請負人と伯爵令嬢
ーーー春
それは出会いと別れの季節である。
美しい薄紅色の桜が咲き乱れ、長い冬を越えた事を告げる花の香りが漂う。
冬の間は巣穴で大人しく自宅警備員をしていた動物達も、ここぞとばかりに暖かな風を謳歌しようと地を踊る。
人々の顔も不思議と赤らみ、何故か胸が高鳴り、心が弾む。
それが春である。
ここ、交錯都市『ジャンクシード』にも、この度春が訪れた。
冬が苦手な獣人は暖かで優しい太陽の光を歓迎している。
自然を愛するエルフは辺りを漂う花の香りに心を和ませている。
賑やかな喧騒を好むドワーフは雑踏の音を耳にして愉快そうに笑っている。
特に、商業区である第三区画は他の区域と比べても、特別賑わっていると言えるだろう。
つい先週まで現在の半分も人がいなかったような道々が、今や人混みで溢れており、初めてここを訪れた者ならば、何か祭りでもしているのかと疑う程の喧騒となっている。
常連客以外滅多に入店しない、胡散臭いことこの上ない『ニコニコ雑貨店』にも、昨日辺りから何人もの客が出入りしている。
尤も、殆どの客は陽気な好奇心に流されて入店し、どう見ても堅気には見えない夜叉の如き店主の顔を見た途端にそそくさと退出したのだが。
それでもいつも以上に多くの客がいる事に変わりはない。
『ニコニコ雑貨店』でさえそうなのだ。
他の店は、これぞ稼ぎ時とばかりに店前で声を上げ、客を招き入れ、売上を伸ばしている。
にもかかわらず、『ニコニコ雑貨店』の上………『ジャンクライフ』には、客足は全くなかった。
そもそも、この辺りに住んでいる者には『ジャンクライフ』の名を知っているどころか、そこに店があることすら知らない者も多かった。
『ジャンクライフ』の名を知っている者は数える程、何の店なのかを知っているのは『ニコニコ雑貨店』の店主のみであった。
そんな何をしているかもわからない、開いているのかすら不明瞭な『ジャンクライフ』の店内に、店主であるトールはいた。
皺だらけの縒れたスーツ姿。
ジャケットは適当にソファーに脱ぎ散らかしていた。
身長は少し高め、細身という程脆い体つきではないが、鍛えぬかれた高密度の筋肉を持つ身体は、シルエットだけで見れば太くはない。
鋭い目付きをしているが、常に眠そうに細められているその瞳からは、覇気、あるいはやる気といったものは全く感じられない。
身嗜みを整えれば放っておかない女性は多数いるのだろうが、如何せんその退廃的な空気と燻った瞳が、彼に近寄る事を忌避させる。
何らかの革製であろう見るからに柔らかく、そして高そうな椅子に腰掛け、これまた高そうな木製の机に両足を乗せている。
机の上には何らかの書類や書籍が積んであり、幾分灰の溜まった灰皿には数本の吸殻、そして灰皿の横には中身が半分程残っている酒瓶があった。
机の周辺には空の酒瓶が散乱しており、少なくとも真面目に働いているようには見えない。
煙草に酒にいくつかのゴミ。
窓も開けず暫く掃除もしていない室内は、本来であれば空気が淀んで臭いも鼻につくのだろうが、部屋に取り付けられた空気洗浄の魔道具によって、そんな心配もいらなかった。
彼は紫煙を燻らせている煙草を片手に、今日の新聞を眺めていた。
今日もどうせ客など来ない。
以前の依頼は秋だったか。
もう既に三ヶ月以上も仕事をしていない彼であるが、その程度で心配をしなくても良い程度には、彼の貯蓄は多かった。
蓄えられた金銭のお陰で、生活に対する危機感というものを失ったまま、愛する酒と煙草を楽しむだけの日々を送っているトールであるが、今日は珍しい事に………彼にとっては残念な事に、来店者がいたらしい。
新聞の文字を追いながら、半分夢の世界へと旅立ちかけていた彼の耳に、乱暴に階段を登る足音が聞こえた。
「この足音はトムか……一体何の用だ?」
下階の店主であるトム………トミーの足音である事を悟ったトールだが、ふと足音がもう二つある事に気付いた。
一つは軽く、そして小さな足音。
もう一つはそれより重い足音。
「女、もしくは子ども、そして丁寧な歩き方………貴族の子女か?………それと男か。男の方は何かやっていやがるな……重心が安定してる。」
階段を登る足音だけでそこまで読み取れる彼の洞察力は凄まじいが、彼自身はこの来訪者を待ち望んではいなかった。
「面倒な香りがしやがるな………トラブルの匂いがするぜ。」
顔をしかめるトールだが、逃げる時間も隠れる時間もなく、店の扉は開かれた。
