07 出会いと別れの酒場
3日間かけて北部遠征を終え、俺と隊長はリルーセの街へと戻って来た。
当然ながら、警備員たちからの有益な話は無かった。強いて言えば、彼らの生活はいたって普通で、貧富の格差などは感じていないという話だった。
そんな場所で、隊長はひたすら空回りを続け、満足そうにリルーセへと帰って来た。そして、今は宿で寝ている。こんな事なら、その辺で魔獣でも狩ってこいと指示した方が世の中の為になる。
俺は隊員たちを誘い、酒場へと鬱憤晴らしにやって来た。
崖下の酒場はどこも賑わっており、格差などを感じる事は全くない。むしろ、この町は景気が良いように思う。
「いいですか皆さん、冒険には3つの大事な袋があります! まず、玉……モゴモゴ……」
酒場には若い女までもが来ていた。
これも、この町の治安が良い証拠だろう。
「よぉしジョバン君、男を見せろ。あの下品な女に声をかけて来い」
「グロッソさん、いくら美人でも品の無い女は嫌ですよ。俺は女性を見た目で選びません、女性は中身が全てです!」
「なんだ、お前は上司に逆らうのか?」
「それはずるいっす!」
ジョバンの馬鹿野郎は、俺が隊長の世話をしている間も粛々と仕事を進めていた。隊長が絡まなければ、基本的にこの若者は優秀だ。だが、それではいけない。俺の後釜になれるよう、何とか隊長と近づけたい。
……でなければ、俺が除隊できないのだ。
「もっとお淑やかというか、静かな女性がいいですね。深層の令嬢とか。図書館の司書みたいな……」
「じゃあ、あの隅で寝ている黒髪のローブの女に声を掛けてみろ。お前の肩書になびくかもしれんぞ?」
「グロッソさん……。まるで俺が誰でもいいみたいに言わないでくださいよ。結婚する女性は、俺が選びます」
「その台詞を、俺じゃなくてあのローブの女に言え」
「そういう事ではないですって!」
他の隊員たちは笑っていた。
ジョバンの優秀だが、全然モテないのだ。
顔も身長も家庭も、全てが一般的な男なのに、だ。
「ジョ・バ・ン! ジョ・バ・ン!」
隊員達が盛り上げ始めると、酒場にいた男達もこちらに注目しだした。ノリも良いようで、彼らも合の手を入れだす。
「ぐっ……分かりました、真の男というものを見せてやりますよ!」
ジョバンが灰色のローブの女性の元へ近づき、突然ニッコリと笑って顔を作る。
笑顔が気持ち悪ぃな…。
ジョバンは声をかけた。
「……失礼、美しいローブのお嬢様。美味しいお茶をお持ちしました。ジョバンより、愛をこめて」
ジョバンお前……くっ……それは無いだろう。隊員たちも酒場の連中も、必死で笑いをこらえている。愛をこめてって……くっく……。
それに相対するローブの女が、ジョバンへと振り向いた。
――その瞬間、酒場の喧噪は一瞬で静まり返った。
全員が、その女の顔を見て固まっている。
まるで時が止まったかのように…。
……灰色のフードを被ったその女は、見たことも無い美少女であった。
フードから零れ出た長い黒髪に、大きな翠眼、輝くような白い肌。そして、見るもの全てを虜にする桃色の唇。その女の視線は、真っ直ぐにジョバンの方向を向いていた。
「私に、何か用か?」
その発する声までもが、鈴の音のように美しい。
ジョバンとその女の会話を、酒場中が聞き入ろうとしていた。
相対するジョバンはというと…。
「……あ……か……あの……!」
顔を真っ赤にして、どもっていた。
……これは、一発でやられたな。何が、『女性は中身が全てです』だ。
だが、ここでジョバンを馬鹿にするものはいないだろう。それほどまでに、この美少女は目を引いている。
「……悪いが、愛はいらない。茶は貰おう、ありがとう」
女はそう言うと、ジョバンに優しく微笑んだ。
あの笑顔はずるいな。これはジョバン君には重すぎる。
「……ジョバン、戻ってこい」
聞こえていないのか、ジョバンは固まって動かない。
「おい、ジョバン……」
「――あぁー! あのエルフさんじゃないですか! ドロアであの後、ひどい目に遭ったんですよ! 私の渾身の演説の中ですね、突然酒場の床から大木が生えてきましてね! そこで私は思ったのです。運命とはこの瞬間の……!」
先程の下品な女が、空気を読まずに声を上げ、演説を続けた。
誰もその女の演説を真面目に聞こうとはしない。下品な女は、そのまま椅子に立って身振り手振りで話している。
……だが、そんなのはどうでもいい。
酒場にいた俺たちの頭には、彼女が発した恐ろしい言葉が残っていた。
――ドロアの、エルフだと?
