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冬の廊下と恋の音  作者: 日野うお
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一、美術部部長の悩み

Q、あなたは明るい性格ですか?

A、いいえ、どちらかというと暗いです。

Q、あなたは後輩に好かれますか?

A、いいえ、どちらかというと煙たがられます。

Q、あなたは部長に向いていますか?

A、

「……っ!ゆ、め…?」



ばさりと電線から雪の塊が二つ落ちた。

ゆずきは一瞬、鳥が落ちたのかと思った。それからすぐに、そんなことを考えた自分を笑った。

こんなの毎日のことじゃない。ただの雪。ただの、空から落ちてくる冷たい塊。

あと少し経って1月ともなれば、この辺りは毎日のように雪雲に覆われて、通学路はかちこちに凍っているかぐしゃぐしゃの汚ならしい氷水かの二択だ。今日は前者の方で、ため息をつきたい気分なのだが、体内の暖まった空気を大きく吐きだすことすらためらうほどの冷気だ。変なことを考えるのは、嫌な夢を見たせい。

足早に、けれども滑らないように足元を睨み付けて慎重に校門を目指す。

ようやく校門を入ると、パシッパシッという音がした。朝練の野球部がピロティでキャッチボールをしているのだ。

「はよ」

かけられた声に、思わず眉を寄せる。

「おいなんだよ広瀬、挨拶くらい返せよ」

「…おはよう」

「相変わらず暗いねぇお前」

失礼なことを言い置いて去っていく長身の男子生徒は幸田という。男子テニス部の新部長だ。

ゆずきはためらいなくため息をついた。新たに吸った冷気に体が震え、より一層腹がたった。


三年生が引退して、部の運営が二年生に引き継がれるタイミングは、各部によってまちまちだ。運動部では、最後の大会が終わったところで引退となるが、文化部の場合には本当にその年の三年生の気持ち次第のところがある。

今年の美術部は、例年より引き継ぎが遅かった。それは三年生が引退したくなかったと言うより、適任者がいなかったからだと、ゆずきは思っている。

そう、今の美術部には、部をまとめるのにふさわしい人間がいないのだ、ゆずきふくめて。

「部長会議だってさ、さぼるなよ美術部」

「さぼるわけないでしょ」

また、幸田だ。

彼は同じクラスだった。

同級生だが、会議に出席した回数も部のまとめぶりもゆずきとは段違いだ。テニス部は、春先の大会で三年生が引退し、早々に彼が部長になったのだ。

この前は全校朝会で表彰もされていた。名実ともにテニス部を引っ張っているといえる。

ゆずきなど、会議の開かれる二階へ足踏み入れるだけでもどきどきするというのに。

二階は主に三年生の教室だ。終学活が終わって数分、廊下にはまだ結構な数の三年生がいた。その間にある空き教室が部長会議の場だが、ゆずきの足は止まってしまった。この前は、吹奏楽部の部長と一緒に行けたから良かったが、今日はゆずきのクラスの方が遅かったのだ。

──ああ、どうしてこうなんだろう。どうしていつも。

つきんと胸の奥が痛くなる。けれど、二度目のそれを感じる前に、背中に衝撃が走った。

「ったい…!」

「早くしろよ、美術部」

どんっとどついて追い越していくのは、幸田だった。またしても。

「何すんのよ」

「おっそいんだよお前が」

「廊下は走らないってだけでしょ?本当腹立つ」

「へーへー、あー怖」

悪態をつかれて放っておけるほどおとなしい性格ではない。憎たらしい背中を追いかけながら、ゆずきはいつのまにか会議の席に座っていた。

「遅かったね。大丈夫?」

小声で話しかけて来たのは吹奏楽の部長、沢口美音だ。黒板前では、生徒会長が議題を読み上げている。ゆずきも小声で返した。

「ごめん、終学活が長引いて」

「あれ、でも幸田は…あ、ごめん、止めとこ」

会長の眼鏡ごしの目がこちらに冷ややかな視線を向けている。遅く来た上に無駄話なんて、ますますあり得ない。ゆずきも慌てて真面目にメモをとり始めた。


会議の内容は、三年生を送る各部のセレモニーについての注意事項。それから、運動部の冬場の活動場所の相談だった。

後半は文化部には関係のない話だったので、運動部だけが残ってゆずきや美音は先に教室を後にした。

「食べ物の持ち込みは駄目かぁ」

「まあ、例年そうだから予想はしてたけど、残念だよね」

そんなことを話しながら、それぞれの活動場所へ向かう。ゆずきは三階の第2美術室、美音は三階の反対側、第1音楽室だ。

手を振って別れ、美術室に入ると、きゃははという明るい笑い声が鼓膜に刺さった。

明るい、いや、部活中にしては明るすぎる。ゆずきはまた一気に頭が痛くなった。いろんなものがおなかの中で膨らんで、ため息になって漏れそうになる。それを小さな深呼吸にごまかして、笑顔を作った。

「お願いします」

何人かの部員が気づいて、お願いしますと返してくる。大笑いをしている数人の一年生は、こちらに気づきもしない。

美術部の規則は、はっきりいって緩い。運動部のように毎日活動しなければならないわけでもないし、上下関係も曖昧だ。けれど、少なくとも、いくつかの決まりはあるのだ。挨拶もその一つ。

