5 友達
以前は、咲希ちゃんを意識していたから、授業に集中できなかったのだが、今度は違う理由で授業に集中できなくなっていた。
どうやって咲希ちゃんを振り向かせるか。
授業に集中すべく考えまい考えまいとしても、邪念はふとした隙間をみつけて、巧妙に忍びこむ。侵入してきた邪念を振り払う術はなく、いかなる防衛策も無念に終わる。
結局、午前中の授業の半分を策略のために費やしてしまった。こんなんじゃいけないと、分かってはいるのだが、考えてしまうものはどうしようもない、自分じゃ制御できないのだから。言い訳がましいが決して言い訳ではない。私は、授業に集中できないこの状況を、改善しようと努力している。いいわけないと自分でも思っている。
そんなこんなでお昼休みになってしまった。問題はひとまず置いておいて、購買に昼食を買いに行こう。
一階に降りるため席を立とうとした。
「やあ、優雨。これから昼飯か?」
振り向いてみると、そこには友佳ちゃんがいた。彼女は私の幼馴染だ。小学校より前からの付き合いで、彼女の家も私の家の近くにある。中学校のとき一度疎遠になったが、高校に入ってからはまた仲良くしている。友佳ちゃんが頭を動かすたびに、ご自慢のポニーテールは左右に揺れた。
「なに?」
咲希ちゃんと授業の案件を、片付けなければならないと思考を巡らせていたので、ぶっきら棒な返事になってしまった。
「随分と機嫌が悪いんだな」
「あっ……、いや……、ごめん……」
友佳ちゃんの勢いに押されて、思わず謝ってしまった。
小学校の頃は、こんなに圧迫感を感じせなかったのに、中学校に上がってから、彼女の態度は日に日に変わっていった。これまでの彼女はどこかに消え去り、私の知らない彼女が乗り移っていた。恐ろしかった。見た目は以前と変わらないのだが、中身は刻々と変化していった。それは彼女の皮を被った他人であった。だから私は彼女から遠ざかったのだ、変容を受け入れたくなかったから、彼女を他人だと認めたくなかったから。
そして彼女との関わりを断ったまま、高校へ上がった。久しぶりに彼女は私に話しかけてきた。突然の出来事に警戒しつつも、そのまま彼女と話す回数は多くなっていった。話をしてみて分かったのだが、彼女の芯となるところは、昔と比べて何も変わっていなかった。その隠された彼女を見つけたとき、私は飛び上がるほど嬉しかった。
「別に謝らなくてもいいけどよ。どうしたんだ、いつもの元気がないな。といっても優雨は、もともと元気いっぱいってタイプじゃないもんな!」
友佳ちゃんは笑いながら私の背中をバシンと叩いた。痛たくないように加減のされた優しい叩き方だった。しかし今の私は、その程度のコミュニケーションでも、大打撃をもらってしまう。
叩かれた拍子に、前方へ倒れそうになってしまった。
「なんだ、本当に調子悪いのか? どうしてもダメだったら、早退したほうがいいぞ」
「早退するほどのことじゃないんだけど……」
「そうか。ならいいんだ。でも無理はするなよ。優雨は張り詰めすぎる癖がある。もうちょっと気を抜いて休んでもいいと思うぞ」
「うん。心配してくれてありがとう」
友佳ちゃんは私のことをよく注意して見てくれていた。どうしてそんなに面倒をみてくれるのかと訊いたら、「昔から優雨は危なっかしかったからな。なんというか、地に足がついていない感じ。ふわふわと存在自体がどこかに消えてしまいそうな、そんな危なっかしさを持っているんだよ。放っておけないなんだ」と言われてしまった。
自分ではそのような危なっかしさは感じられない。しっかりしているつもりだ。友佳ちゃんは見た目によらず心配性なのではないだろうか。ならば友佳ちゃんこそ、ありもしない現実を見るその性格を、どうにかしたほうがいい。まあ、私も人の事を言えないくらい心配性なのであるが。
これほどまでに私を気遣ってくれるなら、咲希ちゃんのことを相談してもいいのかもしれない。昔からの付き合いは長く、彼女の人柄も十分に理解しているつもりだ。そして私は問題ないと判断した。
「友佳ちゃん、ちょっと話したいことがあるんだけど……」
「ん、なんだ? 優雨から話を持ちかけるなんて珍しいな。真面目な事か?」
「そう、とっても真面目な話……。ここじゃ話しづらいから外に出ない?」
「ああ、構わないぞ」
友佳ちゃんを連れて教室を出る。
一階に降りたとき、お昼ご飯をまだ食べていないことに気がついた。外で話をしていたら、食べる時間はなくなってしまう。……仕方がない。今日はお昼抜きだ。友佳ちゃんも巻き添えになってしまうが、一日くらいのお昼抜き、許してもらえるだろう。
「なんだ、外って校舎の外か。てっきり教室の外くらいだと思っていたよ。そんなに他人には聞かれたくない話なのか?」
昇降口から出たあとは、校舎沿いを校庭の方に向かって歩いていった。
「そうだね。仲のいい人にしか話しなくない内容かな」
「仲のいい人、と言ってもらえるとは、光栄だよ」
