09 戸惑いの特務調査員
俺は未明に宿に戻り、一旦眠る事が出来た。
だが、安息は短かった。隊長の騒ぎ声が通路から聞こえてくる。恐らく、下の会議室は大荒れだろう。
「ふざけるな! なぜ殺さなかった! ワシは……お前らぁ!!!」
「隊長! 落ち着いてください!」
「離さんか小僧!!」
昨晩、隊員たちが隊長を起こさなかったのは好判断であった。この様子では、夜中に騒いで宿に迷惑をかけたに違いない。
下に行きたくない。だが、これは仕事だ……行くか。
仕事着に着替え、階段を下りた。
宿の人間に一言謝罪をし、会議室の扉を開けようとした、その時…。ドアが勢いよく俺の顔に飛んできた。
「っぶぉっ!!!」
「離せ! おいグロッソ、貴様ぁあ!!」
「ぐっ……た、隊長……説明を……!」
そう告げると、今にも殴りかかりそうな隊長の動きが、突然止まった。
先程飛んでいった扉は棚を突き破り、花瓶は粉々に砕けていた。
俺の方は、どくどくと鼻血が出ている。隊長は飛び散った血を見て、自分の行動に対して少し冷静になったようだ。
「……すまん、取り乱した」
「いえ、平気です。一旦部屋に戻りましょう」
隊長の変貌に、他の隊員達も呆気に取られていた。なぜ怒ったかも、なぜ突然怒りが収まったかも、彼らには理解できないだろうな。
「……ジョバン、宿の片づけを手伝ってやってくれ」
「了解」
血を布巾でふき取り、会議室へと戻った。
部屋の中には、黒エルフの手配書が散乱している。
一枚を拾い、その内容に目を通した。
人相は特徴をとらえていた。手配書の見本としては十分だ。
隊員の一人、ファビアーノが描いたものだ。芸術の知識と才能があり、俺が文官から引き抜いた人物である。
「よくやった、これでいい」
訝しげにこちらを睨む隊長を横目に、部下を褒めた。そのままファビアーノに市長の元へと届けるよう依頼した。
……後は、俺の仕事だ。
「隊長、座ってください。昨日の夜の出来事から説明します」
言葉を選びながら、一部始終を説明した。
もちろん、王子様からの密命は隠して。
「――そういう訳で、市長に手配書を渡し、我々はその結果を国に報告します」
「……よぉく分かったが、その黒エルフは今どこにおる?」
……分かってないじゃないか。
あんた、追うつもり満々だろう?
「目撃情報から、町の外へと飛んでいった模様です。確証はありませんが、情報筋は確かです」
「むぅ……黒エルフめ、ワシから逃げれると思ったか……」
隊長は凄い剣幕で、手配書を握りしめている。
この様子では、本来の任務は忘れてるだろうなぁ。胃が痛い…。
「どこに逃げたか足取りはつかめておりませんので、そちらは市長にお任せして、我々は! 国からの! 重要な! 任務を先に進めましょう。いいですね?」
「……むぅ……」
隊員たちも胸をなでおろしたようだ。世話が焼ける。
ジョバンも戻って来たところで、今日の行程確認を始める。隊長もひと暴れして落ち着いたのか、珍しく大人しいままで話を聞いている。
「……さて、本日も地道な聞き込みからです。崖下と新市街はある程度話を聞けましたので、今日は全員で旧市街に行きます。明日と明後日で情報をまとめ、改めて市長の元へ伺い、最終確認と調整を行います。ファビアーノが戻るまで、この資料の山を整理しましょうか」
聞き取りに全員一緒に向かうのは不合理だが、こんな状況で隊長を放ってはおけない。馬鹿力のおっさんを押さえるには人数が必要なのだ。
そうして隊長をなだめながら、一旦聞き込み資料を取りまとめた。
役所へ向かったファビアーノが戻って来たのは、昼前であった。
昼食を取り、直ぐに旧市街へと向かう。
「雨か……」
昨晩から、通り雨のような強い雨が降り続いていた。リルーセアーチの上からは、崖下の川の水が増えている様子が見える。
橋を渡り切り、旧市街へと入る。
旧市街は、下流~中流の所得層が住んでいる。業種で言えば、警備員や商人見習い、農業従事者などだ。格差の指標を図るには、彼ら中流層の所得の増減は、一つの指標となる。
「すまない、遅くなった」
リルーセ分所には、既に大勢の市民が集まっていた。数を稼ぐために隊長の名を利用し、強引に人を集めたのだ。
そうして、隊員たちは一気に聞き取りを進める。
基本的に、我が特務調査隊の直接的な協力者というものは存在しない。その上、予算は少ない。
代わりに給与は高く、個々の能力に依存した便利屋のように扱われてる。
それでも隊長の威厳のお陰で、国でも一応面目を保っていた。この不貞腐れたおっさんは、国から英雄としての神輿を担がれているのだ。
「……つまらんのう」
暇そうな隊長を座らせつつ、日が沈む前に何とか調査数に達した。
気付けば外の雨も上がり、雲の間に日差しも見えていた。夕暮れ時のリルーセアーチを渡り、新市街へと戻る。
この時間のこの町は、相変わらず絶景だ。雨上がりで空気は透き通っており、ただの荒野の濃淡が美しく、夕日が映える。
……だが、隊長は依然として不機嫌極まりない。
仕方が無いな。
「隊長、そういえば先日の武闘大会の会議……で……」
続きを話そうとした途端、時間が急にゆっくりと流れ出す。
……見たくなかった。
隊長を宥めようと声と掛けて気が付いた。
隊長の、そのすぐ隣…。
――旧市街へと向かう、灰色のローブの黒髪と目が合った。
馬鹿な……。
隊長は気付いていない。
どうすべきだ。
ここで隊長と黒エルフが戦闘すると、橋が崩壊する。
そう判断したのは一瞬だった。
……結論。
俺は、何も見ていない。
目を逸らし、隊長への話を続けようとした。が、しかし…。
「あ……あ……!」
もう一人、その女に気付いた奴がいた。
あろうことか、その馬鹿はローブの黒髪に声を掛けようとしていた。
「おおおぃジョバン! お前も武闘大会に興味あると言っていたな!?」
「グロッソさん! ちょ……モゴモゴ……」
「(黙ってろ、隊長が暴れるとまずい)」
「(いいのですか、取り逃がしても!)」
「(いい。人命が最優先だ)」
隊長が足を止め、こちらに振り向いた。
黒エルフの方を見ると、既にそこに姿は無かった。
やり過ごせたか……。馬鹿なエルフめ、手配書が出回っているのに無防備すぎる。昨日の今日だぞ?
「どうしたグロッソ、武闘大会がなんじゃ?」
「あぁ……ええと、次回は他国の参加も可能にすべきだと議会で上がったようで」
「なにぃ! 本当か! ……よしよし、いいぞぉ! ワシは竜の国が気になっていたんじゃ! がっはっは!」
「はは……程々に」
戦闘狂の考えは理解できんが、元気が出て何よりだ。
しかし、こちらは…。
「……ジョバン、そんな顔をするな。お前は今、何も見ていない。酒場の二の舞は御免だ」
「納得ができません!」
「その愚かな恋愛感情を捨てろ。死罪だぞ。お前の大切な人も故郷も、一緒に焼け野原だ。それでもいいのか?」
「……すみません、分かりました。納得しました」
危ういな。
ジョバンは納得していない表情で、下を向いて歩きだした。
明日明後日は、宿に籠って集計作業となる。
もう奴に出くわす事はないと願いたい。