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ハンカチ  作者: 伊藤
25/25

25 田んぼ道

「今日は一緒に帰ろうよ!」

 帰りの準備をしている咲希ちゃんにむかって、私は勇気を振り絞って声をかけた。

「一緒に?」

「そう、一緒に。最近は別々に帰ってたでしょ。久しぶりにはいいかなって」

「そうだね。じゃあそうしようか」

 咲希ちゃんは私の誘いに応じてくれた。

 ……ここで断られなくてよかった。断られたら全てが台無しになってしまう。

 咲希ちゃんと一緒に教室の扉をくぐり、階段を下りる。昇降口で靴を履き替え、校舎の外に出る。

 曇り空の下を数歩あるいたら、以前どのように咲希ちゃんと一緒に帰っていたのかを思い出した。別々に帰っていた期間は数日間しかないのに、たまらなく懐かしく思った。歩を進めるごとに、足の裏からじんわりとした暖かさがのぼり、私を侵食していった。

 帰り道を辿っていく間にかわされる言葉はやはり少なかった。私が一言口を開き、咲希ちゃんがぽつりぽつりとそれに応える。そんなやり取りが幾度か繰り返された。ぎこちない応答は今にも途絶えてしまいそう。この往復を突き破って好きだと伝える気にはなれなかった。いつ言ったらいいのだろうか。なかなかタイミングを掴めなかった。

 そうこうしているうちに踏切を越えてしまった。残りの道は約半分。咲希ちゃんと別れる前に決着をつけなければならない。先延ばしにしてしまったら、咲希ちゃんと仲直りする機会は二度と訪れないだろう。昨日言わなかったから今日も言わなくていいや、と思うようになり、最後には伝える気すらなくなってしまう。

 田んぼ道にさしかかったら好きだと言おう。

 逃げ道をなくすため、私はそう決心した。

 駅を通り過ぎ、北にむかって進んでいく。駅までの道を外れると、他の生徒の数は少なくなっていき、やがて周りに誰も見えなくなった。

 大きな道路にある横断歩道を渡る。

 一歩々々進んでいくごとに田んぼ道は近づいていく。緊張も増していった。私は決定的瞬間を直前になって拒んだ。自分で定めた任から逃げ出したかった。進行は止まらず決定的瞬間は刻一刻と近づいていった。

 私は田んぼ道を迎えた。

「咲希ちゃん!」

 歩きながら話を始めた。

「どうしたの?」

 咲希ちゃんはぽかんとした顔で私を見つめていた。

「これから、咲希ちゃんにとっては信じられないことを言うかもしれない。けれど決して驚かないで欲しい。そして、私の言ったことを信じて欲しい」

「う、うん」

 咲希ちゃんは若干戸惑い気味になっていた。私が唐突なことを言ったので、それも仕方ないだろう。

「私は咲希ちゃんのことが好きなの!」

 私は歩みを止めた。咲希ちゃんもそれにならった。

「どうしようもないくらい好きなの! 咲希ちゃんのことをいつも考えていて、できることなら私のものにしちゃいないくらい!」

「……好きって?」

 咲希ちゃんは状況を読みこめていないようだった。それはそうか。同性から説明なしにこんなこと言われても意味が分からないだろう。

「この好きは恋愛的感情であって、私は咲希ちゃんと恋人同士になりたい。咲希ちゃんに嘘をついたのも、騙すようなことしたのも、私たち二人の距離を縮めるためだったんだ。私は咲希ちゃんと付き合うために、友佳ちゃんと喧嘩しているって嘘をつくことにした。そうすれば、友佳ちゃんとの仲を取り戻せるように、咲希ちゃんが協力してくれると思った。そしてその通りになった。友佳ちゃんと仲直りするための方法を、一緒に考えていれば、自然と仲が深まり、咲希ちゃんに好きになってもらえると思ったんだ」

 計画の顛末を話した。今しかないと思った。最初の一言を乗り切れば、後はすらすらと言葉が勝手に出ていった。言わなければならないことを言い切ったとき、私を縛るもの、私を責めたてるものは何もなくなった。清々しかった。

 咲希ちゃんは目を見開き、しばらくの間何も言わなかった。

 私たちは対峙していた。今後の人生を変える一瞬で、私たちはお互いを見張り、相手の一挙一動に気を配っていた。

「それなら……」

 咲希ちゃんがゆっくりと口を開いた。

「それなら最初からそう言えばよかったじゃん! 私に好きになってもらいたいんだって! 私のことが好きなんだって! 私と恋人同士になりたいんだって! こんな遠回りなことしなくてもよかったのに……」

