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ハンカチ  作者: 伊藤
6/25

6 道を引く

 ひらめきは突然に起こった。

 その日の空模様は暗く、ぽつりぽつりと雨が降っていた。まだ本降りになっていない雨。一粒一粒は辷るように地に落ちる。そしてアスファルトの地面についた瞬間、弾け飛ぶ。小さな粒はアスファルトを湿らせるだけであろうが、それらが多く集まると窪みに水たまりをつくる。水たまりはやがて小さな池となり、タイヤが通るたびに、周囲へ雨水を撒き散らす。

 雨が屋根を叩く音は、段々と強くなっていった。本降りになったのだろう。

 窓に打ち付けられる粒も夥しかった。

 早く止めばいいのにと思った。連日悪天候だったので、いい加減晴れなければ気が滅入ってしまう。外に出て日の光を浴びなければ、性根が腐りそうだ。……すでに腐っているのかもしれないが。

 遠くの空がゴロゴロと弱々しく唸った。

 雷まで来てしまった。こうなったらもう当分太陽を拝めない気がする。

 それでもいいや。太陽なんかしらない。なにがお日様だ、なにが健康だ、そんなの全部くそくらえ。

 自室の窓から外を眺めていた。景色は何も変わらなかった。木の葉には雨がまとわりつき、心底鬱陶しそうだった。

 そして雷はここに落ちた。

 アイディアが閃光を伴って頭の中に流れこんできた。

 それは濁流だった。黒く濁った水はいかなる隙間にも入りこみ、私の頭を満たしていった。

 咲希ちゃんを振り向かせるために、同情を利用しよう。

 私は誰かと対立することになる。その立場は一方的に弱いものだ。吹かれたら飛んでいってしまいそうな頼りない存在……。誰が見ても私の弱さは明らかである。

 そして私は糾弾される。けれども、咲希ちゃんを私の味方につけて、共に困難を乗り越えていくのだ。咲希ちゃんはきっと私の味方をしてくれるだろう。弱者ではあるが私は悪者ではない。

 ちょっとは私に非があってもいいだろう。しかし十分弁解の余地があるものでなければならない。そうしなければ咲希ちゃんは味方になってくれないだろう。(もちろん私は、私が完全な悪者であっても、咲希ちゃんが味方をしてくれることを望む。しかし今は慎重に事を進めなければならない。遊んでいる暇はない)

 なんと完璧な、それでいて理想的な作戦なのだろう。この作戦は咲希ちゃんとの仲を縮めるだけでなく、私の欲をも叶えてくれるのだ。咲希ちゃんに気遣ってもらえるなんて! この気遣いは日常でなされれる気遣いではない。席を譲るだとか、落とした消しゴムを拾うだとか、そんなちっぽけなものではない。もっと大々的な、それでいて取り返しのつかないような……。咲希ちゃんの心をもらっているといっても過言ではない。咲希ちゃんの心を自由にできるなんてとんでもない権利だ。

 だがこれはまだ抽象的な考えだ。抽象的なものではどうしようもない。理想を叶えるには、現実にこの考えを導かねばならない。

 今日一晩使い、煮詰めていこう。

 現在時刻は午後六時。まだまだ時間はある。今日、考えが完成しなくても、明日考えればいい。時間だけは嫌になるほどあるのだ。この時間をどう使うかは私にかかっている。咲希ちゃんのために全ての時間を捧げたい。そう思うほどの情熱があった。

 とはいえ明日も学校があるので、適度に睡眠はとらなければならない。いままでさんざん授業に集中できないでいたから、これ以上のサボりはよくない。それに睡眠不足が原因となり学校で倒れたら困る。みんなに迷惑はかけたくなかったし、なにより格好悪いじゃないか。咲希ちゃんの前で倒れたくはない。

 その日は結局、三時間くらい具体案を考えていたが、あまり進展はなかった。最終的な策を完成させるまで、結構な時間がかかりそうだ。


 詳細な作戦が完成したので、友佳ちゃんに報告することにした。この作戦の遂行には友佳ちゃんの協力も必要だった。

「こんな場所があったんだな。学校なんて詳しく見て回らなかったから、全然知らなかったよ。優雨はよく知っていたな」

 本棟の隅にある空き教室へ、友佳ちゃんを連れてきていた。教室で友佳ちゃんを呼び止め、ここまで来る間、彼女はずっとそわそわしていたが空き教室に入ると、ほっと一息ついていた。どこに連れて行かれるかと心配だったのだろうか。

