17 酔いしれる女王
昆虫食というのは、グリエッド大陸では主流では無い。
それは人間や亜人はもとより、エルフも同じだ。
エルフ族は、草、肉、穀物が中心で、魚は食さずに見て楽しむ。
虫を美味しい美味しいと食べるのは、我が父上以外で見たことが無い。
私はエルフの王族として、そういう世界もあるんだよと父上に教えられ、たまたま嵌ってしまっただけだ。
特に虫は栄養価も高く、腹が膨れない以外は優秀な食材。
そんな食材ばかりを食べながら、西へ西へと歩き続ける。
現在、私がいる場所は、黒森林とは違った普通の森だ。
地図によると、ここはリルーセの南、プロヴァンス王都より南東のに位置する名もなき森。ここから王都へ行く最短の道は、すぐ北にある街道へ出て道なりに西へと向かう事だが、何せ私は指名手配の身。
このまま森の中を突っ切り、海まで出てから北上するのが良いと考えた。
そういった工程を組んで、道なき道を徒歩で進んでいる。
リルーセを出てから、今日で10日目の朝だ。
そう。
まだ、たったの10日。
それなのに、万能解毒剤である最後のオリヴィエ草を昨晩で使い切った。
私の草花知識は、黒森林が中心だ。
だが困った事に、この森の大半は知らない野草ばかりであった。
野草が毒草かどうかを確かめるには、切って切り口を地肌に当て、被れるかどうかで判断できる。だが危険性もある上に、所詮草だから腹も膨れない。生物を探してぱくっといく方が手っ取り早いのだ。
そんな状況の中、今日は朝から毒蛇を捕まえた。
毒があるのは頭部のみなので、体を食べても問題無い。
毒自体もたんぱく性のため、熱を加えると毒性を失う。
という訳で、私は今、朝から蛇のかば焼きにしゃぶりついている。
上には、ガリガ虫を散りばめて。
「うむ、うまい。焼くと香りが強まるな」
ガリガ虫は落ち葉の裏によくいる、小指の爪ほどの昆虫だ。
丸っとして可愛く、無毒で、独特な香りを放つ。
若干の防腐作用もある、いわゆる薬虫だ。
以前から、匂いの強いこの虫は香辛料になるんじゃないかと思っていた。
それは大正解だったようだ。
すり潰せば売れるんじゃないか?
食べ終えて荷をまとめ、背負う。
立ち上がり、服の汚れを払って再び歩き始めた。
獣道を、がさがさと掻き分けて進む。
足は擦り傷だらけだが、野性味が出ていて悪くない。
「……ん?」
進行方向の木々が少ない。
これは……池だ。
いや、小さな湖と言っていい規模である。
それに、水は透き通っている。水の精霊は、早く飲めと言っていた。
だが……。
「今は駄目だな、解毒草が無いから……」
解毒のオリヴィエ草か、回復のミレイ草が無ければ、腹を下したまま苦しむだけだ。精霊の要望を無視し、池に沿って植物を踏み歩きながら西へと向かう。
そして、それは唐突に現れた――。
「これは……」
湖に向かって流れていた小川沿いにある、色とりどりの花畑。
花型薬草の群生地だ……!
