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請負人と雑貨屋店主

冬が明けて一ヶ月と少し。


春の暖かな日差しにも慣れて、賑わっていた表通りの人波も少しは落ち着いてきたある日。


今日も今日とて『ジャンクライフ』の店主トールは、煙草を咥えて新聞を読み、怠惰な生活を満喫していた。


変わったところと言えば部屋の様子だろうか。


以前は空の酒瓶やゴミなどが散乱していた部屋も、数日おきに現れる某男爵令嬢のお陰で、すっかり様変わりしていた。


とは言え、その数日の間に数本の酒瓶が床に転がる事になるのだが、それでも以前とは見違えるほど綺麗になっているのは間違いない。


トールも別に清潔な部屋が嫌いという訳でもないので、一ヶ月経った今では度々訪れるラウラの好きにさせている。


しかし、酒瓶が転がる部屋に不思議な安心感を抱くのも確かなので、空いた酒瓶は自分では片付けずに放置しているのだ。


ともあれ、ラウラは昨日訪れて掃除したばかりなので、その日は酒瓶が転がっている事もなかった。


机の上にある灰皿にも少々の灰と吸殻が二つあるだけだ。


今は本日三本目の煙草に火を付けたところである。


「【某貴族家の元使用人、汚れた政界の実態を語る】………これまた週刊誌みてぇな記事を……まぁ週刊誌なんてものが無いんだし、何でも新聞に集まるのかねぇ……………【メディック商会、新たな魔薬(ポーション)の開発に成功】………[製造、販売において他商会の追随を許さないメディック商会が、この度新たな魔薬の開発に成功した。当商会によると、『その効果は既存の下級魔薬より上、そして中級魔薬より下といったところであるが、下級魔薬とほぼ変わらない金額にて提供する事ができる』とのこと。下級魔薬では治せない、しかし中級魔薬には手が届かない。そんな苦い思いをする事は、もうなくなるかもしれません。]…………ほほう、メディック商会め、やるじゃねぇか。こりゃまた商会の株が上がるだろうな。」




魔薬(ポーション)とは特殊な薬草を特殊な製法で加工した水薬であり、火傷や小さな切り傷や痣などを治す下級魔薬、高熱や軽い骨折などにも効果のある中級魔薬、深い傷や複雑骨折なども瞬時に治す上級魔薬、怪我をしてすぐであれば身体の欠損をも元に戻す特級魔薬がある。


一つ上の薬になると金額も格段に上がり、下級魔薬であれば平民でも何とか買えるが、特級魔薬ともなれば貴族であっても簡単には手が出せない程である。


また、これらの魔薬とは一線を画す万能霊薬(エリクサー)という薬があるが、これは歴史上数人しかいない賢者と呼ばれる人間が、あらゆる特殊な素材を揃え、様々な条件を整えた上で奇跡的に作られる伝説の薬であり、あまりの希少性に実際には存在しないと述べる学者も多数いる程のものである。


しかし、この万能霊薬(エリクサー)は確かに実在し、その効果は死の淵に立たされた者を万全の状態に癒し、寿命を迎えた者を若返らせる事もできるという凄まじいものだ。


実はトールはこの万能霊薬(エリクサー)を三つ所持しているのだが、その内の一つを売りに出しただけでも、数十年は好きに放蕩できるだけの金銭が手に入るだろう。


国家予算を越える金額がつく事は間違いなかった。


そのように高価という言葉では追い付かないほどに高価な薬も存在する世界であるが、やはり一番使いやすく、そして親しまれているのは下級魔薬(ポーション)である。


その下級魔薬を越える効果を持った魔薬が、下級魔薬と同等の金額で販売されるというのだ。


この偉業は、魔薬の歴史に間違いなく刻まれる事になるだろう、とトールを思った。




だが、普通の人間ならば驚愕し、歓喜し、確実に隣人との会話の話題にするであろうこの偉業も、トールにとってはちょっと感心する程度の話であった。


煙草の灰を灰皿に落とし、次の記事に目を通す。


「【モルモッソスの子ども、命名される】……おぉ、ついに名前がついたのか。………[この度、○○侯爵領に誕生したモルモッソスの子どもの名前が本決定した事を、モルモッソス委員会が発表した。モルモッソス委員会は、件のモルモッソスを『モンモン』と命名、通例的な名前とは異なる為に様々な反響が出ると予想される。]………おいおいマジかよ、俺が送った名前じゃねぇか………いや、違うよな。きっと俺以外にもあの名前にした奴がいたんだ。そうに決まってる。」