 空き教室には机と椅子が山積みにされていた。机は教室の後ろ半分に三段重ねにされていて、椅子はその机たちに向かった状態で、教室の両端、窓側と廊下側に重ねされている。大きな地震が来たら一発で崩れてしまいそうだ。こんな積み方をした人は、一体何を考えて作ったのだろう。

「友佳ちゃんと話をするために見つけてきたの。放課後に人が少なくなってから、いい場所はないかと学校中を探していたの」

「それはご苦労様で。というか勝手に入って良かったのか?」

「知らない。なに? 怖いの?」

「ちげーよ。ビビってんじゃねーし。もし入ったらダメな場所だったら、怒られるだろ。あたしが怒られるのは構わないが、優等生である優雨はそんなことになったら色々とまずいんじゃないか? 優雨のためを思って訊いてやったんだ」

「そんな心配ご無用だよ。ここを選んだのは私なんだから、それ相応の覚悟はある。たとえ誰かに見つかって怒られたりしても、後悔はしないよ。そんなことより友佳ちゃんと話をする方が重要だから」

「左様ですか……」

 友佳ちゃんは呆れ気味にため息をついた。

「友佳ちゃんこそ、怒られたくないんじゃない? 案外怖がりなのかも」

「あ? ぶっ殺すぞ」

 友佳ちゃんは私より長身であるため、このような冗談を言えば、時々恐ろしく感じる。結局は慣れなのであるが、高校に入り、友佳ちゃんとまた話し始めた頃は、彼女が毒を吐くたびに足をすくませていた。小学校のときから既に背が高かったのだけれど、それに暴言が加わると、昔は持っていなかった迫力が備わる。

「立ったままだと話しづらいから、机と椅子を準備しようよ」

 高く積まれている机たちから、上にあった机を一台降ろした。これが大変だった。

 友佳ちゃんが「あたしに任せろ!」と言ったので、机を準備するのは彼女に任せた。上に何も乗っていない机があったのでそれに乗り、友佳ちゃんは三段目の机の脚を持って降ろした。しかし机の重さは、予想以上だったようだ。二段目の机から持っていた机の脚が離れたとき、友佳ちゃんは腕を震わせた。そして手を離した。

 まずいと思った。机は真っ逆さまに床へ落ち、頭がキンとなるほどの派手な音をたてた。ヒヤリとした。誰かに聞かれなかっただろうか。こんなに大きな音がしたのだ。不審に思った人がいてもおかしくはない。

「すまん。怪我はないか?」

 友佳ちゃんは机から降りて、真っ先に私の心配をしてくれた。机が落ちた場所は、私が立っていた場所から離れていたのに。

「うん、大丈夫。それより友佳ちゃんこそ平気?」

 私なんかより友佳ちゃんの方が心配だ。机を落としたとき、脚に蹴られはしなかっただろうか。傷があれば手当が必要だ。

「なんともないよ」

 友佳ちゃんの言葉は本当らしかった。身体中を見回してみたけれど、傷は見当たらなかった。服の下にあったら、それはどうしようもないが。

「誰かに気付かれなかったかな」

 友佳ちゃんも私と同じように、そのことが気がかりなようだ。

「さあ、分からない」

 私たちはしばらくの間、誰かが教室に入ってこないかと警戒していた。

「とりあえずちょっとの間静かにしていようぜ」

「そうだね」

 二人して窓側の床に座りこんだ。小休憩も兼ねていた。

 会話なく、五分間が過ぎた。

 誰も教室には入ってこなかった。

「そろそろ動いても大丈夫か? ふう……。なんとか気付かれずに済んだみたいだな。結構ドキドキしたよ」

「そう? 私は退屈だなって思っていたけれど」

 机を落とした瞬間は、脳が焼き尽くされるかと思うほど動揺したけれど、その後は急激に冷やされなんとも思わなくなった。

「ほんとかよ……。いつの間にそんな度胸つけたんだよ……」

「こんなの普通だと思うな。やっぱり友佳ちゃんって、見かけによらず小心者だよね」

「ぶっ殺すぞ」

 また彼女は冗談を言った。今度の暴言は恐ろしく感じられなかった。恐ろしく感じるときと、感じないとき。どのような条件のときに、恐ろしく感じるのかは、まだはっきりと分からなかった。

