9 導かれて
いつもの帰り道。
悪いのは自分だったと、咲希ちゃんに伝えるつもりでいた、ペンを持っていたのは自分だったと。
そのために今日は学校で暗い雰囲気を醸し出していた。咲希ちゃんに話しかけられても「うん……」とか「そう……」とか、曖昧な返事しかしなかった。そうすることによって、自身の不調を演出していた。
「今日、元気ないね。どうしたの?」
隣を歩いている咲希ちゃんは、話の糸口を作ってくれた。なんて幸運なのだろう。彼女からその話題を振ってきたのだから、友佳ちゃんの話をしても不自然に思われることはなくなった。
そしてなにより、咲希ちゃんが私のことを常に見ていて、更にそこから私の感情も感じ取ってくれているという証拠にもなった。このまま想いを伝えれば、私と咲希ちゃんは結ばれるんじゃないだろうか。
しかし、そう簡単に事が運ばないことも知っている。世界は予測できないものだ。私と友佳ちゃんの仲が壊れてしまったように(咲希ちゃんにとっては本当の出来事だ)、現実ではなんでも起こる。いい考えが失敗することもある。今、いけると思っていても、後で考えたらダメな考えだった、なんてことは多々ある。突発的に行動するなんて恐ろしい!
「…………」
私は答えなかった。もう一度訊かれたら答えるつもりでいた。その方が間をつくれて、深刻さを増せると思った。
「あっ、分かった! 仁和さんとの喧嘩を引きずっているんでしょ。私の言うとおり、自分から謝る気になった?」
咲希ちゃんの指摘はおおよそ当たっていた。けれども引きずっているのではない。混乱してこれからどうすればいいのか分からないでいるのだ。
「友佳ちゃんとのことなんだけど、重大な欠陥に気づいてしまったの……」
「重大な欠陥?」
「私がペンを持っていたの……」
震える声で言った。
「え?」
咲希ちゃんは目を見開き、疑うように私を窺った。
「ほら」
手に持っていた透明で水色のシャープペンシルを示した。
小道具の準備も完璧だ。友佳ちゃんと会ったときに、所在の分からなくなるシャープペンシルはこれでいいかと確認をとった。友佳ちゃんはこのシャープペンシルを知っているので、話が食い違うこともなくなった。
何も言わない咲希ちゃんに対し、私は更に追い打ちをかけた。
「やっぱり私の勘違いだったの。もっとよく捜すべきだった。早とちりで友佳ちゃんと喧嘩してしまうなんて。できることなら時間を戻したい。けれどそれはなされない。本当に後悔しているのに……。これからどうすればいいんだろう」
「謝りにいくべきだよ」
咲希ちゃんは断ち切るように言った。迷いなく、彼女としては珍しい男性的な物言いに、私はますます惚れこんでいった。
「さっきまでは、優雨が悪いともいえたし、仁和さんが悪いともいえた。しかし今は、優雨が全面的に悪いと断言できる。仁和さんの言うとおり、優雨がペンを持っていたのだもの。なので優雨から謝りに行くべきだよ」
咲希ちゃんが言っていることはもっともだ。納得できる。
「でも、自分から真実を暴き出すなんて怖い。私は怖い。友佳ちゃんに文句を言われるのが怖い。友佳ちゃんに軽蔑されるのが怖い」
怯える私を、咲希ちゃんは優しく抱きしめてくれた。塀に囲まれた道路で高校生が二人抱き合っている。他人から見たらかなり異様に映るだろう。しかし、私たちを見ている人は誰もいなかった。
いきなり抱きしめられるなんて、私はそんなに弱々しく、不安定に見えたのだろうか。たしかに私は、かよわさを演出していたが、抱きしめられるほどの効果を発揮するとは思わなかった。
咲希ちゃんに抱きしめてもらえて私は幸せだった。肉体の柔らかな感触を全身を使って感じ取っていた。
「大丈夫。仁和さんと優雨は仲いいんでしょ。なら心配はいらないよ。必ず優雨のこと分かってくれる。私が保証するよ!」
