29 隣国に這い寄る影
港に近い、スラムの一角。
リゼンベルグに出立する前に、俺は馴染の顔に会いに来ていた。
王都の港には、各国から多くの船が着港、寄港する。そこに積載されているのは物資だけではなく、人や技術、それに情報も多くある。
その情報を一手に取り扱うのが、ミンクルという男だ。
待ち合わせ場所となるスラムの酒場、いつも通り悪臭を放っている。ここに落ちる人は、誰もが報われない人生を送ってきている。
エルレイはスラムの住人も全員救うべきだと言うが、俺はそうは思わない。彼らは然るべくしてここにいる。再び這い上がるために、神に試練を与えられている。手を差し伸べるとしても、ほんの僅かでいい。厳しいかもしれないが、俺はそう認識していた。
目的の場所に辿り着き、奥の個室へと入った。
ここでの俺の身なりはかなり目立つ。だが羽振りをよくしているため、店主に守られていた。
「久しぶりだな、ミンクル」
「お久しぶりでさぁ、旦那」
先に座っていたのは、小汚い恰好の40代ほどの小太りな男。見た目だけではまるで情報屋には見えないが、スラムの人間を巧みに操り、あらゆる情報を国中から拾い集めていた。ある種の、手を出してはいけない人物となっている。
俺は昔ミンクルを捕縛したが、国がこいつとの情報連携を取り付ける事で無罪とした。それほどまでに圧倒的な情報量と確度を持つ。
「リゼンベルグの事かぇ?」
「そうだ、流石だな」
「あの竜のお姫様は動きが派手だからねぇ、けっへっへ」
「……具体的に何があった?」
ミンクルは酒を一口飲むと、難しそうな顔で話し出した。
「旦那は時期がいいねぇ、これは昨日集めたばかりの情報だ。簡単に言うと、政変がまずい場所まで来ちゃってるらしいのさぁ」
「どういう事だ?」
聞けば、ある貴族が、リゼンベルグで政変を起こしたがっていた。その貴族は広い領土を持っていたが、そのせいで多額の税金を王都リゼンベルグへ納める事に納得がいかなかったらしい。
そこで、その貴族は他国の戦争で莫大な富をこっそりと稼ぎ、領土を放棄して王城を奪う事にした。
結果、領土内の森化に対する障壁が破られ、徐々に浸食されているとの事。
「とんでもない大馬鹿者だ。それでその貴族の名前は?」
そういうと、ミンクルは手を出した。
俺はコートから銀貨の束を出し、ミンクルにくれてやる。
「けっへっへ、ヨーク・コルコト侯爵」
ヨーク・コルコト。
聞きいた事はあるが、詳しくは知らない。
「名前まで分かっているなら、なぜ捕縛できんのだ?」
「ヨークが戦争で金持ちになったからさぁ。ヨークの味方が多すぎて、今やリゼンベルグ王家側の方が劣勢ってわけ。最悪な奴だけど、うまくやったよねぇ」
本当に、最悪な奴だ。
洒落にもならん。
「……情報提供、感謝する」
「けっへっへ、まいどありぃ……ところで旦那、ゲテモノローブって聞いたことあるかぇ?」
「何だそれは、新たな魔獣か?」
「無いならいいのさぁ。ゲテモノローブには手を出すなってのが、最近の流行りだからさぁ。旦那も気を付けてねぇ」
「気を付けるも何も、俺は仕事で忙しい。向こうから寄ってこない限り近づかん」
「けっへっへ、旦那も苦労するねぇ」
ミンクルは何か隠しているな、まぁいい。
しかしこの事件、思ったよりも時間が無さそうだ。
――
出立前に、ミンクルからの情報をエルレイに話す。
本日は国王が机に戻るとの事で忙しいらしく、通路での立ち話である。
「――という事らしいです、エルレイ殿下」
「ヨーク・コルコト侯爵か。あまり目立たない人物であったが、そんな事を……」
「リゼンベルグ王派を超える数の味方を付けたという事は、相当な資金を得ているはず。一人の侯爵ごときがそんな芸当できる訳もありません。ですので……」
「……ヨークの背後に強力な影が潜んでいるという事か」
「えぇ。最悪を想定するなら、その影が王派の中に潜んでいる場合ですね」
リゼンベルグの国庫から金を抜取り、ヨークに流す。
まずはその線から洗い出しだろう。
ただ、隣国の人間が財務調査に来るなど、普段ならあり得ない。だが、エルレイの書状があれば、あの頑固なリゼンベルグ王も承諾してくれるだろう。なぜなら、ヨークに対する力が無い王派の立場からすれば、プロヴァンス国を味方に付ける事ができるのと同義だからだ。
さて。
これをリゼンベルグを掌握できる機会と捉えるか、隣人の危機と捉えるか。
「……余計なお世話かもしれんが、私は困っている隣人を放ってはおけぬ。たとえ我が国の利益が無くとも、リゼンベルグ王に協力しろ」
「承知しました」
エルレイは当然、後者だ。
「メイシィ嬢の件も、リゼンベルグ王にお伝えしますか?」
「……いや、男なら自分から行かねばならん。余計な事はするな」
「申し訳ありません、失礼しました」
こいつも本気だ。実に男らしい。
もう遊びでは無いな。俺もまだまだ未熟だ。
「特に何もなければ、我々は明後日出立します」
「あぁ、早い方がいいだろう……あと、もしメイシィ嬢に会ったら、これを」
そう言って、小さな袋を手渡してきた。
中には、青い花の髪飾りが入っている。
エルレイが急に小声になる。
「おいグロッソ、開けるな」
「結局、お洒落道具じゃないか。全く男らしく無い」
「……お前は、まだ真実の愛を知らないのだ」
「メイシィは明日リゼンベルグに戻るらしい。お礼がてら別れの挨拶に来たと言って、自分で直接渡せ」
「いや、だが……そうだな。そうしよう」
恥ずかしいけど、会えるなら会いたい。その口実もある。
こいつは今、そんな事を考えただろう。
「殿下、そろそろ時間です」
「あぁ、分かった。グロッソ、頼んだぞ。私の書状は秘書に用意させる」
「承知しました」
エルレイはマントを翻し、去って行った。これから陛下の出迎えだろう。
俺も行くか。
そう思い、歩きだそうとした時だ。
「……おぉ? グロッソ、お前も暇か!」
「あれ? ボーレンさん、監督業はいいんですか?」
「ワシはもう楽しんだ! それに、国王陛下の堅い空気が嫌いなんじゃ! がっはっは!」
それを大声で言わないでくれ。
「そうなんですか。俺は出立の準備です。竜の姫君以外からも依頼がきているので、少し長居しますからね。船で行ければ楽だったんですが」
海路は封鎖されている。馬鹿らしい事に、プロヴァンスとリゼンベルグの間に海賊の根城があるからだ。そのため、隣国リゼンベルグまで補給の為にいくつかの町を経由しなければならない。財務官の連中からは、各町の実態調査もしてくれと通達が来ていた。今俺の右手にあるのは、その書類。我が隊は、いざ出張となるとやる事が増える傾向にある。
「準備は頼んだぞ! ワシは竜の姫君に会うのが楽しみじゃ!」
そう言って、ボーレンさんは警備隊と話をしに行った。
そして丁度その時、広い修練場から剣が交わる音が途絶える。
「陛下が部屋を出られた! 全員、気合を入れろ!!」
一人の兵士が、他の兵士に喝を入れた。
場の空気がビシっと引き締まるこの感覚が、俺は好きだ。
空も快晴。
陛下が仕事を始めるには、悪くない一日のようだ。