「虫もいるな、ふふ……!」
メスメリカ、ヒルカ、オリノロシ草、オリイチゴ、それに蜂の群れ。
蜂の巣も近くにあるようだ。
涎が出てきた。今日の野営地は、ここに決めた。
荷を下ろし、その辺の木々で拠点を作り、焚火を起こした。ここは黒森林ではないため、火を起こしても森が消化しに来ないのだ。おかげで、今朝の毒蛇も強火で焼けた。
焚火の前に採取したばかりの花形薬草を吊るし、乾燥を始める。
「よし……」
私は気合を入れ直し、地面に顔を近づけた。
そして、そのまま生えている薬草を食い荒らす。
池の水を飲み、草を食い、蜂の巣をちぎって食べる。
こうなると量も味も良く分からない。とにかく、贅沢にお腹を満たしたかった。
急にビリビリとした刺激が、口の中を覆いつくした。
これは、ヒルカだ。
美しい青い花を咲かすこのヒルカと呼ばれる薬草は、非常に強い酒精をもつ。
麻酔の代わりにもなるが、その特性から、我がマグドレーナでは酒として果物と共に漬け込んでいた。それ単体では非常に濃度が高く、依存性も高い。エルフの里によっては麻薬扱いを受ける薬草なのだ。
そして、ヒルカはこの時期に花を咲かせ、霧のような花粉を飛ばす。花粉にも酒精があり、周囲を酔わせる厄介な花の扱いも受けていた。
そんなヒルカを沢山食べて大丈夫なのかと思ったが、やっぱり食べる。
だって、今の私は自由なのだ。
「あぇ~……えへへへ……ヒクッ……」
野生に戻った気分だったので、服を脱いでだらりと横になる。
視界は定まらず、足もフラフラで、呂律も回らなくなってきた。
麻酔の効能のせいで、全身がビクビクと痙攣していた。
何だかよく分からないが、とにかく最高だ。
これが今のマグドレーナの王女である。
へへ……。
――
徐々に麻酔が抜けていき、体の感覚が正常に戻ってくる。
ひとしきり食べ終えた後、焚火の傍へと座り直し、ローブを羽織った。
焚火の煙が、今日も夜空に向かって立ち上っている。
……ここは、随分と静かな森だ。
残念な事に、この森には虫が少なかった。それとは対照的に、草食系の爬虫類や両生類が多く存在していた。
恐らく、可食植物が多いのだろう。私が知る薬草以外にも、今まで通って来た道に可食植物が多く生えていたのかもしれない。やはり、リルーセの図書館で食べられる動植物の本を読んでおくべきだった。
ヒルカを淹れた池の水を口に含み、地図を開いて焚火の明かりに透かす。
今日で丸10日歩いた。
だが、道なき道を進んできただけで、実際はそんなに進んでいないと思う。薬草採取のために森の精霊は使わず、周りを見渡しながらゆっくりと歩いていたからだ。
だが、それも今日で終わり。
これから数日間かけて、ここで花形薬草たちを乾燥させる。
背負い袋が満杯になったら、森の精霊で一気に王都近くへと向かおう。
現在位置は分からないが、そう街道からは離れてはいないはず。
夜、目立たない時間での空の旅となるだろう。
「……へっくち! ……ふぅ」
寒い。
服を着た。
ローブは新調したが、肌着などは王の服のままだ。
王都で普段着を買い、このぼろぼろの肌着は売ってしまおう。
王である必要性も重荷も、今の私には無いのだ。
続けて、ラガラゴから貰った王都プロヴァンスの町の地図を開く。
王都プロヴァンスは、西に大きな港を持つ沿岸の大都市だ。
西には産物、東に穀倉地帯と農作物、南は森の恵みで、北は山岳地帯の動物達。
北の山から流れる川は、プロヴァンスの北から町の中央を南東へと斜めに渡り、海へとたどり着く。その川には、川魚も豊富だそうだ。
つまり、食の宝庫である。
それに確か、これは砂環水胞といった土地の形状ではないか?
海、川、山、森が揃い、それらが都市を囲む。
精霊が居つきやすい地形だったはずだ。
プロヴァンス城は、王都の中心より少し西にある。
地図を見る限り、港と連結しているようだ。
しかし、港と海か……見たことが無いから、楽しみである。
海の魚って塩水に浸かっているから、味が凝縮されているのだろうか?
「……ぐぅー」
もう寝る前だ。我慢がまん。
地図のプロヴァンス城には大きな魚の絵が描かれていた。
これだと、魚の城のように見える。
「町の入り口は……」
門の印、これが町の入り口だろう。東と南に2か所ずつ、合計4か所あるようだ。
北にも川の真上に門の印が書いてあるが、その上には小さく×印が描かれている。これはリルーセのような水門なのか、もしくは通れないのかもしれない。
「……ん?」
地図の下部に、手書きのメモが書いてあるのに気が付いた。
ラガラゴの字だろうか。
『もし薬草を売るなら、討伐組合にいるロドリーナという女性に声をかけてね。彼女は、僕と同じ情報屋だ。フレデちゃんの薬草を買い取るように頼んでおくよ。商業組合よりも渋いだろうけど、僕たちの取引はお友達価格だからね。』
ふふ……ラガラゴは、最後まで抜け目がないな。
一度行ってみるか。
地図を背負い袋に片付けた。
そして、乾燥された薬草を下ろし、また別の薬草を吊るし直す。
焚火に薪を追加し、寝床で横になった。
孤独とは、死に至る病らしい。
だが幸いなことに、私は誰かとの縁が続いている。
自分にはまだ知人がいるという喜びが、少しだけ私の気持ちを軽くしていた。
そんな温かい気持ちに包まれて、10日目の夜、静かに眠りについた。