「トール!お客さんだぜ!!」
ノックもせずに勢い良く扉を開け、轟雷の如き声を上げたのは、身長2mを越える褐色の肌の大柄な男だった。
スキンヘッドの頭から目線を下げると、そこには犯罪者顔負けの厳つい顔があった。
筋力こそ力なりとでも言うような巨大な身体を持ち、今まで幾度となく女子どもを泣かせてきた鬼のような男だ。
その実、他人に優しく面倒見の良い男なのだが、その内面を知る程彼と仲良くする人間は稀だった。
彼の後ろにいる、仕立ての良い服を着た育ちの良さそうな娘も、急に響いた大声に小さく跳びはね、涙目で彼女の後ろに佇む騎士に助けを求めている。
その騎士は苦笑いを浮かべ、おそらくは貴族であろうその娘を宥めていた。
「トム、扉はもう少し静かに開けてくれ。それと、そんな大声を出さなくても聞こえてる。後ろの嬢ちゃんが怯えてるぜ。」
溜め息をつきながらそう言うと、トムはばつが悪そうに後ろを流し見た。
「あ、あぁ………それもそうだな。悪かったな、ついいつもの癖でよ。」
いつも注意しているのだが、なかなか直してくれない親友に対してトールは再び溜め息をつくと、今度は依頼人であろう娘に話しかけた。
「なぁ、あんたは俺に依頼をしに来たって事で間違いはないのか?」
「あっ……は、はいそうです!その………貴方が依頼請負人のトールさん………で宜しいですか?」
娘はおずおずと尋ねた。
「少なくとも、『ジャンクライフ』のトールっつったら俺の事だろうな。とりあえずそこのソファーにでも座ってくれ。綺麗な所じゃねぇがな。」
そう言うと、娘は警戒しながら中に入り、トールの机の正面に置かれた、これまた高そうな机を挟んで二つ置いてある大きめのソファーにちょこんと座った。
娘の後に入ってきた騎士は、座った娘の後ろで佇んでいる。
「んじゃ、俺は戻るぜ。久し振りの仕事なんだ、サボるんじゃねぇぞ。」
トムは言うだけ言って扉を閉めて降りて言った。
「ったく……言われなくてもわかってるっつーの。」
とぼやきながら、トールは依頼人の正面に座った。
彼は自他共に認める無精者であるが、受けてしまった依頼、交わしてしまった約束は必ず守る人間だ。
トムもそこのところは知っている為、ちょっとした軽口のつもりだったのだろう。
そんな事を思いながら、トールは依頼人の娘を見る。
肩より長い金色の髪。
サファイアのように輝く青い瞳。
肌理細かく染みや皺の見当たらない白い肌。
保護欲をそそる華奢な身体。
トールが今まで見てきた中でも上位の美少女だ。
彼は心中で溜め息を溢した。
彼はいつも言っている。
美人とトラブルは合わせちゃいけない、と。
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「さて、まずは自己紹介といこうか。知っての通り、俺は依頼請負人のトールだ。宜しくな。」
「あ、はい。……私はフラリー伯爵家当主レイト・フラリーの長女、ショコラと申します。後ろに控えているのは、当家の騎士ラーテです。」
「ラーテと申します。宜しくお願いしますね。」
フラリー伯爵家と言えば、『ジャンクシード』の統治者であるスコッツ侯爵の親類で、二十年ほど前からこの街に住んでいる上級貴族である。
その長女ともなれば、位としてはかなり高いところにあると考えて良いだろう。
(ショコラ………色々と甘そうな名前だな。)
トールはそんな感想を抱きながら、ラーテという騎士に目を向けた。
30代手前、といったところだろうか。
貴族の長女の護衛を一人で勤める程であるし、かなり優秀なのだろうとトールは考えた。
またトール自身、ラーテから並々ならぬ実力を感じ取っていた。
一般に騎士と呼ばれる者とは、一線を画す実力を持っている事を、彼は見抜いたのだ。
そしてそれは、ラーテにしても同じ事であった。
(これは………あの方が紹介するくらいだし、ただの人ではないと思っていたけど。………底が見えないな。)
目の前にいる、一見して冴えない壮年の男が、決して敵対してはならない人間である事を彼は悟っていた。
「……さて、さっそく依頼の話に入りたいところだが、まず聞かせてくれ。誰の紹介でここに来た?」
トールは、本当に信頼できる何人かにのみ、この店を他人に紹介する事を許している。
『ニコニコ雑貨店』の店主であるトムもその選ばれた人間の一人であり、『ジャンクライフ』の事を知っている者達は、彼らを『紹介人』と呼んでいる。
