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冬の廊下と恋の音  作者: 日野うお
2/3

二、美術部部長の反省

きゃあきゃあとあがる声が気になる。

「かっこいいよねー」

「本当、うらやましいぃずるいぃ」

「でもさ、ちょっと憧れちゃわない?」

「広瀬部長も…」

たまに声を潜めてくすくす笑う中に、自分の名前が入っている気がした。大方、テニス部の幸田の部長っぷりと比べて残念がっているのだろうと、聞こえないふりをする。

一年生の3人組が騒がしいのはいつものことだ。けれど、このところさらに気になる。

それは、テニス部のせいだとゆずきは思う。部長の幸田は、背も高いし一般的に『いい顔』と言われる部類なのだろう。騒ぐのは本人でなく周りだとは分かっていても、幸田の顔を見たくない気分になる。

「ふふ。テニス部が廊下を使うって、ちょっと心配してたけど大丈夫だったねぇ」

「そうだ、ね?」

「幸田君、がんばってるよね」

香奈枝までにこにこと、幸田のことを誉める。それがなおさら悔しいが、口に出すのはますます負けたようで、話を変える。

「それより、デッサンしないと」

おしゃべりが当たり前のようになっているが、今日は全員参加日、顧問の先生から課題が出ているのだ。

「ねぇ、静かに描こうよ」

思いきって、声をあげた。けれど、こちらを振り向いた一年生たちは、はぁいと間延びした返事をしたものの、むしろにやにやと笑って囁きあっている。

ゆずきは無力感に襲われた。廊下からは、絶え間なく元気のいい掛け声が聞こえてくる。ひときわ大きいのが幸田の声で、みんなそれに被せるように競いあって声を出しているのだ。

──聞きたくない。

教室の中央に据えた彫像を凝視する。その白い石膏の目が、嗤っているような気がした。


ゆずきの態度は部活中に限らなかったのだろう。数日も経つと、クラスの男子に指摘されてしまった。

「なんで最近幸田のこと避けてるの?」

「ああ、それね。ゆずきはテニス部が美術室前で活動することに納得してないから」

ぎくりとして黙っている間に、おっとりとした香奈枝がばらしてしまった。

「そうなの?幸田、可哀想」

かわいそうと言いながら、彼はにやにや笑っている。その視線に、勘のいい幸田が気づいてしまった。

「なんだよ?」

「いやぁ、広瀬に幸田のこと避けてる理由を聞いてただけ」

きっとにらむが、爆弾を落とした本人は何処吹く風だ。

「え、お前俺のこと避けてるの?まじで?ちゃんと約束は守っただろ」

「なになに、約束って」

「私も聞いてない」

ゆずきは言葉につまった。確かに部員が来なくなることはなかった。どう『うまく』やったのかは知らないが、約束を守ったというからには、なにかしら幸田がしたのだろう。

けれど、それをゆずきの口から言うのは屈辱だった。自分の部の問題を、幸田に解決してもらったなんて。

顔がかあっと熱くなる。泣きそうだ、と分かった。

「おい、広瀬?!」

逃げてしまった。途中まで幸田が追いかけてきたのがわかった。

もちろん、運動部の足に勝てるわけがない。でも、女子には女子トイレという砦がある。

個室にこもって、次の授業のチャイムまで待ったら、もう大丈夫だと鍵を開ける。

今日はこのまま早退してしまおう、と決める。さぼったことなどないが、実際問題授業に出ても何も出来そうにない。昼食をしっかり食べてしまったので、具合が悪かったのだという言い訳はかなり苦しいが、もうそれしかない。