「本当に? 本当に友佳ちゃんは私を許してくるかな?」
「うん! もちろん!」
咲希ちゃんは私を腕から開放し、元の位置に戻っていった。
もっと抱きしめていてもらいたかったのに……。残念。
咲希ちゃんは道路を前に前にと進んでいくので、私は仕方なくそれについていった。
抱きしめられた場所にずっといたかった。そこから離れると、抱きしめられた記憶がなくなってしまうように感じられた。
移動した程度では記憶が消えることはない。それはそうだろう。けれどぬくもりはその場所に置き去りになるのだ。そして明日になれば消えてしまう。周りの風景と私たち二人は、深く結びつき、切り離して保存することは叶わない。
「なら友佳ちゃんに謝ってみようかな」
「その意気だよ! そうだ! 私にも一緒に行ってあげようか?」
「え?」
「仁和さんのところへ行くとき、私もついていくよ。そのほうが安心できるでしょ? それとも、二人きりにして欲しかったかな?」
「いいや、そんなことないよ。咲希ちゃんにも一緒に来て欲しい。咲希ちゃんの言うとおり、そうした方が話しやすそうだし」
「なら決まりだね。明日、仁和さんを呼び出して、とっとと問題を片付けてしまおう!」
咲希ちゃんは腕を高く掲げ、気合を入れていた。
「おー」
私も咲希ちゃんの真似をして、片腕を上げた。
二つの拳がコツンとなった。
一陣の風が吹き抜けるように虚無が私を襲った。
こんな風に私たちは仲直りがなされると信じて疑わないが、友佳ちゃんが私を拒否することは確定しているのだ。咲希ちゃんの希望は敗北に終わるのだ。私においては元から友佳ちゃんと仲直りできるとは思っていない。絶対的で絶望的な結末を知っているからだ。
「それじゃ、明日のいつくらいに謝りにいこうか。授業中はもちろん無理だよね。なら放課後か朝だね。それとも昼休みとか」
……授業中であっても友佳ちゃんは呼び出しに応じてくれるだろう。友佳ちゃんは授業をサボることになんの疑問も抱いていない。一体どういう神経をしているのか。不真面目中の不真面目だ。私ならばサボっている最中、ずっと不安になってしまい、再びサボることはなくなるだろう。
時々、道端であった友佳ちゃんのお母さんに、学校での友佳ちゃんの様子はどうかと尋ねられるのだが、答えに困ってしまう。正直に友佳ちゃんは基本的に不真面目で、どうしようもない人です、と言うわけにはいかない。なのでいつも言葉を濁して、「そうですね。ちょっとやんちゃなところもありますが、誰にも迷惑はかけていません」と答えている。自分でも優秀な回答だと思う。
「どうしようか……」
「決められないのなら、放課後にしない? その方が仁和さんも時間合わせやすいと思う。仁和さん、部活やってないんでしょ?」
咲希ちゃんは友佳ちゃんに謝らなければならない、という状況を楽しんでいるように見えた。彼女は解決法を話している間、笑顔を崩さなかった。まるで遊びに行く計画を立てているような、そんな様子だった。
「うん、友佳ちゃんはどこにも所属していないよ」
ちなみに私と咲希ちゃんも部活動をしていない。
私が部活動に入らなかった理由は、興味を引く活動がなかったから。いや、ただ単に面倒くさかったからだ。加入するもしないも自由だったため、流れに身を任せてどこにも入部しなかった。
「それじゃ、放課後にしよっか。私が仁和さんを呼び出すより、優雨が呼び出した方がいいと思うから、お願いできる?」
「うん。そのくらいなら」
いつの間にか、咲希ちゃんに主導権を握られていた。私は彼女の問いかけに、はいか、いいえを返すだけ。どちらが抱えている問題なのか、分からなくなる。
「よし! 明日頑張ろうか」
咲希ちゃんはそう言って、やはり私を勇気づけるのだった。