10 すれ違う運命
森の精霊め……。
私ごと酒場の壁をぶち破るとは思っていなかった。
顔からぶつかったせいで、鼻が凄く痛い。顔を押さえながら、風の精霊を纏い町を囲う城壁の上に降り立つ。
つい格好を付けるためにフードを取ったが、取る必要は無かったな。愚かなことをした。私の特徴は、すぐに周知されることだろう。
人目を避けつつ、宿の部屋へと戻る。
部屋の前には、呆れた表情でラガラゴが座っていた。
「……中で話そう」
ラガラゴを部屋に入れ。鍵をかける。
ため息交じりに、ラガラゴは口を開けた。
「顔も割れちゃって、どうするのさ? このまま逃げ続ける気かい?」
「……そうだな。ひとまず、身分証が欲しい」
「急いでもあと2日だね。それまで、ここも安全とは言えないよ?」
「いざとなれば、町のどこかに隠れる」
「いっその事、黒い精霊の力でどこか遠くに隠れるって事はできないのかい?」
「黒森林から離れているせいなのか、力が弱まっているのだ。制御も上手くいかないし、使いたくはない」
私は自分の両手を眺めた。
森の精霊の力が、弱くなっている。いや、森だけではない。火も水も風も、私の力自体が以前よりも弱まっているように感じていた。
何の影響かは分からない。
「……僕の伝手で、君が街の外へ飛んでったと広めてはみるよ。でも、あまり期待しないでね。それに、ちゃんと宿で大人しくしてるように! 頼むよ、フレデちゃん?」
「……ま、前向きに善処する」
「はぁ、僕は不安だよ……」
これでは、フレデちゃんと言われても仕方がない。ラガラゴはこのまま情報を売ってくると言い、部屋を出ていった。
私一人になり、部屋に静けさが戻ってくる。
窓の外を見ると、昨日までと同じリルーセの夜景があった。
森の精霊で、あの酒場も破壊してしまった。
ドロアの件といい、無関係な人を不幸にしている気がしてならない。
気分が落ち込むが、止まる気は無い。マグドレーナの王としての責務がある。
クロルデン達を、他の黒エルフを止めたい。その為に、この呪いを調べるのだ。
「……ぐぅー」
腹の虫は本当に呑気である。
そういえば、酒場の肉を食べ損ねてたな。
空腹を押し殺しながら、暗い部屋の中、ベッドに横になった。
窓の外には、ぽつぽつと雨が降り始めていた。
――
翌朝。
昨晩から降り続く雨は更に強まり、宿の屋根も滝を浴びたような音を出していた。
私は、窓の外をじっと見つめていた。
腹が減ったが雨で新しい装備たちを汚したくない。そんなしょうもない事を、ぼけーっと考えてた。
出掛けるのは確定だ。ラガラゴのお留守番命令は、空腹には勝てない。
ようやく雨が上がったのは、夕方に差し掛かる頃であった。
急がねば、図書館が閉まってしまう。
外に出て、部屋の鍵を掛ける。水たまりを避けながら、旧市街へ向けてリルーセアーチを渡り始めた。
……その時であった。
「――な!?」
旧市街の方から、強大な精霊の力が近づいてくる。
私に向かっている……訳ではなさそうだ。
しかし、恐ろしい力だ。マグドレーナでも見たことが無い、何者だ……!?
雑踏の中に、視認できるほどの輝きが見える。私よりも強いものだ。フードで顔を隠しながら人混みに紛れつつ、すれ違いを待つ。
ゆっくりと、その光が近づいてきた。
鼓動が高鳴る。
……その姿が見えた。初老に差し掛かったような、大男である。
背中には大剣を担ぎ、その風貌は歴戦の戦士を思わせる。
眼光は鋭く、獣のようだ。俯きがちに歩いている。
近い。
すれ違う、その瞬間であった――。
大男の隣に並んで歩いている、同じ服を着た男。
昨日、酒場で私を捕らえようとした男…。
――グロッソと目が合った。
……まずい……まずい、まずい!! あの大男が敵はまずい!!
本能が瞬時に逃げる事を選択した。
慌ててフードを寄せ、人混みを駆け抜ける。
橋を渡りきり、後ろを振り向いた。
寒いはずが、全身に汗をかいていた。
奴等が私を追ってこない? 目が合ったのは、気のせいだったか?
