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ハンカチ  作者: 伊藤
10/25

10 ひび割れのように

 みんなが帰ったあとの教室。

 私と咲希ちゃんと友佳ちゃんだけは帰らないでいた。

「『放課後、教室に残っていて』だなんて、一体なんの用があるんだ? 優雨」

 友佳ちゃんは面倒くさそうにクラスメイトの誰かの席に座っていた。右の足首を左の膝に乗せている。普段の教室では絶対に晒さない姿。下着が見えてしまいそう。同性しかいないから、気を抜いているのだろうか。

 そんな友佳ちゃんを前に私たち二人は直立不動であった。

 これから行われるやり取りが失敗し、咲希ちゃんに企みの全貌が明かされてしまう、なんてことにならないだろうか。そればかりが心配だった。

「というか、二瓶さんもいるのか。二人揃ってどうしたんだ」

「優雨から話があるらしいの」

 呼び出した私が何か言う前に、後ろにいた咲希ちゃんが口を開いた。

 続けて私も友佳ちゃんに話しかける。

「あのね、友佳ちゃん」

「なんだ?」

「この前、どちらがペンを持っているかで喧嘩しちゃったでしょ」

「ああ、あの事か……。あたしも優雨もつまらないことで喧嘩したものだ。今考えると、ペンぐらいで何を熱くなっていたんだ。馬鹿々々しい。もうその話はしないでくれ」

 なかなかに棘のあることを言われてしまった。本当は怒っていないのだと知っているけれど、放たれる強烈な威圧感に思わず竦んでしまう。

 ペンについてのことを話すなと言われても私に話す以外の道はない。そうしないと作戦を先に進められない。友佳ちゃんが言っていることは嘘なのだ。何も恐れる必要はない。私に向けられている苛立ちも嘘で、これから行われる私の謝罪も嘘。虚構同士の会話なのだ。

 後ろにいる咲希ちゃんは、何を思っているのだろうか。何を言われても負けずに頑張って、とでも思いながら、私を応援しているのだろうか。

 なんだか滑稽だ。好きな人なのに滑稽だ。こんなこと、思っちゃいけないのかもしれない。けれども滑稽なのだ。私と友佳ちゃんは真実を知っている。知らないのは咲希ちゃんだけだ。演じられた森に迷いこんだ彼女。その人は変わりゆく木々に惑わされながら、作られた泉を目指して行く。滑稽だ。

 けれども、私自身の木に囚われて欲しい。木陰で休憩する彼女を両の葉で包みこみ、安息のひとときを与えよう。

 さて、これから私は友佳ちゃんに謝らなくてはならない。友佳ちゃんがなんと言おうと、私は謝罪せねばならない。

 一つ深呼吸をして気分を落ち着かせた。

 演技だと分かっているけれど、友佳ちゃんに謝るのは少し癪だった。

「ごめんなさい! ペンを持っていたのは私だったの!」

「は?」

 友佳ちゃんは片眉をピクリと上げ、私を睨んだ。背筋が凍るほどであった。

 なんと素晴らしい演技力なのだろう。いいや、これは友佳ちゃんの素なのか? だとしたら、普段の友佳ちゃんに感謝しなければならない。

 これほどの迫力、臨場感があるなら、咲希ちゃんは騙されるに違いない、疑いの余地すら与えずに。放課後が近づくにつれて、友佳ちゃんはしっかりやってくれるかな、と心配していたのだが、そんなの無用だった。

 むしろダメなのは私だ。友佳ちゃんが生み出す効果に比べて、私はこの場に適応していない。合成して無理やり当てはめたような……。もっと演出に力を入れなければ。咲希ちゃんを完璧に騙せるように。

「やっぱり、優雨が持っていたんじゃないか。あんなにも自己の無実を強く主張していたのに、今度はそれを一転させるのか。しかもその話はしないでくれと言っただろう。なのに掘り返して、一体何になるというんだ」

 友佳ちゃんが堅苦しいことを言っていた。一生懸命考えた科白なのだろうか。それとも即興で?

