目覚めた白森王
…………ん……。
……ザーっとした、水の落ちる音が聞こえる。
薄ら目を開けると、そこは小さな滝の傍であった。
周囲は深い森のようだ。
滝つぼにだけ、空から日の光が差している。
「……流されてきたか」
城が壊れた所までは覚えている。私は身一つ投げ出され、川に落ちてここまで流れてきたのだろう。あれは、かなりの衝撃であった。我が国は一体どれぐらいの被害を被ったのだろうか。
水に映る自分の顔を見た。外傷は無いが、気に入っていた白いローブはぼろぼろだ。
……そして、髪の毛は黒いままだ。
黒森林の呪いとは、一体どういった事象なのか。
我々の住むこの森は、黒森林と呼ばれている。巨大なグリエッド大陸のおよそ半分を覆うこの森は、命の流れがとても激しい。虫は狂暴で繁殖力が強く、動物達も荒々しい。共にエルフや人を襲い、人間達の間では魔獣と呼ばれて恐れられていた。
しかし、何よりも恐れられたのは植物だ。黒森林の植物の生命力は圧倒的で、枯れた台地にも根を張った。森をどんどんと広げ、人間達の住む土地を次々に黒い森へと変貌させる。
それらの災害はまとめて『森化』と呼ばれた。
故に、人々は黒森林を恐れた。
何よりも、その原因であるとされたエルフを恐れるようになった。
だが、その考えは我々エルフとは相反していた。エルフは黒森林に住まえど、森を拡張する事などは全く望んではいない。王族内での結論は、既に古来から出ていた。
――これこそが、黒森林の精霊に愛された者の強い意志なのだと。
先代の王である我が父上は、そう言っていた。
「もう少し、詳しく聞いておけばよかったな……」
その後、父上は私に王位を引き継ぎ、母と共にどこかへと旅立った。長年の夢で、世界旅行がしたかったそうだ。我が親ながら、自分と似ていて少し笑ってしまう。
そんな両親が今のマグドレーナ国を、そして白森王と呼ばれた愚かな私を見てどう思うだろうか?
考えると、情けなくて仕方が無かった。その情けなさに追い打ちをかけるかのように、腹の虫がぐぅーと鳴る。
「……食材でも探すか」
気分を変えたい。食べられそうなものを探す事にする。
周囲を見渡した。
ここは水辺だ。精霊の加護が薄くとも、水は確保したも同然。
あと必要なのは、火、食料、寝床だ。
ちょっとわくわくしてきた。
ここ、黒森林で物理的に火を起こすことは死に直結する。黒森林の防衛機能なのか、火が起きた場所の動植物が著しく成長し、即座に消火するのだ。
そのため我々エルフは、火の精霊の炎を使っていた。火の精霊の炎は、物質的なものではないからだ。木々は燃えずに、暖めたいものだけが暖められる便利な力。
黒森林は精霊の力には反応しない事は、この森に住む全ての生物が知っている事だろう。
「火の精霊よ……」
精霊を呼んだ。
すると、城では全く反応が無かった精霊が、少しだけ反応した。
目の前に、親指の先ほどの火が現れる。
「……呪いで使えないはずでは無かったのか?」
この黒い髪、黒森林の呪いは、エルフの間でもほとんど解明されていない。呪いを受けた人物が生きたまま見つからないのだ。王族である私が知っているのは、黒森林が与える精霊だという事だけだ。
森の精霊とはまた違った、夜の森のような精霊らしい。だがこれは王家の伝聞で、確証は何も無い。
ともあれ、火は確保した。次は食糧である。
森に住まうエルフの王としては良い行いではないが、黒森林には家臣の目を盗んでよく遊びに行っていた。
黒森林に生育する植物、食べれるもの、魔獣。森の恵みが、我々エルフを育む。それらを学ぶために必要だという意思が、我々姉弟の言い訳になっていた。まさか、あの頃の堕落した生活が役に立つ日が来るとは……。
「……おぉ、オリヴィエ草」
オリヴィエ草の群生地があった。
と言う事は、この水はそのまま飲めるはず。これは運が良い。
オリヴィエ草は解毒作用が強く、綺麗な水辺でしか生育しないからだ。
次は寝床だ。
滝つぼに差す日の光が薄くなり、夜が近づいているのが分かった。
黒森林の夜は冷える。火の光が当たらない森の中ならば、尚更だろう。早く寝床を作って火を焚いておかなければ、一晩中起きている羽目になる。
私の身長ほどの若木をいくつか集め、三角形の寝床を作る事にする。魔獣に襲われないよう、場所は滝の裏にした。
組み方は適当だ。三角形になるように若木を重ね、繊維質の草で結んでいく。屋根には大きな葉を並べ、雨や滝の水しぶきが当たらないようにする。枯草と柔らかい草を寝床に敷き、精霊の火を強めた。
住居が出来上がったのは、完全に日が沈んだ頃であった。オリヴィエ草とお湯を飲み、寝床に横になった。
……滝の音を聞きながら、この先の事を考える。
まず気になるのは……マグドレーナ国がどうなっているかだ。城が崩れるほどのあの地震の被害は、かなり大きいはず。
それに、私の扱いがどうなっているのか。
恐らく、家臣達は私を悪者に仕立て上げる事だろう。彼らはあの場で殺せなかった私を指名手配するはずだ。となると、あれから何日が経ったかは分からないが、国民には既に情報が流布されている可能性がある。
それに、もし既にクロルデンが王となり、復興を進めていたら……。
……いっそ、私は悪者のまま消え去っても良いのではなかろうか?
そうか、私は今、死んだも同然だ。
私、自由なんじゃないか?