22 再確認
不安により重くなった足を引きずって、私は嫌々ながら登校した。
教室に着いたら真っ先に、咲希ちゃんが学校に来ているかを確認した。彼女は私と言い争いをしたのだ。私と同じように学校に行きたくないと思い、今日は休んでいるかもしれない。もし、咲希ちゃんがいなかったら、今日のところはやり過ごせる。
咲希ちゃんは平然と自分の席に座っていた。まるで昨日の出来事などなかったかのようだ。
私はつい咲希ちゃんから視線をそらしてしまった。それは気まずさと悔恨に突き動かされた結果であった。
私には度胸が足りなかった。もっと度胸をつけていたのなら、咲希ちゃんから目をそらさずに済んだのに。
私には覚悟が足りなかった。もっと覚悟を決めていたのなら、たとえ咲希ちゃんに計画がばれてしまっても、動揺なんかせず、事実を受け止め、以前と変わりなく日々を過ごすことができたのに。
結局のところ、私は未熟で愚かだったのだ、このような結末を予想できず、現実に打ちひしがれているなんて。
這うような思いで自分の席までたどり着き、ぼんやりと授業の開始を待った。
昼休みの時間になった。
こんな状態でお腹などすくわけもないのだが、何も食べないでいるともっと元気がなくなってしまうと考え、私は仕方なしに教室を出た。
「優雨、ちょっといいか?」
その声は友佳ちゃんのものだった。
振り向いてみる。やっぱり友佳ちゃんだ。
「どうしたの?」
私は朝から続くゆらぎを隠しながら言った。
「ここじゃなくて別の場所に移動しよう」
と言って、友佳ちゃんは、私の手を引っ張って歩き出した。
どんどんと廊下を進んでいく。友佳ちゃんはこちらを振り返りもせず、一直線に廊下をつっきっていった。ある程度進んだところで分かった、友佳ちゃんは空き教室へ行こうとしているのだ。
着いた先はやはり空き教室だった。
友佳ちゃんは扉を開けて教室の中に入ったので、私も後に続いた。
教室には積み重ねられた机と、私たちが用意した机と椅子のセットが、最後に訪れたときと変わらず、そこにあった。
そういえば、友佳ちゃんから空き教室に連れてこられるのは初めてだ。いつもは私が友佳ちゃんを空き教室に連れていくのに……。そう考えると、なんだかちょっと充実した気持ちになった。私が一方的に友佳ちゃんを引っ張るのではなく、彼女から用があると声をかけてきた。友佳ちゃんは自分から私と話そうとしているのだ。
もちろん、どんな話をされるのかという不安はあった。昨日の今日だ、咲希ちゃんに関する話なのは絶対だろう。今の私は、咲希ちゃんとの衝突に触れられるだけで、自身の悪を指摘されたように震え上がってしまうだろう。しかし、これらの不安は、押さえ込めるほどの力しか持っていなかった。友佳ちゃんから声をかけられて生まれた充実感が、私に大きな不安を感じさせないよう手配してくれていた。
友佳ちゃんは椅子に座ることなく、机の山と、いつも座って作戦についての相談をしていた椅子と机のセットの間で、話を始めた。
「昨日はすまなかった。二瓶さんに見つかったとき、あたしは何もできなかった。もし何か一言でも、気の利いたことが言えていれば、二瓶さんをあそこまで怒らせずに済んだかもしれない」
「いや、いいんだよ。友佳ちゃんは何も悪くない。失敗したのは、私が注意を疎かにしていたからなんだ。友佳ちゃんはこれまで作戦に協力してくれた、それだけで十分だよ」
これは本心だった。作戦の失敗は私の問題であるのだから、友佳ちゃんに責任を押しつけたくなかった。つまずきを友佳ちゃんのせいにしてしまったら、私は覆せない後悔をすることになる。
「十分か……」
友佳ちゃんは私の顔をじっと見つめて、そう呟いた。
「あたしは優雨の作戦に十分付き合えたと思う。最後は失敗してしまったけど、それまでの過程で、あたしは優雨のためにできる限りの努力をした」
「そうだね。友佳ちゃんは私から見ても、一生懸命協力してくれたように思えるよ」
「優雨はどうだ? 優雨はこれまでの過程、そして結果に満足しているのか?」
「私は……」
どう答えたらいいのか迷ってしまった。正直にいうと、この失敗という結果に満足しているはずがなかった。もうこの結果は変えられれない。ならばこれからのことを考えよう。最悪の状況に陥ってしまった今の状況をどうにかして変えなくてはならない。咲希ちゃんと恋人同士になることはできなくても、以前のように仲のいい友達になれなくても、普通に話ができる程度には関係を回復させたい。そうだ、私は咲希ちゃんとの仲を取り戻したいのだ!
