14 本当の被害者は誰なのか
そこは、騒がしい橋の下にある、静かな牢屋の中。
全てが順調な所に、黒エルフの出現という強烈な追い風が吹きよった。俺は運が良い。俺こそがクィン・カラを統治するに相応しい。
――そう呟く男が、リルーセアーチの下に潜んでいた。
「そいで、外の様子はどうだ?」
「市長はデモの対処に追われています。ですが、旧市街の一般人からの声も上がり、鎮静化が追い付いていないようです。我々の活動が功を奏しました」
「ぐっふっふ……さっさと俺をここから出しておけばいいものを。よし、そろそろ俺の影を出せ。甘い言葉で大衆を酔わせてやれ」
「了解」
看守の一人が、静かに去って行った。
この男の言う影とは何であろうか。
また自分の街に災いをもたらすのではないだろうか。
聞いていたロニエはそう考えたが、彼女は行動を起こさなかった。手足を縛られて口をふさがれた彼女には、何の力も無かったのだ。
ロニエの隣で、汚く笑うその男。囚人服を着たその男は、プロヴァンス国で捕まったカラ派の過激派の代表、ガルァード。
彼は牢屋の中からリルーセのカラ派を牛耳り、水面下でクィンに対抗する準備を進めてきていた。当然、看守も買収済み。そのため、ここに市長の娘ロニエがいる事など、役人たちは知る由もなかった。
「お前の親父さんは関係ねぇが、俺を捕縛したプロヴァンスという国が悪い。あいつらがクィンに加担するから、こうするしかねぇんだ」
宗教国家の過激派らしく、ガルァードは思い込みが激しかった。だが、それこそが彼のカリスマ性を高め、カラ派の人間を惹きつける要因でもあった。
ロニエは怯えたまま、動くこともできない。
この牢屋から出るには、いくつもの鍵付きの扉を抜けて地上に出るか、窓から飛び降りるしか方法がい。飛び降りた先はリルーセ川の浅い川底だ。命の保証はない。
ロニエはただ信じていた。
お父さんが助けに来てくれると。
そんなロニエの様子を、面白そうにガルァードは眺めていた。
「なぁ。お前に昔話をしてやろう。俺の故郷の話だ」
ロニエは真剣に聞く顔で、ガルァードを見つめる。彼女はただ怖かったのだ。聞いていないと思われれば、また自分が殴られると感じていた。
「昔は良い国だった。
カラは資源国家でな。俺の親父も、資源を他国に売る商売人だった。そいで金儲けしようってんじゃねぇ。世の中が良くなるために、薄利でやってたんだ。そいが今は、内戦の国って皮肉を貰うほどのひでぇ国だ。他国の連中の武器の見本市みたいな町だらけでな、毎日誰かの悲鳴で目が覚めるのさ」
ガルァードは遠い目で、窓の外を眺めた。
この大きな牢屋の窓は、ひどく無防備である。外に出ようと思えばいつでも出れるほど自由に開き、抜け出せる。囚人達が自殺できるように作られた窓なのだ。
「クィンとカラは色んな国に利用されてんだ、今もずっとな。役人達は金を貰い、はいどうぞと奴等に戦場を渡す。その戦場は地獄だ。俺たちの町が、地獄になるんだ。お前みたいなガキはすぐに売られるぜ。クィンの糞野郎どもも、それが腹立たしかったらしい。そいで、自分たちが武器を取り、統一して内戦を終わらせようなんて馬鹿な考えに至ったわけだ!」
ガルァードはドンと木の壁を叩いた。
話に聞き入っていたロニエはびくりと動き、また怯える。だが、ロニエは先程よりも怖がっていなかった。この男の話が真実なら、すごく可愛そうだ。彼女の中には、そんな感情が生まれていた。
「俺ぁ、怖かった。
他国の連中に紛れて、クィンの奴らも町を奪いに来るんだ。職業軍人も民間人も、見境なくお前の国で作ってる武器で殺しにくるんだぜ。そいで、俺は一度あいつらの上層部に接触し、なぜ俺たちと和解しないのかと問うた。…だが、そこで返って来た答えは、最悪だった」
『――戦争は金になる。内戦を続けて、一緒に金儲けしないか?』
ロニエは驚くと同時に、悲しみを覚えた。
木乃伊取りが木乃伊になっていたのだ。
「俺ぁ何とか冷静になって、話は持ち帰ると言った。
あり得るか、こんなこと?