ショコラ達が『ジャンクライフ』を知っていたという事は、誰かに紹介されてきたという事の証左であった。
「はい。私は『ポムフリィ商会』の会頭セーレ・ポムフリィ様よりご紹介頂きました。」
「セーレか………ポムフリィ商会の会頭と直接面識があるのか、凄いな。」
ポムフリィ商会は、ここ20年ほどで急成長をし、今やあらゆる街でその名を轟かす一大商会である。
その会頭ともなれば、直接の面識があるだけでステータスとなる程だ。
「父が懇意にさせて頂いておりまして…………私はむしろ、ポムフリィ会頭を呼び捨てになさるトール様にこそ、驚きました。」
そう言って微笑を浮かべるショコラ。
ここに来た当初は怯えていたり涙目だったりしていたが、今は心に余裕ができたようで、貴族の子女らしい可憐な所作をしている。
よく考えたら怯えていたのも涙目だったのもトムのせいだ。
アイツに会って怯えない少女はなかなかいないだろう、と納得したトールであった。
「まぁ、あいつとは昔からの仲だからな。………それで、セーレの紹介を受けたという事は、何か困った事でもあるんだろう?依頼内容を教えてくれ。」
そう言うと、少女は些か緊張した面持ちをした。
「は、はい………依頼したいのは、一週間後に行われる決闘への代理出場です。」
「決闘?つまり俺に誰かと戦って欲しいって事か?」
「はい。決闘して頂きたいのは、スコール侯爵家嫡男ベイリー・スコール様の付き人で、ラゴラという男です。」
「ラゴラ……ね。聞いた事がないな。」
「つい一ヶ月前に辺境の地より訪れたようで。」
「ふぅん………その決闘とやらをするに至った経緯は?」
「それが……その………」
ここで、ショコラは何故か言いにくそうに俯いた。
すると、そんなショコラを見かねたラーテが助け船を出した。
「お嬢様、私がお話ししましょう。」
「………そうね。ありがとう、ラーテ。」
「いえ、気になさらないで下さい。……申し訳ありませんが、私からお話しします。」
「あぁ構わない。それで?」
「実は、お嬢様は以前より、ベイリー・スコール様より求婚されていたのですが………」
「ほほう、それはめでたいこと………でもなさそうだな。確かスコール侯爵家の嫡男ってぇと………」
「ご存知でしたか。……えぇ、ベイリー様は……まぁ、かなり自我の強い事で有名ですから………お嬢様も、御父上であるレイト・フラリー様も、その求婚を拒み続けていたんです。」
(自我が強い………かっこいい言い方をしているが、要するに自分勝手な傲慢貴族だって事だ。)
その噂を耳にしていたトールは、先の展開を何となく予想する事ができた。
「もしかして、スコール家の馬鹿息子が我慢ならなくなって決闘を申し込み、決闘に負けたらその馬鹿息子と婚約しなけりゃならんとか言い出すんじゃないだろうな?」
ウンザリしたような顔でそう言うと、ラーテとショコラは驚愕に目を見開いた。
「そ、その通りです。知っておられたのですか?」
「いや、そういう訳じゃないさ。ただ何となく………まぁ、ドラマとかでありそうな展開なんでな。」
「はぁ……ドラマ?」
「あぁいや、気にしないでくれ。とにかく、ただの勘だよ。」
「勘……ですか。慧眼、恐れ入ります。まさにトール様の仰る通り、三ヶ月前、ベイリー様より決闘の申し込みがありまして。」
「んで、それを受けた、と。」
「はい。代理人での決闘を条件として、受理したのです。」
「勝算があったから受けたんじゃ……………いや、誤算があったのか。さっき言ったラゴラって奴か?」
「………本当に鋭い御方ですな。」
苦笑するラーテ。
「当たりか。嬢ちゃんの代理人はお前だったんだろ?」
トールはラーテに向かって顎をクイっと動かした。
「そこまでお分かりですか………」
もはや苦笑を通り越してよくわからない表情をしている。
「フラリー伯爵が大切な長女の護衛をたった一人に任せるくらいだ。伯爵家の戦力の中でも、トップクラスなんだろ。そして、今日アンタがここに来たのは護衛の為だけじゃない。代理人となる予定だった自分に取って変わる人物………どれほどのものか、確かめたかったんじゃないのか?」
「………トール様には驚かされてばかりですな。全て貴方の考えておられる通りです。本来であれば、私がお嬢様の代理人として決闘をするはずでした。自分で言うのもおかしい話ですが、私よりも強い者は、スコール侯爵家にはいませんでしたから、お嬢様もレイト様も、私を信じて決闘を受理して下さったのです。」
「しかし、その強い者ってのが現れてしまった。」