しかし友佳ちゃんにむかって率直に、満足していないと言うのは気が引けた。満足していないと言うのは、協力してくれた友佳ちゃんに、文句を言っているようなものではないだろうか。私のわがままを支えてくれた友佳ちゃんを悪く言いたくない。なので、素直な考えを口にすることはなかった。
「私は、満足とまではいかないにしても、自分の立てた作戦が無意味だとは思っていないよ。行動には何かしらの意味があるはずなんだ。だから残念な結果になってしまったけれど、それはそれで一つの結末として認めているよ」
言葉はすんなりと出た。本心を隠すのだから、適当なことしか言えないと思っていたのに、意外としっかりした考えが口を出ていた。もしかしたら、先程の言葉には、私の本心がいくらか含まれているのかもしれない。しかし、「一つの結末として認めている」というのは明らかな嘘だ。
「そうだな。優雨の作戦は悪くなかったと、今でも思っているよ」
「…………」
「…………」
生徒たちの喧騒が、廊下を伝って響いてきた。この空き教室は、日々の経過から取り残されたように、物怖じせず佇んでいた。空間が切り取られたようだ。
「こんなときに言うことじゃないって分かっている。こんなときに言ったんじゃ、優雨の本当の気持ちを知ることはできない。けれど今しかないんだ。今を逃したらもう二度と伝えることはできない。そう知っているんだ」
「友佳ちゃん?」
友佳ちゃんが何を言っているのか、私には分からなかった。
「あたしと付き合わないか、優雨、あたしのことを好きになって欲しい。身体の内側でジリジリと燃える炎に、あたしは耐えられないでいるんだ。優雨が、二瓶さんと付き合いたいだなんて言い出したとき、あたしは身が引き裂かれるような思いをした。二瓶さんのことを少しだけ憎んだ。しかしそれは一瞬だった。すぐに諦めがついたんだ。優雨自身がこう言っているのだから仕方ないと、優雨の意志は誰にも曲げることはできないと。あたしは清々しい気持ちで優雨の作戦に協力した。けれども、作戦は失敗して、優雨は二瓶さんと大喧嘩した。すると、優雨に対する想いがまた湧き上がってきたんだ。この気持ちを抑えきれなかった、抑える必要はないと思った。こんな卑怯なあたしを許してくれ」
友佳ちゃんは一つ、間を空けた。
「あたしは優雨が好きだ」
それは愛の告白だった。
友佳ちゃんから好きだと言われて、私は満たされた気持ちになっていた。とても不思議な感覚だった。水の中に浮かんでいるよな、身体に力を入れなくとも、倒れる心配がない状態。もちろん本当に力を抜いたら、立っていることはできなくなる。私の身体は現実に縛られているけれど、心は何物にも縛られず、水中を自由に歩いていた。
友佳ちゃんの告白によってもたらされた充実感は相当なものだった。私の全てが認められたような気がした。これまでに味わったことのない幸福感だった。
身体を浮遊させる水と内側から攻める太陽に圧倒された私は、友佳ちゃんを受け入れてもよいと思った。今以上の幸福はない。友佳ちゃんと付き合えば、この幸福をずっと保つことができるだろう。
……それは幻だ! 幸福の持続はありえない!
一時の感情に身を任せて行動すべきではない。今の幸せに確信を持っていても、未来までも保証してくれるわけではない。
それに、私は咲希ちゃんを裏切れなかった。咲希ちゃんのことが好きなのに、その気持ちを無視して友佳ちゃんと付き合うのは裏切りだと私の心が告げていた。もちろん咲希ちゃんは、裏切っただなんてちっとも思わないだろう。しかし私はどうしても咲希ちゃんを裏切ったように感じてしまうのだ。この裏切りは友佳ちゃんへの裏切りにもなるだろう、友佳ちゃんと付き合っても咲希ちゃんのことを好きなままだ、という事実を隠すのだから。
あっ。
あのときハンカチを貸してくれたのが友佳ちゃんだったら、私は友佳ちゃんに恋していたのかもしれない。私は今、友佳ちゃんを受け入れようかと考えていた。迷っていたのだ。友佳ちゃんと付き合うのは決して嫌ではなかった。友佳ちゃんからハンカチを受け取って恋に気づいたら、私の気持ちは友佳ちゃんにむかっていただろう。恋は不器用に積み重ねられた偶然の上に成り立っていた。
「やっぱり私は、咲希ちゃんが好きなんだよ」
きっぱりと友佳ちゃんに告げた。
「そう、か……」
友佳ちゃんはうつむいて、ぽつりぽつりと言葉をもらした。