金と命を天秤に掛けて、奴らは金をとったんだ。糞が!」
再びドンと大きな音が鳴り、ロニエはびくりとする。
「そっから俺は仲間を守るために人を集めた。
俺だって、人殺しなんてまっぴらだ。だが、相手はそうじゃない。こっちが降参して両手を上げると、相手は殺しに来る。……嬢ちゃんには罪はねぇよ。何もしなけりゃ殺さずに帰してやる。だが、決して忘れるな。リルーセの工場で作られた武器が、俺たちの家族を殺してんだ」
その一言は、子供のロニエにとっては衝撃だった。
自分の愛する町が、少なからず戦争に加担している。彼の国の、戦争を助長している。そうして生まれた不幸な人間の一人がこの男、ガルァード。
ここまで話を聞いたロニエは、ガルァードに対する憎しみは薄れていた。リルーセは、お父さんは一体何をしていたんだろう。そんな疑問が、頭に浮かんでしまっていた。
そう考えていた時。
看守が戻って来たようで、扉の向こうが騒がしくなった。
会話用に開けられた小さな窓に向かい、ガルァードは話しかける。
「状況はどうだ?」
「……ワシが何とか丸め込み、あー。デモはまぁまぁですぞ」
「……は?」
一瞬、空気が固まった。
「突入うぅううう!!」
「待てぇ!!」
ロニエには一瞬の出来事であった。
あの堅そうな鉄の扉が、蝶番を破壊するほどの力で蹴り開けられ、大男が牢屋に突入してきた。
この牢屋の出入口は、その扉一つしかない。牢屋の奥の壁には窓とベッドがあり、あとは便器だけ。
ガルァードは即座にロニエを窓のふちに押し付け、ボーレンの突撃を制止した。
ロニエの体の半分以上が宙に浮かび、部屋に残った彼女の右足をガルァードの左手が抑えられていた。
ボーレンが飛びつく速度と、ガルァードがロニエを落とす速度。2人の間は、それが一致するぎりぎりの距離だ。
ガルァードは、いつでもロニエを落とせる状況なのだ。
「よくここにいると分かったな。金は準備できたのかぁ?」
「むぅ……不覚……!」
橋の上ではデモの行進が続いていた。
橋上からロニエを覗くには、体を橋の外に出さなければ見えない。
ボーレンは、大声を出すか、人質と一緒に落ちて身を挺するかで迷っていた。
「悪いが、俺ぁ左手に怪我しててな。長く持ちそうにない」
「……じょ、条件は何だ!?」
そう声を出したのは、ジョバンだ。
隊長に任せるとまずいと判断し、勇気を振り絞った。
ボーレンは舌打ちをする。
「そうだな。まず武器を置け。ゆっくりだ。それから手前のジジイ、お前は一番後ろへ下がれ」
ガルァードの言う事に対し、ジョバンは周りに指示を出す。
ボーレンは渋々後退した。
悪手だ。
下がった後、ボーレンはジョバンの発言が愚かだったと感じた。これでは、事が起きた時に自分が助けに行けない。
「よぉし、次だ。
お前たち、身代金はあるな?
それを前に出せ。それから――」
――ストッ。
それは、窓の外から突然現れた。
あまりに静かなその音に、初めはボーレン以外は反応出来なかった。
……ガルァードの頭にプロヴァンスの兵が使用する弓が刺さっていた。
その一瞬を、ジョバンは見逃さなかった。
ジョバンは一人駆け出し、ガルァードに突撃する。
「……あああぁぁぁ!!!」
だが、ガルァードは意識が途絶える前に、ロニエを捉えていた左手を離した!
それは静かに、音は全てデモの雑踏に溶けながら……。
ロニエの体は宙を舞い、リルーセ川へと吸い込まれていった。
――その瞬間だった。
ボーレンの纏う精霊たちが、強烈な光を放った。
周囲が一瞬にして見えなくなり、その光は窓を抜けてリルーセ渓谷を照らしつくした。
「隊長! 何を!」
「し、知らん! 早く人質を!!」
ボーレンは牢屋の窓の外に顔を出した。だが自分の放つ光が水に反射し、状況がよく分からない。
橋の下に薄っすらと、大きな花のようなものが見える。
その上には人影。ロニエだ。
「何なんじゃこれは!!」
「隊長、危険です!」
「構うものか!」
ボーレンは光を纏い、決死の想いでロニエの元へと飛び降りた――。