おそらくは国中に大勢いるのであろうモルモッソス愛好家達を差しのいて、モルモッソスなど見た事もない自分が命名したなど考えたくもないトールであった。




現実逃避をして頭を抱えるトールの耳に、階段を登ってくる聞きなれた足音が届いた。


「トムか……何かあったのか?」


呟いている間にも足音は大きくなる。


そして、足音が止まると同時に扉が強く開かれた。


「トール!いるか!」


相変わらず馬鹿デカイ声で喋るトムであった。


「トム、何度も言ってるだろ。扉はもう少し静かに開けろ。それと、そんな大声出さなくても聞こえるって。」


「おぉ、悪い悪い。ついな。」


「別に良いけどよ。んで、今日は何の用だ?」


「おう、ちょいとお前に頼みたい事があってよ。」


「なんだよ、依頼か?勘弁してくれ。」


トールは面倒そうに顔をしかめる。


「依頼っていうか、個人的な頼み事だな。話だけでも聞いてくれねぇか?お前にも悪い話じゃないと思うぜ。」


トムは得意そうな顔をしている。


「………お前がそこまで言うなら。俺にも悪い話じゃないってのは?」


「トール、お前『王莨(オウロウ)』って知ってるか?」


「何だそれ?聞いたことねぇな。」


「そうか…………王莨ってのは幻のタバコとも言われる植物でな。そいつの葉は、最高の葉巻の材料になるんだ。」


「ほう、王莨ってのはタバコなのか………葉巻限定か?刻んで紙巻にはできないのかよ?」


「王莨の葉ってのはかなり特殊でな。細かく刻んじまうと、香りが飛んじまって、ただの草になっちまうんだ。」


「変な植物なんだな。……その王莨とかいうタバコがどうかしたのか?」


「おう、実はな、王莨ってやつは極限られた土地で、あらゆる条件が揃って初めて成長するんだ。幻のタバコと言われる所以だな。」


「そりゃまた面倒な話だ。」


「だろ?俺もその存在は知っていたが、手に入れるのは難しいとほぼ諦めてたんだ。………ところが、だ。つい先日、その王莨がとある地で群生してるのが発見された。まだ誰にも手を出されてねぇ。俺はそれをどうしても手に入れたい。」


「んで、それを俺に採って来いって?」


「そういう事だ。頼めねぇか?加工業者には渡りをつけてる。素材さえあれば世界最高の葉巻が手に入るぞ。」


「つってもなぁ………俺が紙巻派なのは知ってるだろ?」


「葉巻が嫌いって訳じゃねぇんだろ?」


「そりゃ……まぁ、な。」


「王の名を冠するタバコだぜ?どんな味がするか気にならねぇのか?」


「………気にならないと言ったら嘘になるな。」


「そうだろそうだろ。幻のタバコだぜ?そいつで作った葉巻なら、きっと想像を絶するものになるんだろうな。」


トムが恍惚とした表情をする。


正直言ってかなりキモいが、その気持ちはトールにも理解できた。


煙草を嗜む者ならば、幻とまで言われるものを味わってみたいと思わない訳がなかった。


「な、頼む!取って置きの酒もやるからよ!」


「なに、取って置きの酒だと?」


その言葉につい釣られてしまったトール。


「長期熟成された上物のブランデーだ。大枚はたいて買った虎の子だぜ。ここぞという時に開けようと思ってたんだ。幻のタバコで作った伝説の葉巻を吸いながら極上のブランデーを嗜む。………どうだ?お前も味わいたくねぇか?」