 咲希ちゃんは泣き出してしまいそうなくらいに声を荒げていた。彼女の本当の気持ちを見れた気がした。私はたまらなく嬉しかった。

 意を決したように咲希ちゃんは、制服のポケットに手を入れて、引き抜いた。くるりと身体の向きを変え、田んぼにむかって何かを投げた。放たれたものは小さく、何を投げたのか確認することはできなった。やがてポチャリと、水の張られた田んぼに、ものが落ちていった。

 水面は太陽の光を反射し、きらきらと光っていた。

「私のこと好きなら、本当に申し訳ないと思っているなら、証明してみせてよ! ……さっき投げ入れたものを拾ってきて」

 迷いはなかった。そんなことで咲希ちゃんへの想いが証明できるなら、私は喜んで使命を果たそう。私がついた嘘に比べれば、こんなのなんでもない。

 鞄を置き、靴を履いたまま田んぼに入る気にはなれなかったので、裸足になった。そして上着も脱ぎ、袖をまくった。アスファルトが足裏にくいこみ、チクリチクリと痛かった。

 咲希ちゃんはただ黙って準備する私を見つめていた。

 稲の苗は植えられていなかったので、遠慮せず田んぼに入ることができた。

 水の冷たさと泥のぬめりとした感触が、足にまとわりついてきた。

 ものが落ちていった場所にまで進んでいった。転ばないよう慎重に身体を動かした。

 目的の場所まで来てみたが、ものは泥の中に沈んでしまったのか、目で見つけることはできなかった。

 このあたりだと見当をつけると、私は泥の中に手を入れた。当てずっぽうで手を動かし探ってみた。

 一度や二度で見つかるものではなかった。何度も何度も泥の中に手を入れた。

 ……こんな方法で本当に見つけられるのだろうか。偶然に頼って捜しものをするなんて、無謀だ。そもそも私は投げ入れられたものが何かを知らないではないか。それなのに見つけられるのか?

 指先に固いものが触れた。私はそれを握り、泥の中から引き抜いた。

 握った手を開く。そこにあったのは遊園地で買ったキーホルダーだった。

 私は咲希ちゃんのもとに戻っていった。行きと同じよう慎重に。

 アスファルトに上がる直前、泥のついたキーホルダーを洗っておこうと思いたち、足元の水にキーホルダーを入れて泥を落とした。私の手の汚れも落ちていった。

 そして田んぼから出た。足の汚れは落ちていなかった。

 咲希ちゃんの正面に立つ。

「はい! 見つけてきたよ!」

 私は明るい声でそう言った。嫌々田んぼに入ったと、思われたくなかったので、声に元気をのせた。

「優雨……」

 咲希ちゃんは心配そうに私の瞳を覗きこんでいた。

「どうして取りに行ってくれたの? そこまでしなくてもよかったのに……。つい衝動的にキーホルダーを投げ入れてしまった。今はあんなことするべきではなかったと思っている。優雨を泥まみれにしてまで得るものなんか何もないよ……」

 私は即座に答えた。

「キーホルダーを取りに行ったのは、咲希ちゃんと仲直りしたかったからだよ」

 それ以外に理由はなく、その理由すらも怪しかった。私には取りに行かないという選択が存在しなかった。咲希ちゃんと仲直りできるのなら、大抵のことには耐えられた。田んぼの中に足を沈めるなど、考えるまでもなく容易なことだった。私はいいえを考えなかった。

「そっか」

「うん。そうだよ」

「本当に優雨はダメな人だね、自分のことすら考えられないなんて」

 咲希ちゃんはゆっくりとこちらへ手をのばした。そして私の肩を掴み、優しくキスをした。

 しばらく動けないでいた。私がじっとしている間、咲希ちゃんは唇を離さなかった。

 驚きと恥ずかしさが一気に襲ってきた。激しくなった感情の荒ぶりから逃れるため、私は咲希ちゃんを押し離した。

「咲希ちゃん!」

「嫌だった?」

「嫌じゃないけど……」

「どうしてキスしたの?」と訊こうとした。しかしそれよりも早く咲希ちゃんが口を開いた。

「いきなり好きと言われても、私はどうすればいいのか分からない。けれども今は、こうすべきだと思ったんだよ。優雨が私の無茶な要求に応えてくれたように、私も優雨のために何かしたかった」

 やっぱり咲希ちゃんは、私の好きになった咲希ちゃんだった。騙されていたことなんか根に持たず、自分の感情に素直で、行動することを躊躇わなかった。

 再び咲希ちゃんの顔が近づいてきた。そしてキス。今度は遠ざけないで彼女を受け入れた。

 私たちの唇はふれあい、体温を共有した。咲希ちゃんを知り、私を伝えた。

 これからどうなるかなんて分からない。咲希ちゃんとキスするのはこれが最後かもしれない。けれども私は、咲希ちゃんに振り向いてもらえるよう努力しよう、今度はまっすぐに向き合って。そう誓って目を閉じた。

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