そこまで考えて、廊下に出る。そこで腕を捕まれて声が凍った。

「来いよ」

今まで聞いたなかで、一番低い声だった。強く捕まれた腕が痛かったが、怖くてそんなことは言えなかった。

ぐんぐん引っ張っられて、玄関まで来る。

付近には普通教室はなく、授業中の今は人の気配もなかった。きんと冷えきった空気が、肌を刺す。

下駄箱の前で、やっと幸田が立ち止まった。けれど、まだ腕は捕まれたままだ。

しばらく、幸田は黙ったままだった。こちらを振り向かない横顔は、眉がつり上がって明らかに機嫌が悪い。こんな幸田を見るのは、初めてだった。

その肩が軽く上下している。走ったわけでもないのに、息が上がっているように見えた。ゆずきの息は上がっていないのに。

「あのさ、授業は…」

「なんで逃げるんだよ」

意を決して話しかけたゆずきの声を遮るように、低い声が被さる。やはり、ものすごく機嫌が悪い。どうやら、原因はゆずきが逃げたこと。

「ちょっと、具合が悪くなって」

「違うだろ、ずっと避けてただろ」

気づいていないとは思っていなかった。ただ、気にしないかもと思っていた。

「俺、なんか悪いことしたか?ちゃんと約束守ったぞ。美術部の参加者減らしてないだろ。それに、部員にだってよく言い聞かせたし、礼儀正しく真面目に活動してるだろ」

その通りだ。でも、だからこそ、無性に悔しくなった。

「幸田が、約束守ったって、美術部の邪魔になってなくたって、私は」

「『私は』なんだよ?」

「私は、幸田が目に入ると、苦しい」

「…なんだよ、それ」

「しっかり部員をまとめて、結果だしてて。美術部の子まであんたに憧れてる。毎日毎日それを見せつけられるの、本当、もう」

そこまで勢いで言ってから、初めて幸田の顔に気づく。

傷つける自覚はあった。怒っていると思っていた。ふざけんな、とキレて教室に戻ってくれれば、この場を逃れられるくらいに。

それなのに、幸田は、泣きそうに見えた。

「おい、お前たちなにやってるんだ。授業中だぞ」

廊下の向こうから声をかけられて、はっと振り向く。巡視の先生が近づいてくる。

「…すみません。俺、教室に戻ります。こいつ、具合が悪いらしいんで、保健室に行かせて下さい」

「お、なんだ幸田か。分かった。まっすぐ戻れよ」

日頃の行いか、幸田はあっさり許された。

「そっちは…広瀬かぁ」

ゆずきを目に入れて、先生は軽く目を見開いた。その後、うんうんと一人で頷く。

「じゃあ保健室行くぞ」

本当なら保健室に行くには教務室で許可をもらうなどの手続きがある。それなのに、ゆずきは体調すら聞かれなかった。それが、ささくれた心にまた火をつける。

「どうした?」

「幸田の言うことだから信じて、保健室に行かせてくれるんですか?」

悔しい。腹が立つ。泣きたい。

自分が何を言っているのか、何に歯向かっているのか、自分でも分からなかった。

けれど先生は怒りもせず、苦笑しただけだった。

「違うよ。確かに幸田も信用はあるけど、それをいうなら広瀬、お前もだろう。理由なくさぼるやつでもなければ、理由なくそんなに荒れるやつでもない」

荒れている。指摘されて、自分の状況を再認識する。

さあ行くぞ、ともう一度促され、ゆずきはのろのろと後をついていった。


保健室でも、根掘り葉掘り聞かれたり本当に体調が悪いのかと聞かれたりすることはなかった。

一時間ほど眠らせてもらって、カーテンから顔を出す。すると、香奈枝がいた。

優しげな眉がホッとしたように緩む。

「ゆずき。もう大丈夫なの?」

「うん。心配かけてごめんね」

香奈枝は少しためらいながら、私こそ、と言った。

「ごめん、ゆずき。私、鈍いから、ゆずきに嫌な思いをさせてたよね」