トムがワナワナと震えながら飢えた虎のような顔で熱く語る。


思わずトールの喉が鳴る。


もはや彼に断るという選択肢は存在しなかった。


「………わかった。負けたぜ。その依頼、受けてやるよ。」


「おぉそうか!お前に頼んで良かったぜ!!やっぱ持つべきモノは親友だな!!」


「調子の良い奴だな。………というか、今更なんだが自分では採りに行かないのか?お前ならちょっと外に出るくらい訳ないだろ?」


トムの実力はトールも知っている。


彼は準備さえ整えれば上級の悪鬼をも狩る事ができる程の実力者であった。


「あーその事なんだが………俺ももう歳だしな。それに、ちょいと事情があってな…………。」


「事情……?」


「まず、その王莨が群生してるって所なんだが、『ジャンクシード(ここ)』からちょいと離れたとこなんだよな。具体的に言うと馬で二週間かかるんだが。」


「………そういうのは先に言えよ。別に良いけどな。」


「悪いな、とりあえず話し終えねぇと、遠いって聞いた時点で断られそうだったんでな。」


トムの言い分にトールも納得してしまった。


確かに、受けると決めた今だからこそ、遠くに行かねばならないと知っても先程の言葉を反故にしたりはしないが、これを先に聞いていたら即座に断っていたかもしれない。


「まぁ、そういう事なら………他にも何か事情があるのか?」


「あぁ、実は王莨の群生地に厄介な奴が群れを作ってるらしくてな。」


「厄介な奴?」


「あぁ、屍鬼(ゾンビ)なんだが………」


屍鬼(ゾンビ)か………そりゃ確かに厄介だな。」


下級の悪鬼である屍鬼(ゾンビ)は、人外の力と毒の息を吐く能力を持つ。


おまけに、元が人間である為に、小鬼(ゴブリン)大鬼(オーガ)と比べると、やや狡猾な個体がいたりする。


今回のように群れを作る事もたまにあるのだ。


その場合、危険度は上級の悪鬼である大鬼(オーガ)をも越えるほどである。


「お前なら問題ないだろ?さくっと行ってきてくんねぇか?」


トムが両手を合わせて頭を下げる。


「頭上げろよ。どうせ依頼はもう受けたんだし、今更断ったりしねぇって。」


「そ、そうか!恩に着るぜ、相棒!!」


「やめろよ気持ち悪い。………んじゃ、早速準備に取り掛かるかね。なるべく早めが良いんだろ?」


「あぁ、他の誰かに先を越されねぇ内にな。」


「なら明日の朝に出発する。」


「わかった。頼んでる立場で言う事じゃねぇかもしれねぇが、気を付けろよ。」


「任せとけ。採取ついでに死に損ない共を昇天させてくるぜ。」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「そういやこんな遠出するのは久し振りだな。最後に遠出したのは…………二年前だっけか?あん時は確か、スコッツ侯爵(ウィリアム)の依頼で辺境に現れた大鬼(オーガ)の群れを討伐したんだったな。………あれは大変だった…………。」


交錯都市(ジャンクシード)を発って一週間。


トールは昔を懐かしむように独り言を言っていた。


ーーー小鬼(ゴブリン)の群れを殲滅しながら。




馬に乗って移動していたトールの索敵範囲に悪鬼の群れが現れたのは、30分前の事であった。


平地であった為隠れて接近する事はできず、とりあえず迂回しながら近寄ること20分。


敵が小鬼(ゴブリン)の群れである事を認識したトールは、その場にいた十体以外に敵の影がない事を確認し、真正面から突っ込んで行った。


各々武器を構えて迎撃しようとする小鬼(ゴブリン)であるが、敵は小鬼(ゴブリン)如きが隊列も戦術もないままに戦える相手ではなかった。


トールが愛刀を抜き様に放った居合により、二体の小鬼(ゴブリン)が骸と化した。


更に返しの一刀にて、また一体の首が胴に別れを告げた。


あっという間に三体の仲間が屠られ、小鬼(ゴブリン)達は慌てるが、警戒を強めたところで結果は変わらなかった。


小鬼(ゴブリン)が剣を振り上げた瞬間に喉を貫き、腹を蹴り飛ばして刀を抜く。


背後から二体が近付くが、振り向き様に右後ろの一体の首を掻き斬り、もう一体の攻撃を受け流す。


切り返しの一刀で頭から両断すると同時、背後から気配を感じて前方へ転んで回避する。


素早く立ち上がって空間収納(マジックボックス)から三本の棒手裏剣を取り出し、気配のした方へ投擲する。


その全てが、標的の眉間、喉、壇中へ深々と突き刺さる。


(これで七体……残りは三体だ。)


あっという間に半数以上を殺され、流石に怖じ気づいた小鬼(ゴブリン)が逃げようとするが、トールはそれすら許さなかった。


一番近かった小鬼(ゴブリン)へ高速で走り寄り、逃げ惑う背中を袈裟斬りにする。


そのまま更に加速し、奥の小鬼(ゴブリン)の首を斬り飛ばす。


新たに棒手裏剣を取り出し、最後の一匹へ投擲した。


その一投は吸い込まれるように小鬼(ゴブリン)の脹ら脛を貫き、勢いよく転倒させた。


呻きながら顔を上げる小鬼(ゴブリン)の前に、トールが悠然と歩み寄る。


命乞いの悲鳴を上げる間もなく、小鬼(ゴブリン)の首は刎ねられた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