「ごめん……」

 強く非難されたので、萎縮してみせた。

「優雨も反省しているみたいだし、許してあげたらどうかな」

 咲希ちゃんが割って入ってきた。

「あたしは優雨を許さない」

 友佳ちゃんは透き通るような声で言った。

「このままペンのことについて何も言わなかったら、不問にするつもりだった。けれどもう遅い。優雨は口を開いてしまった。言ってはならないことを言ってしまった。あたしの神経を逆撫でしてしまった。何もかも終わりだ」

「終わりじゃない」

 咲希ちゃんはなおも友佳ちゃんに歯向かっていた。私の前に歩み出て、力強く友佳ちゃんに抵抗していた。

「いいや、終わりだ」

「終わりじゃない!」

 咲希ちゃんは叫ぶように言った。友佳ちゃんに支配されていた教室の空気を、一瞬取り返したような気がした。

 これには友佳ちゃんも驚いたようだ。頬の筋肉が痙攣したのを私は見逃さなかった。

「黙れ。いい加減にしろ。それになんだ。謝りに来るのも一人じゃできないのか。人についてきてもらって。甘えている」

 友佳ちゃんの言っていることは、痛いほどに正しかった。咲希ちゃんはどう思っているのか知らないが、少なくとも私はそう感じた。

 咲希ちゃんは何も言わなかった。

「ごめん……」

 なので私が言葉を続けた。

「悪いのは私なんだ。ペンをなくしたのも私で、友佳ちゃんが持っていると言い張ったのも私。だから咲希ちゃんに矛先を向けないで欲しい」

 何も話さないでいるよりは、言葉を続けるべきだ。停滞は違和感を生む。ごまかせ。ごまかせ。

「仲間同士の庇い合いか。みっともない。茶番はよそでやってくれ。あたしの見ていないところで」

「そんなんじゃない。そんなんじゃないんだよ……」

 咲希ちゃんの瞳から涙がこぼれ落ちた。それは頬を伝い、後続のための軌道をつくった。初め、彼女は忍び泣くだけであったが、やがて耐えられなくなったのか、声を上げて泣き始めた。

 咲希ちゃんの泣き顔は快楽の渦を引き起こした。全身を駆け巡る震動、それはまるで血液の循環のよう。赤くぬめりを帯びた血液は私の良心をも溶かしてしまう。

 私と友佳ちゃんがついた嘘は、咲希ちゃんの認識においては事実なのだ。虚構は真実となった。咲希ちゃんの感情を思いのままに操ったのだ。

 友佳ちゃんは困ったような表情で私を見つめていた。私も咲希ちゃんが泣いてしまうとは予想していなかった。しかし、咲希ちゃんがかわいそうだからという理由で、作戦を中止するわけにはいかない。野望はとてつもなく大きい。中止する意味が分からない。決定的な破滅に遭うまで、作戦は続行されるべきだ。咲希ちゃんの泣き顔は、作戦を阻害するほどのものではない。

「ごめんね……。こんな泣くつもりなんてなかったのに……。ごめんね……」

 咲希ちゃんは泣きながらも、私たちを気遣っていた。

 ここで友佳ちゃんを糾弾すれば、どれだけ英雄的であっただろう。

 けれども私は何も言わなかった。それをしたら目的から外れてしまう。今は、友佳ちゃんが私を非難することで、私の惨めさを演出しているのに、泣いている咲希ちゃんの味方をしたら、一番不幸な人物は咲希ちゃんになる。そうなると、この場面をもうけた意味がなくなってしまう。

 なので何も言わなかった。

「二瓶さんが泣いても、あたしの考えは変わらない。どうしてあたしの怒りがおさまるのだろう。優雨に許される権利などない」

 友佳ちゃんはそう言い放って、早足に教室を出ていった。

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