ドキッとしたが、ゆずきは首を振った。このところずっと、嫌な思いというか、苦い思いをしていたのは確かだが、それは香奈枝のせいではない。

けれど、香奈枝は思い詰めたような口調を変えなかった。

「幸田くん、ゆずきにはばれたくないと思うけど、一生懸命だったからついつい」

「え、ちょっと待って、何の話?」

話の方向性が読めなくなった。

香奈枝も、あれ、という顔になる。

「二人で消えたあと、幸田君だけ死にそうな顔で戻ってきたから、てっきりふられたんだと思ったんだけど…違ったの?」

驚きは、一瞬ゆずきの呼気を奪う。それでも必死でかき集めた息で、叫んだ。

「何それ、なんで私が振られるの?!」

憤慨したゆずきに、香奈枝が慌てて両手を振る。

「違う違う、幸田が!ゆずきに!振られたんでしょってこと」

今度こそ声も出なかった。

「あの張り切りようからの今日の落ち込み、もう確実だってみんな言ってたんだけど…違うみたいだね」

ごめん、と呟いてへにゃりと眉を下げる。

香奈枝のそんな顔を、ゆずきはただただ馬鹿みたいに見つめた。

「張り切って、た?」

「うん。もう、この際だから言っちゃうね…ほら、ゆずきだって見てたでしょ?校内トレーニングなんてやる気のない部もあるのに、すごくきびきびメニューをこなしてたの。声だって、あんなに出して」

そこで思わずといったふうにくすりと笑う。

「あからさまだから、テニス部のみんな部長の片恋相手に興味津々で、応援モードだったじゃない。それで、うちの一年の三輪ちゃんたちも散々騒いでたんだよ。ゆずきが幸田に思われててうらやましいーって。本当に気づいてなかったの?」

あれもこれも、自分の卑屈な感情のせいで色眼鏡で見ていた。そう気づかされたら、もうどんな顔をすればいいか分からなかった。いや、いまだに半信半疑ではあるのだが、それでも、普段そういう噂に関心の薄いおっとりとした香奈枝が言うのだから、完全なデマということはないのだろうと、そこは否定できなかった。

「…落ち込んでた、の」

声に出して、自分で馬鹿みたいだと思う。さっきから、おうむ返ししかできなくなったみたいだと。

そんなゆずきを香奈枝は笑うことも、面倒がることもなく、真面目な顔で頷いてくれた。

「うん。屍って感じだった」



幸田が屍で、テニス部に動揺が走っても、部長の威厳が損なわれても、ゆずきには痛くも痒くもない。それより自分の部の心配が先だとも言える。

しかし、そうやって切り捨てようとしても、できないことに気づいていた。

自分が原因であることには、違いないからだ。振った覚えはないし、そもそも告白だってされていない上、好かれているというのだって、事実か分からない。それらの諸々を棚上げしても、自分の目にしたあの顔は、誤魔化しようもなく脳裏に焼き付いている。

自分のどうしようもない嫉妬を、八つ当たりで彼にぶつけたときの、あの泣くんじゃないかという顔。

それをさせたのは、自分で。なんのためにしろ幸田が張り切っていたなら、なおさら酷いことを言った自覚もある。

だから、謝らないといけない。

「…と思うんだけど、どう思う?」 

ぼそぼそと相談すると、香奈枝はにっこり笑った。

「そういう公正なところ、ゆずきはすごいよね」

「…何それ。偏りまくりだよ、私」

「ううん。だって自分のことでも間違ったら正そうとするでしょ。先輩たちも、そういうところをかって、ゆずきが部長だって決めたんだよ」

ゆずきは虚を突かれた。

自分のなかに、部長にふさわしいものなんて、あると思っていなかったのだ。部長になったのは他にいないからだとそう思っていた。最近では、優しすぎるところはあっても後輩に慕われている香奈枝の方が、ゆずきよりもずっと上手くやれたんじゃないかと思っていた。