「そうです。件のラゴラという者が『ジャンクシード』に現れ、そしてスコール侯爵家に雇われたのです。」
「そいつはアンタより強いんだな?」
「………強いです。悔しい限りですが。」
ラーテは両手を強く握り締め、悔しさにうち震えていた。
「ラーテ、気にする必要はないのよ。誰も予想できなかった事だもの。」
ショコラは優しくそう言った。
「……ありがとうございます、お嬢様。」
「そのラゴラってのは一体何者なんだ?アンタも十分強いように思えるが。」
「そう言って頂けるのは恐縮です。……しかし、あの男は格が違います。なにせ、密偵に調べさせたところ、ラゴラという男は西の辺境で『剣豪』と呼ばれた『鬼狩り』なのですから。」
「ほぉ、『鬼狩り』か。」
トールは思わず感嘆の声を上げた。
鬼狩り……それは、都市外にて人々が恐れ慄く悪鬼を狩り、その肉や革などを売って生計を立てる猛者の事だ。
訓練を積み重ねた騎士でさえ、少し強い悪鬼と相対すると、その瞬間餌に成り下がる。
そんな悪鬼と戦う日々を送るのが、鬼狩りという一種の狂人であった。
ラゴラはそんな鬼狩り、しかも剣豪という異名まで持っているという。
ならば確かに、強いとは言っても一般の騎士の範疇に留まっているラーテには荷が重いだろう。
「なるほど、それで俺の所へ………」
「はい、偶々当家へ来ておられたポムフリィ様へご相談したのです。ポムフリィ様はお顔が広いですから。不世出の達人をご存知かと思いまして。」
ショコラはそう言って微笑んだ。
「不世出の達人ねぇ………」
「ポムフリィ様は言っておられましたよ。『ジャンクライフ』のトール様ならば、たとえ竜との決闘だって負けはしない、と。」
「何言ってんだあいつ。………まぁ、話はわかった。」
「……私の依頼を受けてもらえますか?」
「そうだなぁ………」
暫しの沈黙が場を包んだ。
ショコラとラーテは固唾を飲んで返答を待つ。
トールは暫く目を瞑って何か考え事をしていたが、やがてゆっくりと目を開いた。
「条件がある。」
「………何でしょう?」
ショコラは緊張した面持ちをしている。
「まず一つ、その決闘とやらを観戦できるのは、アンタら二人と嬢ちゃんの父親であるレイト伯爵、そして相手の馬鹿息子とその父親であるスコール侯爵の五人だけだ。それ以外の人間には、決闘に俺が出る事すら伝えないでくれ。」
「………お父様やスコール侯爵とも話さなければなりませんが、全霊を尽くしましょう。しかし、一体なぜ……?」
「あんまり目立ちたくないんだよ。それだけだ。」
「そう……ですか。わかりました。………まず一つ、と仰いましたね。他にも条件が?」
「あぁ。と言っても、二つ目の条件は依頼の報酬に関する事なんだが………報酬は後払い、金銭で頼む。」
「もちろん構いません。報酬はいかほどなのでしょうか?そういったところは、ポムフリィ様は何も教えて下さらなかったので………」
「報酬の金額だが………嬢ちゃんが決めてくれ。」
「………え?」
「自分の依頼を達成する事にどれだけの価値があるのか、自分で決めろって事だ。たとえパン一個分の報酬しかなくても、文句は一切言わねぇよ。」
ショコラは驚愕した。
そのような報酬の決め方は聞いた事がなかった。
「……か、畏まりました。決闘の日までに、考えさせて頂きます。」
「おう、宜しくな。」
気軽に返事をしたトール。
ラーテもまた、ショコラと同じように驚いていた。
「それにしても、依頼を受けていただけて良かったです。ポムフリィ様が、もしかしたら受けていただけないかもしれない、と仰ってましたから。」
ショコラが思い出したように言った。
それに対してトールは苦笑する。
「あぁ、まぁ………基本的に面倒臭がりだからな、俺は。」
「それでも、受けて下さるのですね?」
「セーレの紹介だからなぁ………あいつには、何だかんだで世話になってるし。」
「そうですか……貴方に会えた事、心より感謝致します。」
「おいおい、まだ依頼を達成した訳じゃねぇんだぜ?」
「いえ、きっと大丈夫です。だって、あのポムフリィ様が太鼓判を押す程ですもの。私も、トール様を信じています!」
そう言って、ショコラは可憐に笑った。
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ショコラとラーテが『ジャンクライフ』に訪れてから、一週間が経った。