ーーーゴブリンの群れを殲滅して更に一週間が経過した頃。


ようやくトールは目的の地へ辿り着いていた。


「ここに王莨が生えてるんだよな…………」


背の高い木々は全く生えておらず、低木が所々にある。


薄く靄が掛かっており、気温と湿度が高そうな土地である。


実は自動体温調整などの便利な効果が満載されているその魔道具(スーツ)を着ていなければ、トールも多量の汗をかいていた事だろう。


スーツを着ているおかげで、高温多湿の空間でもトールは快適であった。


辺りを見回しても特殊な植物が生えている様子はない。


探し回るのも非効率的だと考えたトールは、魔道具を使う事にした。


トールは空間収納(マジックボックス)から周辺探知(サーチ)を取り出し、起動させた。


「指定探知、植物、王莨。」


指定探知機能を使うが、画面上には『Not Found』の文字が表示された。


ただ周辺探知(サーチ)を起動させただけでは半径1km圏内の生命体しか表示されないのだが、、指定探知機能を使うと半径5km圏内の植物でさえも探知する事ができるのだ。


しかし、生命体の指定探知と同様に、探知したいモノの正確な名称などを知っておかないと探知する事はできない。


もし名称が間違っていれば、画面には『Error』の文字が表示される。


『Not Found』という事は、探知する事はできるが半径5km圏内には無いという意味だ。


こういう事もない訳ではないが、期待を裏切られて思わず溜め息をついてしまうトールであった。


「はぁ………仕方ないな、もう少し奥に行って確認してみるか。」


そう呟き、再び馬に乗って行こうとするが、馬は指示通りには動いてくれなかった。


「おい、どうしたんだ?何かあったのか?」


何度か手綱を操るが、馬は頑として前進しようとしない。


馬は非常に賢い動物だ。


そして、危機に聡いというのも馬の特徴であった。


「この先に何かがあるって事かね…………なら、お前はここで待っててくれ。何かあったら逃げても良いが、今日中には戻ってきてくれよ。」


そう言うと、馬は短く鼻を鳴らした。


「んじゃ行ってくるぜ。ちょっくら待ってろよ。」


馬から鞍や手綱などを外し、空間収納(マジックボックス)に収納して、トールは前方へ走り出したのであった。




ーーートールが走り出して15分が経過した。


トールの俊足であれば、既に移動距離は5kmを越えているだろう。


トールは立ち止まり、再び周辺探知(サーチ)を起動し、指定探知を行った。


すると、今度は画面の右上に矢印が表示された。


「よっしゃ、これならもうすぐだな。」


気合いを入れ直し、トールは再び走り出した。


結果、そこから2km程移動した場所で、王莨は群生していた。


青々とした大量の葉を付けた王莨が密集して生えている。


早速採取しようとしたところで、幾つもの敵性反応がトールに向かって接近しているのに気付いた。


先程まで何の反応も無かっただけに、トールは不思議に思った。


「何だこいつら、俺が中心地に来るのを待ってたのか?どうやって周辺探知(サーチ)から逃れていたんだ………?」


考え込んでいる間にも、今度はトールの近くに反応が現れた。


地面から腐敗した腕が飛び出し、屍鬼(ゾンビ)が這い出てきたのだ。


「地中に隠れていたのか?だから反応が無かったのか。………それにしても、地中に隠れて獲物を囲むなんて、この群れは随分と狡猾なんだな。並みの屍鬼(ゾンビ)じゃねぇぜ………。」


呟きながらも、トールは刀を取り出し、左腰に帯びて戦闘体制を整える。


目の前で地中から這い出た屍鬼(ゾンビ)を、居合による一刀で切り裂いた。


敵性反応は増える一方。


その数は三十を越えるだろう。


………しかし、トールは焦りというものを全く見せていなかった。


屍鬼(ゾンビ)の特徴として、力は強いが動きは遅く、また痛みは感じないが肉体が腐敗している為に防御面に不備があるというものがある。


高速で動き回り、必殺の一閃を繰り出す事が得意なトールとしては、むしろ小鬼(ゴブリン)よりも相性の良い相手なのだ。


また、屍鬼(ゾンビ)は毒の息を吐く能力を持ち、それをいかに攻略するかが屍鬼(ゾンビ)の要となるのが普通なのだが、トールの身体はある事情(・・・・)により、あらゆる毒、病気などを無効化する力を持っている為、それに関しては心配は無用であった。


