記憶や意思があるかどうか。
そして、私が触れると靄が消えるかどうか。
だが、それらが確認できなくとも、私が見つかる危険性を減らしたい。
そう決めた私は広い修練場が見渡せる曲がり角に身を潜め、時を待った。
――
訓練をしていた兵士の掛け声が止む。
その場の空気が急に張り詰めた。
ラッパの音が鳴り、近くにいた者たちの視線が集まる。
「全員、道を空けよ!!」
兵士の大きな声が場内に響き渡った。それと同時に、使用人たちは潮が引いたように道を開け、首を垂らす。その先は、陛下が出てくると思われる部屋だろう。
……来た。
踵を鳴らして歩く、その足音が重なり合う。
壮年の兵士を筆頭に、豪華な服装の集団が現れた。
私の今いる場所から修練場まで、かなり離れている。
視認ができる、ぎりぎりの距離だ。
目を細め、顔を確認する。
手前にいる長髪は……エルレイか。
国王はその後ろ。
――その国王に、黒い靄は見えない。
「……良かった………………なっ!!!」
国王の背後に現れた、真っ黒な男。
誰だ、あの男は……!
顔つきはエルレイに似ているが、やや太っている。
服装はかなり上等な物だろう、王家の親族である事を伺わせる。
……そして髪は黒く、体の周囲を覆うほどに強烈な黒い靄が出ていた。
国王たちは修練場へ入り、兵士の説明を受けていた。
黒い靄に気付いているものは居なさそうだ。
あれが誰も見えないのか……!
そして、その男を顔を見ようとした瞬間だった。
遠くにいる私と、目が合った。
「……!!」
ざわりとした悪寒が走り、咄嗟に柱の陰に隠れた。
男は、遠くの物陰にいる私をじっと見ている。
そして……口元は笑っていた。
……そうか、私が見えるなら、相手にも私の靄がみえるはず。
だがこの距離………奴は何なんだ!?
怖くなり、王城から立ち去ろうとした。
……だが、少し。ほんの少しだけ遅かった。
悪寒と共に瞬時に動いたはずの体が、その場から動いていない。
「――何をしている、黒エルフ?」
光る大男の手が、私の右手首を掴んでいた。