表の通りは相も変わらず賑わっているのに、トールはやはり外に出る事はなく、椅子に腰掛けて新聞を読みながら、口に咥えた煙草から紫煙を燻らせていた。
本日はショコラに依頼された、代理決闘の日である。
彼はこれから起こる戦いに想いを馳せていた。
鬼狩り………彼らは皆、例外なく強敵である。
トールはその事を身をもって知っていた。
だからこそーーー
(楽しみだ………)
彼は小さく嗤っていた。
彼自身は決して認めないだろうが、彼は間違いなく戦闘狂の素養があった。
ちょうど昼を過ぎた頃、トールが店を出て階段を降ると、一台の馬車が停まっていた。
馬車の横に立つラーテが、こちらに気付いて一礼した。
「お迎えに上がりました、トール様。」
「……目立つのは嫌いだって言ったはずだがな。」
顔をしかめて頭をガシガシと掻きながらそうぼやくと、ラーテは苦笑した。
「そう仰らないで下さい。当家と致しましては、こうして依頼を受けて下さったトール様をお迎えに上がるのは当然の事です。ご理解下さい。」
「わぁーったよ。いいから行こうぜ。」
「感謝致します。それではこちらへどうぞ。」
ラーテが扉を開き、トールは馬車へ乗り込んだ。
向かう先はフラリー伯爵邸だ。
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「ようこそおいで下さいました、トール様。本日はどうか、宜しくお願い致します。」
馬車を降りた彼を出迎えたのは、ドレスを着たショコラであった。
彼女の横には、壮年の男がいる。
「貴族のご令嬢自らの出迎えとは、痛み入るな。……そちらは?」
壮年の男に顔を向けて尋ねると、彼は一歩前に出た。
「私はフラリー伯爵家当主を務めている、レイト・フラリーだ。この度は我が家の困難に巻き込んでしまい、申し訳ない。」
「アンタが伯爵か。気にする事はない、これも依頼だ。アンタの嬢ちゃんが俺を雇った。それだけさ。…………一応言っておくが、俺は敬語やら礼儀やらが苦手だ。気を悪くしないでくれると助かる。」
「なに、そういった事はポムフリィ殿より聞き及んでいる。気にする必要はない。楽にしてくれ。」
「それは助かるよ。………んで、例の馬鹿息子と鬼狩り野郎はどこにいるんだ?」
「馬鹿息子に鬼狩り野郎………か。なかなか面白い言い方だな。」
レイトは愉快そうに笑った。
ショコラとラーテは苦笑している。
「彼らは我が邸宅にて待機している。ラーテ、彼らを裏庭へ。トール殿、我らは先に行っておこう。裏庭にて決闘を行う事となっている。………どうか、宜しく頼むぞ。」
「了解………ま、大船に乗った気持ちで気楽にしてろよ。」
「そう言ってもらえると安心するな。それでは行こう。」
ラーテは相手を呼びに邸宅へと入り、レイト、トール、ショコラの三人は裏庭へ移動した。
「そいつでぷか、伯爵家の雇った無頼の輩は。そんな中年で本当に良いんでぷか?」
裏庭にて暫く待っていると、ラーテが三人の男を連れてきた。
俺を見るなり無礼な事を言ってきたのは、腹回りに脂肪を蓄えた醜い豚。
その後ろには鍛えられた肉体を持つ色黒の男。
そして醜い豚を更に一回り大きくしたようなこれまた醜い豚。
「……ご心配どうもありがとうございます。しかし問題はありません。」
レイトが素っ気なく答えた。
ショコラは口も開きたくないとばかりに堅い表情をしている。
「でぷぷぷ!フラリー伯爵家も落ちたもんでぷね!これはもう僕達の勝利は決まったも同然でぷね!」
(………でぷ?)
「これこれベイリー、あまり失礼な事を言うでないげぷ。たとえ本当の事でも、言ってはいけない事もあるげぷ。フラリー伯爵は伯爵なりに最善を尽くしてのことげぷ。ここは全力をもって叩き潰してやるのが、貴族の矜持ってやつげぷ。」
(げぷ!?)
珍しくトールは驚いた様子を見せた。
こんな生き物がいたのか。
この親にしてこの子ありと言うのか。
トールの胸中はそんな気持ちでいっぱいであった。
その様子を見て何か勘違いしたのか、小豚と大豚は更に煽ってくる。
「でぷぷぷ、あの無頼漢め、今更ながらに恐怖に震えているでぷ!」
「げぷぷぷ、あまり笑っては可哀想げぷ。伯爵に雇われるほどの実力者、きっと希に見る喜劇を演じてくれるはずげぷ。」
「お父様、僕達にとっては喜劇でもあの男にとっては悲劇でぷ。なにせあの男は、今から手も足も出ずになぶられるでぷから!」
「げぷぷぷ、それもそうでげぷな!これは一本取られたでげぷ!」
「でぷぷぷ!」
「げぷぷぷ!」
(なんだこれ………?)