屍鬼(ゾンビ)の大群に囲まれるなど、他の人間にとっては絶体絶命の危機であるのだが………今回は相手が悪すぎた。


トールはただひたすらに身体と刀を振り回す。


近付く敵を斬り、打ち、叩き、貫く。


迫り来る屍鬼(ゾンビ)達を全く寄せ付ける事なく、トールは文字通り死骸の山を築いていった。




屍鬼(ゾンビ)達を皆殺しにすると、一人の男が現れた。


屍鬼(ゾンビ)に似ているように見えるが、明らかに様子が違う。


ひょろりとした長身の男。


細身だが、なよなよとした印象は受けないどっしりとした、それでいて優雅な佇まい。


燕尾服のような黒衣に身を包んでおり、顔は異常に青白いが、屍鬼(ゾンビ)のように腐敗はしていない。


虚ろな眼をした屍鬼(ゾンビ)とは違い、その瞳には確かな知性が伺えた。


「我輩の配下共を虐殺するのは貴様であるか。貴様、名を名乗るが良い。」


謎の男はトールに近寄り、口を開いた。


「………人間には見えないな。お前、悪鬼だな………しかも固有種(ユニーク)だ。そうだろ?」


ーーー固有種(ユニーク)と呼ばれる特殊な悪鬼は、通常種と違って高い知能を有する事がある。


トールは、目の前の男が間違いなく固有種(ユニーク)であると確信していた。


ただ、それにしてもこの存在は異様であった。


「質問をしているのは我輩である。今一度問おう。貴様の名は?」


無表情で喋る男に、トールはおどけたように口を開く。


「おっと、こいつは悪かったな。俺の名はトール、お前の敵だ。」


「我輩の敵……?愚かな人間もいたものであるな。」


「部下の質を見れば上司の格も知れるってな。お前の部下は随分と不甲斐ない雑魚ばかりだったみたいだが?」


「この程度の死に損ない共に遅れを取らないからと言って、調子に乗るでないぞ人間?我輩は愚か者が嫌いである。」


「はっ、俺の何が愚かだってんだ?」


「我輩にはわかるぞ。貴様、我輩を前にして恐怖を感じていないであるな?我輩程の強者の脅威も感じ取れないとは、とんだ愚か者である。」


「ケッ!何が強者だ………そもそもお前こそ何者なんだよ?」


「良かろう、愚鈍な貴様に我輩自ら名乗ってやろう。我輩こそは、恐怖の象徴たる悪魔の末裔にして、偉大なる『不死王(ノスフェラトゥ)』である、名を『ドラクレア』と言う。」


「悪魔の末裔に、不死王だと?仰々しい言葉ばかり並べやがるじゃねぇか。」


「それらは単なる勲章ではなく、我輩という崇高なる存在を表す真理である。この我輩の恐ろしさを悟る事さえできぬ貴様は、真に愚か者であるな。」


不死王ドラクレアは、自分の優位を信じて疑わない泰然とした態度で滔々と語る。


ーーーしかし、トールは嗤った。


「………こうは考えられねぇか?お前程度じゃ、脅威には感じられねぇってよ。」


「……………けしからん。けしからんぞ下等生物よ。人間如きにしてその大言、万死に値する。愚か者よ、貴様も死して我輩の配下となるが良い。」


ドラクレアは仮面のような無表情に怒りを湛える。


地面から邪悪な闇が滲み出て、ドラクレアの身体に纏わりついた。


「上等だ。やってみろよ下等生物。死に損ないの王風情が、どっちが本当の下等生物か教えてやるぜ!」


トールは刀を一度鞘に戻し、姿勢を落としていつでも飛び出せるように構えを取った。


緊迫した雰囲気の中、開戦の合図となったのは一陣の風であった。


二人の間に強風が吹いたその瞬間、両者は飛び出していた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



実のところ、トールはドラクレアの実力を侮ってはいなかった。


いや、むしろこの男が上級の悪鬼や、『剣豪』ラゴラをも圧倒する実力者である事を悟っていた。


にも関わらずトールは恐れを感じてはいなかった。


それは、勝てる確証があるから………ではない。


一歩間違えれば死ぬかもしれない……そんな危機的状況だからこそ、トールの心は高揚(・・)していた。



ーーーこの男ならば全力で戦える(・・・・・・)



久しく感じていなかった緊張感に、トールは嗤いを堪える事はできなかった。


敵の一挙手一投足に五感を研ぎ澄まし、刹那の攻防に全神経を集中させ、より先の行動まで計算し、身につけた技術を遺憾なく発揮し、より効率的に、より計画的に、より本能的に、より実践的に、より必死に闘う。