……いや、絶対に合った。
見逃されたのだ。
駆け足でその場を離れ、急いで図書館へと向かう。
動悸が止まらず、体も震えている。自分はいつからこんなに弱くなったのだと疑うほど、あの大男を恐れていた。
図書館に辿り着き、隠れるように中へと入った。
今日は祝日だったようで、幸いにも夜遅くまで空いているようだった。3部屋ほどであろうか。本棚が壁を覆い、そこに所狭しと本が敷き詰められていた。
ラガラゴによれば、身分証も無く入れるこの図書館は、町の知識の坩堝であるそうだ。貴重な資料は存在しないが、一般的に高値で売られる本を無料で閲覧できる。エルフ族では書籍は財宝に匹敵するため、無防備な本の状況を見ると、これでいいのかと逆に不安になるが……。
今の立場では都合がいい。
目的は、黒森林の呪いとエルフに関する本。
私が眠っていた、空白の60年の記憶。
しかし。
「……ないな」
目に付く書籍は、物語ばかりだ。
司書に尋ねてみる。
「すまない、エルフや黒森林に関する歴史書などはあるか?」
「あ、はい。えぇとお待ちを……。黒森林の本は多くありますが、エルフの本については王都にしかございません」
「では、エルフの本じゃなくともよい。ここ最近のエルフの動向や、その……黒いエルフの情報などを知りたい」
「あぁ! 恐ろしいですよね。数年ぶりに出現したかと思えば、まさかこのリルーセにいたなんて。……えぇと、黒エルフの災害に関する資料や調査書も、王都にしか無いようです」
……結局、王都へ行かねばならないか。
司書に黒森林の戸棚を教えてもらい、背を見通す。
全部で20冊程度だ。思ったよりも少ない。黒森林辞典、開拓の歴史、森化、エルフの生活、エルフの王国、黒森林の食べれる動植物。
「食べれる動植物……」
駄目だ、後回しだ。
一通りさらっと目次を読んでみたが、呪いらしき情報は記載されていなかった。森化の本にすら、呪いという言葉は無かった。
クロルデンは、一体どこで呪いの情報を仕入れて実行したのだろうか。
だが、気になったのは本の作者だ。
森化の本、それにエルフ関係の本の作者は、ジュラール・ベントレント。
ベントレントは、黒森林にあるエルフの隠れ里の一つ。その名を持つという事は、このジュラールはエルフである可能性がある。土着信仰が強く、他族と親交を好まなかったはずだが。
会ってみるのも手だ。
出版社の名前をメモし、本を棚に戻す。
その時だった。
「――お嬢さんが、エルフの本を探している方ですか?」
穏やかな声の方へ振り向くと、背筋が伸びた聡明そうな老婆がいた。
「……あぁ。目的の本は無かったが」
「それは申し訳ありません。リルーセは冊数は多い方なんですが」
「貴女は司書殿か」
「えぇ、館長のミロネルクと申します。よろしくお願いしますね……黒エルフ殿」
「っ……!」
急な言葉に、思わず反応してしまった。
誰かに聞かれてないか、視線を動かして警戒する。
「誰もおりませんよ。だから話しかけたんです。そんなに警戒していては、生きていく事が辛くないですか?」
「……私をどうするつもりだ」
「どうもしません。お嬢さんは他とは違うと思いまして。興味を持ったので話しかけただけです」
「何もしないなら、大人しく去る」
「……怯えさせるつもりは無かったんですが」
ミロネルクの言う通り、私の手は震えていた。
再び汗がぶわっと出ている。
決して彼女が怖い訳ではない。
リルーセアーチですれ違った大男の精霊たちに私は恐怖を植え付けられていた。
これでも王か。情けない。
「お嬢さんに、これをお渡ししておこうと」
ミロネルクは、そういうと一つの手紙を取り出した。
「私の署名が入った、王立図書館の閲覧許可証です」
「何?」
閉じてある封筒を開き、中の書面を読む。
許可証の冒頭に、『王立図書館閲覧許可証』と記載されていた。許可人は、ミロネルク王立司書官……。ミロネルクは、かなり役職が上の人物のようだ。
「人間の文化では、封蝋は開けずに届けるものなのですが……」
「あっ、すまない。つい」
「少しここでお待ちを」
彼女はふわりと微笑み、事務所らしき場所へと戻って行った。
新たな封蝋が施された手紙を持ち、再び現れた。
差し出したそれを手に取るべきなのか。
「……なぜ、敵である私に協力する?」
「おかしな事を仰る。貴女がいつ、わたくしの敵であると?」
「人間達の間では、指名手配されている。かなりの金額だ」
「ふふ、わたくしの敵は寿命だけですよ」
何かを隠している素振りも覗えない。
読めないご婦人だ。
「……書簡、助かる。ありがとう」
「どういたしまして、やはり貴女は違いますね」
そういってにっこりと微笑み、ミロネルクは去って行った。
……まったく、分からない事だらけだ。
だが、既に震えは治まっていた。
そのまま、図書館を出た。外はすっかり夜の帳が下りていた。
空腹は既に通り越したようだ。だが、ラガラゴが来るまで引き籠るため、多めに食糧を買い込む。旧市街の出店で果物と干し肉を購入し、両手で抱えて新市街へと歩き出した。
夜のリルーセアーチには、じゃれている恋人達が多かった。
それが羨ましいとは思わない。
だがその様子は、私に孤独感を強く感じさせていた。
私は一人の賞金首なのだ。
橋の中央では、光を撒きながらの大道芸も行われていた。
ふふ…光の精霊の無駄遣いだな。
恋人たちは楽しそうにそれを眺め、温かい拍手を送る。
彼らにとって、素敵な思い出の一つになるだろう。
私が起こした騒動と比べれば、大道芸人の方がよほど世の中の為になっている。
「……はい! 続いてはドロア名物、光るニガ虫達の競争です!」
「ぶっ……!」
あの大道芸の女、私を酒場で暴いた女だ…。
フードで顔を隠し、急いで宿へと向かう。
無事、部屋にたどり着いた。
約1日ぶりの食事を摂り、ベッドに倒れる。
身分証が貰えるまで、あと2日。
置かれた状況は依然として最悪だ。
だが、恋人たちに気を当てられたのか、心は穏やかになっていた。