ローブの女には、今度は別の意味で視線が集まっていた。
その女が口を開いた。
「……人違いだろう? 手配書は見たが、私があの顔に見えるか?」
確かに、手配書の女とは全く違う。
だが…この町で聞いた情報によると、手配書の顔は虚偽であったそうだ。その話の裏は取れていない。
……この場でエルフかどうかが直ぐにわかる方法が、一つだけ存在する。
俺は立ち上がり、ローブの女に近づいた。
「……失礼、私はこのジョバン君の上司で、グロッソ・リケンスと申します。部下が食事の邪魔をして、大変申し訳ありません」
「いや、構わない。酔っていたのだろう?」
「えぇ、こいつは少し飲み過ぎたようです、注意しておきます」
「……私も少し飲み過ぎたようだ。失礼する」
「お待ち下さい」
帰ろうとするその女を、俺は引き留めた。
……ここで、確かめなければならない。
「――お帰りになる前に、そのフードを取って頂けますか?」
――
非常にまずい。
私がフードを取ったら、騒ぎになるに決まっている。
どうする……森の精霊を呼ぶか?
私を暴いた女は、その後もずっと一人で喋っている。あいつは一体何なんだ?
時間を稼げ。考えるんだ。
「……ここは、出会いと別れの酒場だ。私はジョバンや貴方と出会い、そして別れていく……」
何を言っているんだ私は……。
「このローブは、いい生地でな。柔らかく、しかも撥水効果が高い。防火性能もあって……」
「人生においても、欲望というのは必要なんです! 男性の諸君、海産物ですよ!? そうして海に出た私は……」
あの女の演説と被る。
苦しい、この状況は苦しい…。
「……それで、早くフードを取って頂けますか?」
そう話す、グロッソと名乗るこの男。
歳は30代だろうか、茶髪の短い髪に、目の下には隈がある。背は低く、ひ弱そうだ。やつれたその顔には、苦労が見て取れる。
じっと動かずに、私から視線を外そうとしない。完全に警戒されているようだ。酒場の出口までは遠く、この男は私と出口との間に立ち塞がっていた。
……無理か。
「お前たちは、私をどうするつもりだ?」
「もし貴女が私が思う存在であるのならば、この場で捕縛します」
「……嫌だと言ったら?」
「全員、武器を取れ!!」
グロッソがそう叫んだ瞬間、酒場にいた数人が槍のような武器を片手に持ち、私に向けた。あれは……ラガラゴが言っていたこの国の武器、クロスボウと呼ばれるもののようだ。
「……我々も荒事を起こしたくはありません。何もしなければ手を出しません。大人しく付いて来て頂けますか?」
この男の判断一つで、私はあの武器の餌食になる。
それでも、譲歩しているつもりなのか……。
その先に待ち受けるのは、死だろう?
そんなの、答えは決まっている。
私はフードを取り、グロッソに微笑んだ。
「断る」
森の精霊は私の想いに反応し、壁を破って私を崖上へと吹き飛ばした――。