そんな真の闘争を、トールは待ち望んでいた。


相手にとって不足なし。


持てる全ての力を使おう。


全力で殺してやろう。


一寸の慈悲もなく、屠ってやろう。


トールは嗤う。


ーーーあぁ、傲慢なる不死王(ノスフェラトゥ)よ。


ーーーどうか俺を、愉しませてくれ。


トールは鯉口を切り、前方へ飛び出した。




不死王ドラクレアは感じていた。


目の前の男が如何に強大で凶悪な存在なのかを。


偉大なる不死王(ノスフェラトゥ)である自分でさえ、油断してはならない相手である事を、彼の本能が告げていた。


下等生物たる人間であるはずのこの男が、崇高なる悪魔の末裔である自分と同等の力を有している事を、彼の心は知っていた。


ーーーしかし、理性はそれを否定した。


ーーーありえない。ありえるはずがない。そんな事が、あって良い道理はない。


彼の理性は慢心というベールに包まれ、真理を見抜く事ができなかった。


もし彼の理性が本能に従っていたのなら、結果は変わったのかもしれなかった。


少なくともその可能性はあったはずだ。


しかし、結果としてその奇跡は起きなかった。


彼は、自らの心に沸き上がったその小さな何か(・・)が、"恐怖"である事に気付く事ができなかったのだ。


彼の理性は、心に芽生えた"恐怖"を無意識に抑え込んだ。


もはや止める事も後悔する事もできはしない。


闘いは始まってしまった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



両者は同時に踏み出した。


ドラクレアは纏った闇を弾丸にして前方へ撃ち込んだ。


しかし、その高速の弾丸が標的に当たる事はなかった。



ーーー武神流体術『縮地』



弾丸の速度を遥かに越える神速にて、トールは弾丸を避け、ドラクレアへと接近した。


そのまま光を纏った神速の居合にてドラクレアを斬りつける。



ーーー武神流剣術『雷切一閃』



ドラクレアは内心で驚きつつ、闇を盾に変えて前面へ押し出す。


トールの一閃は、闇の盾を半分ほど切り裂いたところで止められてしまった。


しかし、この結果に驚いたのは、トールではなくドラクレアであった。


たった一度の斬撃で、闇の盾が半壊されるとは想像だにしていなかったのだ。


だが、ドラクレアは動揺を抑え込んで次の行動に移る。


盾を消し、闇の槍にてトールを貫こうとした。


トールは身を翻して槍を避けた。


ドラクレアは追い討ちをかけるように高速の連突きを放つ。


残像が見えるほどの嵐のような激しい連突きに対し、トールは体捌きで避け、刀で流し、あるいは手で捌く。


槍を手で捌くなど狂気の沙汰であるが、トールは一筋の傷も負うことなくやってのけた。


(くっ……下等生物が…………このままでは攻めきれんか。)


ドラクレアは攻め方を変え、薙ぎ払いや打ち下ろしなどを交えた連撃をくわえる。


トールは即座に適応し、避け、流し、受け、反撃する。


しかし、ドラクレアが不意に出した闇の弾丸を避け、体制が崩れたところを狙われ、刀を弾かれてしまった。


手放しこそしなかったものの、大きく体制を崩したトールに対し、ドラクレアの渾身の刺突が放たれた。


勝利を確信するドラクレア…………だが、トールにはまだ見せていない技がいくつもあった。



ーーー武神流闘争術『当意即妙』



これは、その場の状況に応じて、身につけた技術を形を変えて発揮させるという、技というよりも極意のようなものである。


これを極めると、どのような体勢からでも技を行使する事ができるようになり、また一部の剣の技を素手で行使したりできるようになる。


無論、万全の状態より効果は劣る。


だが、力の強さがほぼ関係のない技というのも存在し、『当意即妙』はそのような技と特に相性が良い。


ドラクレアによる刺突に対し、トールは刀を沿わせるようにはしらせた。



ーーー武神流体術『風柳(カザヤナギ)



相手の呼吸と攻撃のタイミングや角度などを完璧に読み取る事で、あらゆる攻撃を受け流す体術であるが、トールはこれを不利な体勢で、刀にて実現させた。


渾身の一撃をいとも簡単に………少なくとも見た目上は簡単そうに流され、今度はドラクレアが体勢を崩した。


そこにトールの一閃がはしる。



ーーー武神流剣術『疾風(ハヤテ)