「…私、本当はずっと、部長をやっていく自信、なくて」

「うん。さっき聞いて、やっと気付いた。ごめん、今まで気付かなくて」

ゆずきは首を横に振った。

「私が、言わなかっただけ。一人で勝手にいらいらしてた」

まだ、何もやっていないんだ。相談だって、勝手にがっかりして自分で取り下げた。一年生にも、不満ばかりもってろくに向き合っていなかった。彼女たちの会話に耳を傾けたことだってないのに、知った気になっていた。

「え、ゆずき、どうしたの?」

後からあとから、涙が溢れてくる。

「ゆずきー?」

心配そうに、近づく香奈枝に、ひとつ瞬きして目を合わせる。

「香奈枝、私、部長失格だ」

「何、急にどうしたの」

「ごめん、ちゃんとこれからは、面と向かって伝える。でも、その前に幸田の方挽回してくる」

そうじゃないと、自分に自信なんてもてない。胸を張っていられないから。

いつの間にか、部活の時間になっていた。掃除前によってくれた香奈枝は、慌てて出ていった。彼女にも悪いことをしたと思いながら、ゆずきは保健室を出た。

今日、幸田は日直だから教室に残るはずだ。終学活後に荷物をとりに戻ったふうを装えば、部活の前に捕まえられる。

クラスの人間に会うのも、幸田に声をかけるのも気まずいが、仕方ない。

考えてきゅっとお腹が痛くなるのを、腹筋に力をいれて耐える。

チャイムが鳴って、一斉に生徒が吐き出される。階段を上るゆずきは、流れを逆流する魚のようだ。

何度か誰かと肩をぶつけながら、三階を目指した。

ほとんど無人になった教室に、幸田はいた。長身を屈めて机に向かっている。日誌を書いているのだろう。息をつめてその姿を見ていると、書き終えたのか、彼は目を上げ、そのまま表情を消した。

「…幸田」

「何だよ。帰ったんじゃないのかよ」

言いながら立ち上がり、窓の鍵を締めに行く。

ゆずきから距離をとりたいというように。

ずきんと、心臓が痛んだ。

「用があって。あんたに」

「用?無いだろ、別に。むしろ顔も見たくないって言ったんだろ、お前が」

吐き捨てるように言われたことに、傷ついてはいけないと自分を戒める。自分で言った言葉だ、傷ついたのは、幸田だ。

「ごめん」

は、と幸田が聞いたこともないような暗い声を出した。

「何について?顔みたくなくてごめんなんて謝られても、何も言えないけど。はいそうですかって笑えって?」

「違う」

「だから何が違うんだよ?」

「そうじゃなくて、八つ当たりしてごめんなさい!」

思いきり頭を下げた。

「さっき言った言葉も、その前までの幸田への態度も、ごめん、みんな幸田に嫉妬して八つ当たりしてた。羨ましくて、自分では何もしてないくせに妬んで、態度悪くて、…ごめん」

「…は?」

再び聞き返されたが、その声音が今度はやや揺れていた。

「何で、広瀬が俺に嫉妬するの?」

「…それは…幸田が、いい部長だから」

声に出して認めるには胆力が必要だった。思いのほか小さな声になる。

「え?」

聞き返されて、仕方なく腹をくくる。

「幸田はばっちりテニス部をまとめているし、部内でも実力者だし、そういうの、すごいなと思うんだけど、とにかく羨ましくて」

床をにらんでしまう。腹をくくったつもりなのに、どんな顔をされるのか知ったら逃げ出してしまいそうで。

「分かってるの、本当は。自分が、部長を上手くやれてないからだって。幸田のことすごいと思うたびに、劣等感を刺激されてるのは、自分が悪いんだって」

「なんで、俺?部長なんて、他にもいっぱいいるじゃん」

ふてくされたような声だ。それはそうだろう、訳の分からない八つ当たりの対象にされたのだから。ゆずきは懺悔を込めて白状した。

「それは、幸田が一番すごいから」

「一番」

「うん」

そっか、と呟いた声はだいぶ明るくなっていて、そのことに少しほっとする。

ゆずきは恐る恐る顔を上げた。

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