友佳ちゃんは茶化すように言った。
校庭の縁まで来ると、周囲に人の気配は感じられなくなった。空にはやや雲があったが、太陽を隠さない程度であった。桜は散ってしまっていたけれど、この風景には色があった。そよ風が吹き、植木の葉を震わせた。
「単刀直入に言うけど……」
一度、言葉を区切った。
「私には好きな人がいるの」
「へえ」
言った瞬間、友佳ちゃんの左眉がピクリと動いた。そしてニタッと笑う。彼女はこの話に興味を持ってくれたみたいだ。
「話したいことってそれ?」
「うん、そうだよ」
「なるほど、恋の相談か。優雨も恋をする年頃になったんだな」
「同い年じゃん」
「そしてお相手は?」
「咲希ちゃん」
「へ?」
友佳ちゃんの顔から笑みが抜け落ちた。そしてそのまま落胆したように顔を伏せた。
「咲希ちゃんだよ」
「咲希ちゃんって二瓶さんのことだよな? いっつも優雨と仲良くしている」
「その咲希ちゃんで合ってるよ」
「……他に違う咲希ちゃんはいるのか?」
「いないけど……」
「二瓶さんって女じゃないか」
女! そういえばそうだった。性別の問題など全然考えていなかった。しかし、そんな些細な事柄、気にするに及ばない。性別がなんだというのか。私は咲希ちゃんに恋をしているのだ。咲希ちゃんという個人は、性別なんかに揺るがされない。
「悪い?」
「そんなあからさまにキレんなよ」
怒っているつもりはなかった。けれど友佳ちゃんは、私が怒っているように思ったようだ。
「別にキレてなんかいないよ」
「そうか、ならいいんだ」
友佳ちゃんは口を閉ざし、私は話を続けようとしなかった。どうやって続きを話そうか迷っていた。
沈黙が生まれてしまった。
先に口を開いたのは友佳ちゃんだった。
「驚きはしたけれど、あたしは優雨の気持ちを否定しない。思いは人それぞれで、一つ一つを尊重しなければならないと、あたしは知っている。これは気を遣って言っているんじゃない。あたしの本心だ」
「ありがとう」
友佳ちゃんの考えはとてもしっかりしていた、見た目からは考えられないほど。
これで私も続きを話しやすくなった。
「それで、ここからが本題なんだけれど……」
「え。さっきの話で終わりじゃないのか? この昂ぶる気持ちを誰かに話したかったから話しました。続きはなしとか」
「そんなわけないじゃん。そんな単純な理由なわけ」
「じゃあ、なんの用があるんだ?」
「咲希ちゃんを手に入れたいの」
「はぁ。これまた大胆な。そうか二瓶さんを……。うーん、やっぱり大胆だな。普段の優雨からは考えられないくらい大胆だ」
「自分でもこんなことを考えているのは自分じゃないような気がしているの。けれどもやっぱり、私が私の意志で決めたことなんだよ」
「それは立派なことで」
「咲希ちゃんを手に入れるために行動を起こしたい。何か手を貸してほしいなって思ったときは、よろしく頼みたいの」
「おう、協力してやるぜ。優雨には失礼だがこんな面白そうなことは滅多にないからな。具体的な策は考えているのか?」
「まだ考えてないや」
「いいんじゃないか。期限があるわけではないし」
「でも卒業までにはどうにかしたいかな」
「それはそうだ」
卒業は別れを示す。咲希ちゃんとも友佳ちゃんとも、卒業したら頻繁に会えなくなるだろう。会おうとすれば会えるけれど、双方のタイミングが合わなかったり、久しく会っていないから遠慮してしまったり、色々な原因があって人々は疎遠になるのだ。
……けれども恋人の関係にあれば、事情は違ってくるだろう。恋人という関係はそれだけで連絡を取る口実になる。
別にそのために、咲希ちゃんと恋人同士になりたいわけじゃないけれど、それも利点の一つと考えていいだろう。
「それにしても意外だったな、優雨が恋をするなんて」
「意外ってどういう意味?」
何も意外なところはないと思う。私が人間である以上、恋の一つや二つするに決まっている。となると、友佳ちゃんは私を人間ではないと思っているのだろうか。そんな馬鹿な。
「いやあ、自分でしたいことを持って、それを達成するために行動するなんて、昔の優雨からは考えられなかったから」
「行動するなんて、当たり前じゃん。馬鹿にしているの?」
少し苛立って訊いた。行動もできない怠け者だと思っているのではないだろうか。そんな風には思われたくない。
「まさか、そういうわけじゃないよ。ただ友達の成長を感じていただけ」
「そう、ごめんね、強い言い方をしちゃて」
「はははっ、そんなの気にしないよ。むしろそのくらい元気のあったほうが安心する。優雨らしくはないけれどね」
「これから、なにかとお世話になりそうだけれど、改めてよろしく」
「あたしの方こそ、いい刺激になりそうだよ」
私は友佳ちゃんに協力してもらえるよう約束をした。一人でどうにかしようとするよりは、信頼できる友達と共に臨んだ方が効率的であろう。この関係が私を一歩前進させるように、と願った。