『雷切一閃』のような斬撃力はないが、その速度は随一である。


ドラクレアでさえやっと視認できる程の高速の斬撃が振るわれる。


ましてや崩れた体勢で反応できるはずもなく、ドラクレアの身体を袈裟斬りにした。


しかし、速度特化の技である『疾風』では、深い傷はつけられない。


だが、トールの攻撃はここで終わらなかった。



ーーー武神流剣術『疾風・追蓮』



『疾風』と同等の速度、しかし威力を増した切り返しの一刀にて、トールはドラクレアの右腕を肩先から斬り飛ばした。


「ぐぁっ!!……この………下等生物がぁ!!」


大きな負傷を与えたトールであるが、『疾風・追蓮』はその速度と威力故に反動が大きく、身体が硬直した一瞬の隙をついて放たれた闇の弾丸を正面から受けてしまった。


トールの身体は吹き飛ばされ、危うく受け身を取るが、大きなダメージを受けてしまっていた。


(チッ……まさかあんなに早く反撃してくるとは、予想外だったな。だが、奴の右腕はもう使えない。後は……………)


呼吸を整えながら思考を巡らせる。


ドラクレアも一度距離を取って呼吸を整えていた。


お互いに相手を警戒しながら脳をフル稼働させる。




ーーーそして、決着の時は訪れた。


どちらともなく駆け出し、接近しようとする。


ドラクレアが闇の弾丸を撃ち込むが、トールは刀で切り裂いた。


そして三本の棒手裏剣を取り出し投擲する。


それらは青白い光を纏い、流星のような煌めきをもって高速で飛来する。



ーーー武神流投擲術『閃光翔破』



予想外の攻撃であったはずだが、ドラクレアは動揺した様子も見せず、闇の大盾で防ぐ。


棒手裏剣は盾に突き刺さりはしたが、貫く事はできず、地に落ちた。


盾を消して次の行動に移ろうとしたドラクレアだが、開けた視界には、トールの姿はなかった。



ーーー武神流闘争術『影潜み』



極限状態においてあえて殺気を解き、気配を消し、素早く相手の死角に潜り込む事で、目の前から消えたように錯覚させる技だ。


その錯覚に陥ったドラクレアは、ほんの一瞬、思わず硬直してしまった。


その隙を見逃すトールではなかった。



ーーー武神流体術『縮地』



居場所を悟られる前に素早くドラクレアの背後に回る。



ーーー武神流剣術『疾風』



神速の一閃にてドラクレアの脹ら脛を斬りつける。


大した傷ではないが、少なくともすぐに逃げる事はできなくなる。


ドラクレアに慌てて振り向くが、たったいまつけられた傷によってその動きは緩慢になっている。



ーーー武神流剣術『疾風・追蓮』



切り返しの一刀、凄まじい速度と威力を乗せた切り上げにより、ドラクレアの左腕を斬り飛ばした。


ドラクレアが後方へ逃げようとするが、脚を負傷している上に、両腕がなくなりバランスを保てず崩れ落ちる。


トールは追い討ちをかけるように更に一歩踏み出した。


同時に頭上に振り上げられた刀は、青白い光を帯びる。


呆然とした表情のドラクレアに向けて、トールは渾身の一閃を放った。



ーーー武神流剣術『雷切一閃』



これで決着だ、トールはそう確信した。


だが、その一閃がドラクレアの命を断つ事はなかった。




ドラクレアはこの極限状態、この局面で闇の盾を作り上げたのだ。


トールが驚愕に目を見開き、ドラクレアは嗤った。


上段から放たれた一閃は盾を半分程切り裂いたところで止まり、同時にトールの身体も硬直した。


勝利を確信したドラクレアが、愉悦を湛えた笑みで闇の弾丸を撃ち込む。


その弾丸は吸い込まれるようにトールの胴体に直撃しーーー




ーーーそのまま透過していった。


ドラクレアの笑みが凍てつき、困惑と混乱の波が訪れる。



ーーー武神流体術『陽炎(カゲロウ)