「それじゃ、机と椅子の準備を再開しようか」

 友佳ちゃんは、落ちたままになっている机を起こして、教室の前の方に運んでいった。そして私はその机を挟むように椅子を二脚設置した。

 対談場の完成である。

 私と友佳ちゃんはそれぞれの席に腰かけた。

「やっと本題に入れるな。場の準備だけでこんなに時間食うとは思わなかったよ」

「友佳ちゃんが机落としたせいだけどね」

「うるせぇ」

 友佳ちゃんは私の頭をグーでコツンとした。痛くはなかった。ただ拳で触れられたような感じだ。もし本気で殴ったのなら絶交ものである。

「で、わざわざこんなところに連れてきて、なんの話があるんだ?」

「咲希ちゃんを手に入れる方法を思いついたの」

「それは、それは。良かったじゃないか」

「その作戦には友佳ちゃんの協力も必要だから、今日その話をしようと思って」

「なるほど。どんと来い、だ」

「まずこの作戦の目的を説明しておくね」

「二瓶さんと付き合うことじゃないのか?」

「それはそうなんだけど……」

 私が言いたかったのは、作戦全体の目的、作戦の内側にある目的であって、作戦そのものの目的ではない。

「作戦では咲希ちゃんの同情をかき立てたいの。咲希ちゃんとの距離を縮めるために、彼女の助けが必要な出来事を起こそうと思います。詳しい作戦内容を言うね。まず、私は友佳ちゃんと喧嘩します」

「ええ……。あたしとか?」

「まだ話は終わっていないよ。黙って聞いてて」

「はい……」

 私に注意されて、友佳ちゃんはシュンとしてしまった。そんなに強く言ったつもりはないのに……。

「もちろんこれは作戦のシナリオなんだから、本当に喧嘩するわけじゃないからね。仲のいい友佳ちゃんと喧嘩したんだ、咲希ちゃんは私をよく心配してくれるでしょう。喧嘩の原因は些細なこと。私は、友佳ちゃんから借りていたペンを返したつもりでいたんだけど、実は返されていなかった。友佳ちゃんが催促に来るが、私は返したと言い張る。そしてそのあと、私はペンを持っていたことに気づく。友佳ちゃんはとても怒ります。嘘をつかれたんだ。怒るのは当たり前だね。そして私は友佳ちゃんに謝るけれど、友佳ちゃんは私を許さないの」

「随分と具体的な作戦なんだな。もっと可愛らしいものかと思っていたよ」

「一生懸命考えたからね。可愛らしいものって、一体どんなのを想像していたの?」

「好きな人を振り向かせるために自分磨きしよう! みたいな? 少女らしい恋というか、もっとロマンチックな……」

「そんなわけないじゃん。友佳ちゃんは夢見すぎだよ」

「へいへい」

「空想ではなく、もっと実際的なものなんだ」

 私が考えついたのはこの作戦だけだ。他の方法が存在しているなんて思いもしなかった。

「そのあとはどうするんだ?」

「友佳ちゃんが私を許さない状態は、しばらくの間続く。けれども最後は、私と咲希ちゃんの情熱に負けて、友佳ちゃんは私を許すの。そして私と咲希ちゃんは、友佳ちゃんの頑固さを打ち破った喜びを分かち合うの」

「あたしは完全に悪者だな」

「嫌?」

「嫌ではなけれど……。なんかなぁ……」

 友佳ちゃんは首の後ろに手を当てた。

「不満があるなら言って欲しいな。私と友佳ちゃんの仲なんだから」

「ああ、畜生! 協力すると言ってしまったんだ。最後まで面倒見てやるよ!」

「さすが友佳ちゃん。立派だね」

「こんなときだけ持ち上げやがって!」

「でも、完璧な作戦だと思わない? 私が考えたとは思えないほど」

「まあ、あたしじゃできない発想だ。ちょっと頭がおかしいとも思ったけれど、悪い意味ではないぜ。あまりにも情熱的だったのさ」

「それって褒めてるの? 貶してるの?」

「どっちもだ」

「友佳ちゃん!」

 貶されてたまるかと思い、つい大きな声を出してしまった。私は本当にこの作戦に自信を持っていた。ここまで頭の冴えたことはなかったんじゃないだろうか。成功し、全てがうまくいく未来が私には見えていた。