トールは何とも言えずに困惑する。
伯爵陣営は呆れたように口を閉ざしている。
そこへ、侯爵の後ろへ控えていた男が前に出た。
「おい、早く始めろ。」
「や、雇い主に対して何たる言葉遣いでぷ!」
「うむ!調子に乗るでないげぷ!」
「あ?………もう一度言う、早く始めろ。」
「ひっ………わ、わかったげぷ………。」
「お、お父様…………」
男の言い方に憤慨した親子であったが、蔑むように睨まれると、体を震わせて怯えた顔をした。
そんな二人を鼻で笑い、男はこちらを向いた。
「………鬼狩りのラゴラだ。」
(あまり口数の多い男ではないようだな。個人的には嫌いじゃねぇが。)
「依頼請負人のトールだ。」
互いに名乗って向かい合う。
二人の空気が変わったのを悟ったのか、両陣営の観客が下がる。
ラゴラが背中に背負っていた剣を抜いて構えた。
「………得物は?」
武器の類いを持っていないトールを不審に思ったラゴラが問いかけた。
「こいつだ。」
そう言うと、トールの手元に一振りの刀が現れた。
ラゴラだけでなく、後ろに控えている者達まで、思わず息を飲んだ。
「………空間収納の魔道具か。」
「あぁそうだ。昔、手に入れてな。」
トールはそう言って、左耳に着けている銀色の小さなピアスに触れた。
マジックボックス………それは異空間に物を保管する事のできる魔道具であり、容量の小さいものでさえ、上級貴族でもなければ手が届かないほど高価な代物だ。
一介の人間が持てるものではない。
事実、鬼狩りとして『剣豪』の異名を取るラゴラも、上級貴族であるフラリー伯爵やスコール侯爵でさえも、マジックボックスなど持ってはいなかった。
スコール侯爵のねっとりとした視線を無視して、トールは刀を左腰に装備し、いつでも抜刀できる構えを取った。
それを見てラゴラも警戒心を高める。
様々な悪鬼と戦い、死地を越えてきた彼の本能が告げていた。
(一瞬でも気を抜かせばやられる………この男、何者だ?)
考えながらも警戒を欠かさないラゴラ。
その姿に思わず笑みを浮かべたトールが、前方へ踏み出した。
ほとんどの人間はトールの姿を見失った。
視認できたのはラーテとラゴラのみ。
ラーテに至っては、何とか影が見える、といった程度であった。
ラゴラは、途徹もない速度で近付いたトールが左に腰を切るのが見えた。
抜刀させまいとラゴラは剣を斬り下ろす。
その一閃は『剣豪』の名に相応しい剣速であり、もし仮にここに立っていたのがラーテであったならば、反応できたかどうかは微妙なところだった。
しかし、トールが取った行動は意外なものであった。
左に腰を切ったトールは、抜刀するのではなく右の前足底による前蹴りによって、ラゴラの水月を蹴り込んだ。
急所である水月をトールの剛脚で、それも予期せぬタイミングで蹴り込まれたラゴラは、未知の激痛に貫かれていた。
呼吸が止まり、意識が遠くなる。
だが、一瞬動きが止まりながらも、それでもラゴラは剣を止めなかった。
半ば遮二無二の一撃であったが、その剣撃が、結果としてラゴラを救った。
蹴り込んだ右足を地に置くと同時に、トールは神速の居合いにて、ラゴラの首を刈り取ろうとしていたのだ。
トールの放った必殺の一閃は、しかしラゴラのガムシャラな剣撃にて止められてしまう。
居合いによる一閃が失敗した事を悟ったトールは、体勢を立て直す為に一度後ろへ下がった。
窮鼠猫を噛むと言う。
あのまま押し切る事もできたかもしれないが、百戦錬磨のラゴラが絶体絶命の状況でどう出るかわからなかったのだ。
戦闘における理想は一撃必殺。
たとえ弱っている相手であっても、必殺のプランもないままに攻めることの危険性を、トールは重々承知していた。
(さて、敵の剣速は把握した。やはり悪鬼と戦ってきただけあって、守りは薄いな………。)
悪鬼は人間のように駆け引きをしたり急所をピンポイントで狙うような事はしない。
その膂力に任せて暴れるだけだ。
故に鬼狩りは攻撃は一流以上でも、人間相手の守りとなると二流レベルにまで下がる。
トールは一瞬にしてそれを悟ったのだ。
一方ラゴラはーーー
(………これは危ういな。呼吸がまだ安定しない。先程の剣撃にしても、剣速は俺より上か………)
彼は目の前の男が予想以上の化け物である事に今更ながら気付いていた。
「な、何をしておるげぷ!早くそいつを殺すげぷ!」
「そうでぷそうでぷ!!」
何もわかっていない外野が叫ぶが、二人の耳には入らない。
(この男を相手に何ができる………俺は………)
ラゴラは苦悩していたが、やがて一つの結論に至る。