ゆずきは迷った末に、もう一度少し大きめにお願いしますと言ってみた。

奥の彼女らも、今度は聞こえたらしい。大笑いを引っ込めて、こちらを見た。

「あぁ、お願いしまぁす」

さも面倒そうな、その挨拶になんと返すべきか。びしっと言うべきか、それともにこやかに諭せばいいか。そんなことを考えているうちに、彼女たちはまた向こうを向いてしまった。

きゃあきゃあと、笑いあっている。

まただ。

また、やってしまった。

ゆずきは気にしないふりをして、荷物を定位置に置いた。



美術部の活動内容は、決まっていないことが多い。それは、活動日の多くが自由参加だからだ。週に二度が全員参加日で、その日には課題を決めてデッサンをしたり、画材の使い方を練習したりする。

ただ、課題のある日は実はあまり部員に喜ばれない。今の美術部の大半は水彩画や油絵が描きたいと入ってきたのではなく、参加日の少なさにひかれたか、漫画やイラストが好きか、そういう志望動機だからだ。

顧問の嶋先生もその辺はわかっていて、苦笑しながら認めてくれている。そして、美術部だと胸を張れる最低限の技術とマナーさえ身に付ければいいと言っていた。一年の頃のことだが、ゆずきはそれをよく覚えている。

だから、ルールを守りたい。部員にも、守らせたい。

彼女らが帰ったあと、二年生の仲間に相談した。

「とりあえず、何も描かないのはよくないから、なにかテーマを決めてみんなで描くのはどうかと思ってるんだけど」

「でも、今日は自由参加だしね。一年生の三輪ちゃんたちも、来ているだけえらいと思うよ?」

ゆずきの一番の友人香奈枝は、そういって少し困った顔をした。彼女はとても優しいのだ、良くも悪くも。

「…そうだよね」

内心、がっかりした。それを悟られたくなくて、ゆずきは笑った。

「うちの部の良さは、ぎちぎちじゃないところだもんね。あ、そういえば、さっき会議で三年生のお別れ会の話が出たよ」

自分で話を変えて、それきり相談はやめてしまった。



うつうつとした気持ちはずっと続くと思っていた。けれど、翌日、ゆずきは大声で吠えることになった。

「こんなの聞いてない!」

「うるっせ。だから、今言ってるんじゃん」

「言ったからって、誰が許可すると思ってんのよッ」

「少なくとも、許可は昨日部長会議で下りてるよ」

ぐっと言葉につまる。

事の起こりは放課後、なぜか幸田が美術部まで来たことだった。

不審に思っていると、他にもたくさんの男子が美術部前の廊下にいた。

彼らが声を揃えてこんにちはー、と幸田に挨拶をしたことで、ゆずきもようやく事態を理解した。

彼らが男子テニス部で、冬の活動場所として美術部前の廊下に集まっているのだと。

「でも、運動部だけで決めちゃうなんて横暴だよ」

「先生の了解も得てる」

「それに、去年は使ってなかったじゃない」

「去年は南棟の工事がなかったからな」

今年は全体的に場所が足りていないのだという。それは何となく察していた。しかし、簡単にうんわかったとは言えない。

「何、そんなに困るか?」

「困るよ、通りにくいし、帰りにくいだけじゃなくって来にくいし…」

「来にくい?」

不思議そうに語尾をあげた幸田に、小声で答える。

「…うち、自由参加の日も多いから。部室に入りにくいってだけで、じゃあ今日は行かないって選択肢もありうるの」

ただでさえやる気のない一年生の顔が思い浮かんで、憂鬱になる。

でも、そんな部内の弛さをバリバリの運動部に笑われるのでは、と思うと同時に顔が熱くなる。

「ふぅん」

幸田の相づちは、こんな気の無さそうなものだった。

「部員がちゃんと来れば、いいんだな?」

「え」

「だから、部員がちゃんと来れば、俺らが廊下を使っても問題ないんだろ?」

他にもあるにはあるが、さらに部の恥自分の恥だという気がして、口には出せなかった。

黙って頷いたゆずきに、幸田はよし、と不敵に笑った。

「うまくやるから、安心しろ」

言って去っていく。空き教室に取り残されたゆずきは、途方にくれた。頭に血が昇って幸田を人気のないここまで引っ張って来たものの、今更ながら冷静になってきたらしい。

部長会議で正式に決まったのだから、幸田は別に悪くない。それなのに怒りに任せて声を荒げた。部活時間中に拘束した。おまけに、自分の問題を八つ当たりで押し付けた。

「…うまくやるって、どうする気よ」

とぼとぼ、恐る恐る美術部まで戻ると、活動を始めていたテニス部が一斉にこちらを向いた。

「ちわーっす」

よく揃った声に圧倒されて後ずさりかけるが、素早く壁際に避けてくれているので通らないわけにはいかない。頭だけ下げて大急ぎで駆け抜ける。

その一番奥に、他の二年生と並んで幸田の汗だくの顔を見つけて、ゆずきは隠れるように部室に逃げ込んだ。

「あ、ゆずき」

「あ…お、お願いします」

少し息が上がって、噛んでしまった。勢いよく開け閉めした扉の音に注目していた部員全員の目が丸くなっている。

「お願いします」

「お願いしまぁす」

ぱらぱらとだが一度で挨拶が返ってくる。それが、良かったと思っていいのか、ゆずきには分からなかった。


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