極められた足捌き、体捌き、必要最小限の動きと絶妙のタイミング、それら全てが重なる事で、攻撃が当たったと錯覚を覚える程に完璧な回避をする技である。


つまり、先程の弾丸は当たっていなかった(・・・・・・・・・)のだ。


だが、トールの身体は『疾風・追蓮』の後の『雷切一閃』の反動によって硬直していたはず。


なのに何故『陽炎』などという高等技を使えたのか。



ーーー武神流闘争術『当意即妙』



硬直状態であっても、トールは体術による高等技を行使してみせたのだ。


無論、そんな事をすれば肉体にも多大なダメージが刻まれる。


もはやトールの肉体は見た目ほど健全ではなかった。


だが、それだけの犠牲を払った意味はあった。


何が起こったのか理解できていない様子のドラクレアに、トールは無言で近付く。


ドラクレアは近付いてきたトールを呆然と見上げ、口を開いた。


「…………何故だ?何故あの瞬間、あのタイミングで我輩の攻撃を避ける事ができた?完全に虚を付いたはずであった。」


「あぁ、あの盾には完全にしてやられたよ。俺はあの時、勝利を確信していた。」


「ならば何故、その後の我輩の攻撃に反応する事ができた?」


「はっ、簡単な話だ。俺の心には油断も慢心も、欠片も存在してはいなかった。だから『確信の先』を覚悟(・・)する事ができたんだよ。」


「『確信の先』を覚悟………だと?」


「そうだ。『これで終わりだ。』『ここで決まりだ。』そんな風に確信しても、勝負ってやつは最後の最後まで何が起こるかわからねぇ。俺はそいつを覚悟してただけだ。」


「我輩は覚悟をしていなかった……と?」


「お前の心には慢心があった。油断していた。それが敗因だ。」


「………愚かな………我輩が貴様如き下等生物に敗北を喫するなど………。」


「結果が全てだ。お前よりも俺の方が強かった。それだけだ。」


「下等生物が、生意気を言いおって………」


「最期まで偉そうな奴だな。」


トールが呆れたように溜め息を溢すと、ドラクレアは鼻で笑って傲慢な笑みを浮かべた。


「我輩は偉大なる不死王(ノスフェラトゥ)であるぞ。偉そうではなく、偉いのだ。」


「………その不死王とか悪魔の末裔とか、そこんところを詳しく知りたいんだが。」


ドラクレアは笑みを消して神妙な顔つきになった。


「…………これ以上敗者が語る事などない。終わらせるが良い。」


「………だよ、な。」


トールは刀を構え、魔力を流す。


青白い光が刀を纏う。


「さらばだ人間。我輩は地獄で貴様を待っているのである。」


「あばよ不死王。」


トールは神速の一閃を振り下ろした。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



ーーー三週間後。


「【メディック商会の新魔薬(ポーション)、完売御礼!!緊急増産決定。】………うへぇ……中級の魔薬に手が出なかった奴らがここぞとばかりに買い漁ってるんだろうな。メディックの奴らめ、当分眠れねぇぞ。…………【魔力の効率的な増やし方ーー現役魔術師が語る】………はっ、まーた阿保な未熟者がほざいてやがるぜ。こんなの信じる人間なんざ………いるんだろうなぁ……ったく、どうしようもねぇ馬鹿ばっかりだぜ。」


トールは『ジャンクライフ』にていつものように新聞を読んでいた。


不死王ドラクレアとの戦いから三週間、『ジャンクシード』に帰って一週間が経過していた。


あの戦いの後、全身の凄まじい筋肉痛のせいでまともに動けなかったトールは、常備していた魔薬にてとりあえずの回復をはかり、群生していた王莨の全てを空間収納(マジックボックス)に収納し、こうして無事に帰還を果たしていた。


『ジャンクシード』に帰還してからの一週間は、傷ついた身体の回復に努めていた。


ドラクレアとの戦闘で行使した技の数々は、トールの強靭な肉体を蝕んでいたのだ。


トールが帰還した次の日には、怒り心頭のラウラが現れ、約一ヶ月間も外出するのに一言もなかった事をガミガミと説教していた。


トールからしてみれば、お前が勝手に来ているだけだろう、という感じなのだが、理不尽にキレた女とはまともに取り合わない方が良いと知っていた為、トールは黙って頷いていた。


そんな日々を送り、そして今日、トムからの連絡がきていた。


「業者から連絡がきた!葉巻が完成したってよ!!」


との事であった。


今晩、トムが店を閉めてからじっくりと味わう事に決まった。


トールはその時を年甲斐もなくそわそわしながら待ち、そして夜を迎えた。




その日、トールとトムは夜通し葉巻とブランデーを堪能するのであった。


翌日の昼前、二日酔いと寝不足でグッタリとした様子のトールが『ジャンクライフ』に戻ると、仁王立ちをした男爵令嬢の姿があったとか。

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