再び剣を構えるラゴラからは、一切の悩みを切り捨てたような清々しさが見えた。
「どうする?このままではお前に勝機はないぞ。」
トールが煽るように言うが、ラゴラが動揺を見せる事はなかった。
「……その通り、どうやらお前は、俺よりも遥か高みにいるらしい。」
「ほぉ?んじゃ降参でもするか?」
「馬鹿を言うな。お前のような強者と鎬を削る機会など、そうそうあるものではない。」
「ならどうするってんだ?」
「……こうする。」
ラゴラは一直線にトールへと駆け寄り、剣を振り下ろした。
先程よりも鋭い一閃を、トールは正面から受け止める。
しかし、ラゴラはそれで諦める事なく、次から次へと剣撃を繰り出す。
「おいおいっ……この期に及んで……はっ!………無謀な連続攻撃ってか?」
ラゴラの暴風のような剣撃を避け、捌き、返しながら口を開く。
「その……通りだっ!…………ふっ!……俺には……っ!………剣技しかっ……ないからな!!……はぁ!!」
「っ………そうかいっ!……おりゃ!………それならっ…………望み通りにっ……してやるぜ!!」
トールは悟った。
この男は自らの力量が劣っている事を理解した上で、相棒である剣に命を委ねたのだと。
それが剣と己の腕のみで生きてきた『剣豪』ラゴラのプライドなのだと。
ならば望み通りにしてやろう。
全力をもってそのプライドを打ち砕いてやろう。
それが、トールがこの場でラゴラに与えられる、唯一の敬意である。
トールはラゴラの剣撃の嵐を掻い潜り、懐へ忍び込み、左拳にて胸骨の中央を打ち抜いた。。
壇中へと繰り出された強烈な一撃、しかしラゴラはそれを読んでいた。
ラゴラは死に物狂いの執念によってその一撃を耐え、懐にいるトールを一刀両断にせんと、振り上げた剣を全力で振り下ろした。
その切り下ろしに対し、トールは右下からの斬り上げによって迎え撃つ。
『剣豪』と呼ばれたラゴラの、生涯最高の一撃と呼べる剣撃は、いくらトールとは言えど、この不利な状況で防げるものではなかった。
ーーー本来であれば
二人の剣撃が当たる瞬間、トールの刀を青白い光を纏った。
その現象に目を見開くラゴラ。
トールが刀を振ると、音もなく刀は振り抜かれてしまった。
ーーー武神流剣術『雷切一閃』
一瞬にして剣先を失った剣を呆然と見詰めるラゴラに、もはやトールの繰り出す斬り下ろしを防ぐ手段はなかった。
右肩から左腰に向けて大きく切り裂かれたラゴラは、ゆっくりと後ろへ倒れ込んだ。
その瞳は、既に空を映してはいない。
「お前は間違いなく強かったぜ。これを使わなければならない程にな。」
トールは、物言わぬ死体となったラゴラへ向けて、人知れず呟いた。
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観戦していた一同は、一様に言葉を失っていた。
やがて、レイトが口を開いた。
「………さて、これで決着はつきましたな、スコール侯爵。」
無表情でそう告げるレイトに、侯爵は慌てた様子で言葉を紡ぐ。
「えっ、あ、いや、これは…………これは何かの間違いでげぷ!そうげぶ!そうに違いないげぶ!でなければ、あんな無頼漢が『鬼狩り』に勝てる訳ないげぷ!!」
「さ、流石お父様でぷ!こんな事はありえないでぷ!」
見苦しく言い訳をする親子へ、レイトは非情な言葉をかける。
「スコール侯爵、この度の決闘は領主であるスコッツ侯爵にも許可を頂いた正式なもの。しかもそちらから申し立てたものではありませんか。その結果を何かの間違いなどと………本気で言っている訳ではないでしょうな?」
レイトが睨み付けて言うと、二人はパクパクと口を開閉しながらも、やがて沈黙した。
「………ふむ、異存はないようですな。それでは、これにて決着は我々の勝ちという事で、誓約は守ってもらえるのでしょうな。」
「せ、誓約げぷ?」
「ベイリー殿のショコラに対する求婚は、正式にお断りさせていただく。今後一切、その件については当家は取り合いませんので、ご了承を。」
「そ、それは………」
「宜しいですな?」
「うっ…ぐっ…………わ、わかったげぷ。」
「そんな!お父様!!」
「し、仕方ないげぷ!決闘までしておいて誓約を破れば、もう貴族ではいられなくなるげぷ!」
「そ、そんな……………」
小豚は絶望に涙ぐみ、大豚は羞恥に顔を赤らめている。
そこに、トールが近寄ってきた。
「話は終わったか?」
「あぁ終わったよ。実に見事だった。」
「お疲れ様ですトール様。ありがとうございました。」
レイトとショコラが微笑んだ。
対照的なのが豚二匹。