「すまん、すまん。でも、ダメな作戦だとは思わないよ。きちんと順序だっていて、すべきことがなんなのかよく分かる」

 ほら、友佳ちゃんもこう言ってくれているではないか。

 他人の証言を聞いた私は、舞い上がっていた。

 この作戦の成功、安泰は絶対なのだ。

「それじゃ、私が謝りに来たら、友佳ちゃんは作戦通り突っぱねてね」

「おうよ。任せとけ」

 これで会談は終わった。

 部屋にかけてあった時計を見ると、昼休みの終了まで二〇分だった。結構時間が余ってしまった。もっとかかると思っていたのに。

 まあ、早く終わった分にはいいか。昼休みまでに話が終わらなかったら、友佳ちゃんと一緒に遅れて教室へ戻ることになっていた。とても目立つ。

 そうなっていたら、二人して授業をサボっていただろう。一緒に遅れるよりはいい。友佳ちゃんはたまに授業をサボるのだ。私については、体調が悪かったことにしておけば、友佳ちゃんと一緒にいたとは思われないでしょう。

 友佳ちゃんとの間に何かあったと、咲希ちゃんに誤解して欲しくなかった。


 列車は走り出した!

 この作戦はもう誰にも止められない。他人に協力を求めた以上、やっぱりやめた、とは言えない。

 といっても、中止するつもりはないのだが。

 作戦を話したときに私を満たしていた幸福感は、今は完全に鎮火されていた。あれほど明確に成功と達成を描いていたのに、その空想は遠く彼方に飛んでいってしまった。たぐり寄せようと努力するも、その結果は虚しく終わる。

 あの幸福感は一体なんだったのだろうか。私をぬか喜びさせるために、敵から送られたものだったのだろうか。敵は神だ。このような芸当、神以外にできるはずもない。人の感情を操作するなど、人間のなせることではない。

 ………………。

 はっはっは、神などそんな……。こんな発想、現実的ではない。私はどうかしていた。真面目な考えをしなければ。

 立ち去った幻想の代わりに、じんわりと染みいるような不安が押し寄せてきた。思考の占める割合は、段々と不安に傾いていく。

 この不安は、作戦の成り行きについての不安ではない。なにか悪い事をしているようなはっきりとしない不安。どこに向けられたものなのか分からない不安。

 私は何を恐ろしく感じているのだ。

 やっぱり咲希ちゃんを騙すことに気が引けている? ――その問題は一度克服したはずだ。なので違うような気がする。

 友佳ちゃんを十分に信頼していない? ――そんなはずはない! 友佳ちゃんは私のことを、そんな簡単に裏切ったりはしない。昔からの友達を、ただの気まぐれで裏切れるわけないではないか。友佳ちゃんの友好的態度を、私は心の芯まで感じている。友佳ちゃんが裏切れば、これまでの振る舞いは演技だったということが証明される。

 不自然な恋を嫌っている? ――これが一番近いような気がする。私は、作戦によって成就された恋に、違和感を覚えているではないだろうか。ぴったりと当てはまるような考えではないが、これまでの三つの問いかけの中で、この問いかけにだけ私はピクリと反応した。ならばこれが一番正解に近いのだろう。

 私にとっての咲希ちゃんは、透き通る宝石のようなものだ。濁りは混ざらず、良質な光のみを反射する純粋な結晶。

 そんな彼女に、塗りたくられた事項はふさわしくないのだ。

 けれどもその事項が、私と咲希ちゃんの共同で作り上げられたものならどうだろう。咲希ちゃんも制作に関わっているのだから、完全に穢れた内容とはいえない。私の手も加わっているが、咲希ちゃんの輝きのほうが目立つに決まっている。

 ……色々考えてまで私の作戦を、私の恋を否定したくなかった。

 許される、許される。

 なんら私のポリシーに反しない。

 一つとして否定することは存在しない。

 全ては是認される。

 咲希ちゃんは今の地位を保つ。

 私はそんな彼女に寄りそえる。

 私たちは先へと進む。

 不幸なものなど存在しない。

 私は何も間違っていない。

 そう思っても、心の中にあるモヤモヤとしたものは消えてくれなかった。しつこいモヤモヤだ。こんなもの焼き捨ててしまいたい。けれどもモヤモヤはどんな処置を施しても、依然としてそこにへばりついている。

 こうなったら時間が解決してくれるのを待つしかない。今あるざわめきは無視だ。気にするな、気にするな。

 このときの私は、いつもとは違い、明るくさっぱりとした考えを持っていた。不安から逃れるために、自然とそんな思考になったのかもしれない。

 最終的な考えもこれまでの私とは違っていた。

 前進あるのみ!

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