「このっ………貴様さえいなければ………」
「ゆ、ゆる、許さないでぷ!貴様、覚悟するでぷ!!」
怒りに震えてトールを睨み付けるが、トールは鼻で笑い飛ばした。
「はんっ…………お前達に何ができるってんだ?」
その嘲るような態度に、豚二匹は更に怒る。
「なっ!!………き、貴様、この私にそんな態度を取って、ただで住むと思わないことげぷ!!」
「そうでぷそうでぷ!貴様はもうこの街にいられないようにしてやるでぷ!!」
「勝手にしろよ。お前ら如き家畜野郎共を恐れるほど、俺は上等な人間じゃねぇんだよ。」
怒りに任せて叫ぶ二匹と更に煽ろうとするトールに、伯爵陣営も流石に慌てる。
「ト、トール殿、それ以上はもう………」
「ふんっ!もう謝ったって遅いげぷ!侯爵家の全権を使ってでも、必ず貴様を放り出してやるげぷ!!」
二匹は益々ヒートアップして口汚くトールを罵ろうとするがーーー
ーーーその時、脳漿が沸騰しているのではないかと言うほど激怒している二匹の後ろから、この場にいるはずのない二人の声が届いた。
「かっかっか!放り出されるのは貴殿らの方じゃ、スコール侯爵よ。」
「ほほほほほ、これは面白いところに出くわしましたね。」
「だ、誰だげぷ!?」
慌てて振り返ったスコール侯爵の目が驚愕に染まる。
「ス、スコッツ侯爵閣下!それにポムフリィ会頭様!!どうしてここにげぷ!?」
「かっかっ……なに、『ジャンクライフ』の店主に喧嘩を売る愚か者がおると聞いてな。お灸を据えてやろうかと出張って来たのじゃよ!!」
「私は貴方に用事などございませんよスコール侯爵。………最近あまりお顔を見ていなかったものですから、ご挨拶をと思いまして。ご無沙汰しております、トールさん。」
『ジャンクシード』の統治者……即ちこの都市で最も偉い人間であるウィリアム・スコッツ侯爵と、大商会である『ポムフリィ商会』の会頭であるセーレ・ポムフリィの登場に、この場にいる殆どの者は固まっていた。
「あぁ、久し振りだなセーレ。相変わらず景気が良いようで何よりだ。」
「貴方のお陰ですとも。今回は災難でしたね。」
「全くだ。ただ決闘だけなら良かったんだがな………そこの豚二匹に虐められて困っていたところだ。」
「それはいけませんな。看過できぬ事です。」
「お主が『困る』などと言っても全く信じられんよトール。息災じゃったか?」
「俺は酒と煙草さえあれば元気さ。あとは仕事がなければ最高だがな。」
「かっかっか!相も変わらずの無精者め!」
トールとセーレが仲睦まじく話す姿に、スコール侯爵は目を見開くが、そこに入り込んできたスコッツ侯爵に対しても変わらぬ様子で話すトールに、レイトやショコラ、ラーテまで驚愕を示す。
「ト、トール様、貴方はスコッツ侯爵様とも懇意にしていらっしゃるのですか?」
好奇心を耐えられず、ショコラがおずおずと問いかける。
「ん、あぁ………まぁ、この爺とも昔からの仲でな。」
「爺とは失敬な。儂はまだ45じゃぞ。」
「俺より12も上じゃねぇか。十分に爺だろ。」
「えっ、トール様、33歳だったのですか!?」
思わず驚くショコラ。
口には出さないが、レイトやラーテも多少は驚いている様子だ。
「何歳だと思ってたんだよ………」
「い、いえ……その…………よ、40代かと思っていました。」
「かっかっか!こやつ目付きが悪いからのう!おまけに淀んだ空気を纏っておるしの。」
「淀んだ空気は余計だ。………それにしても、やっぱり俺はそんなオヤジに見えんのか…………」
少しだけ……ほんの少しだけ落ち込んだように見えるトールに、ショコラはオロオロとしている。
しかし、すぐに立ち直ったトールは話を戻した。
「そんな話はどうでも良い。………こいつら、どうすんだ?」
空気となっていた豚二匹を見る。
石のように固まっていた二人がビクッとした。
「ふむ、そうじゃのう………貴族らしからぬ振る舞いは以前より気になっておったし、お主に喧嘩を売ったとなれば、もはや擁護する必要もなかろう。出ていってもらおうかの。」
「で、出ていく?それはどういう意味げぷか!?」
「文字通り、ここから出ていってもらうのじゃよ。この街からのう。」
「そ、そんな!一体なぜ………その男は何者なんげぷか!?」
「それはお主は知らなくても良い事じゃ。明日にでも出ていってもらうでな。準備しておくが良いぞ。」
ウィリアムはにこやかな笑みを浮かべているように見えるが、その目は冷ややかで、同情の欠片もありはしなかった。
それを悟ったスコッツ侯爵は、一縷の望みをかけてセーレにすがるように懇願する。
「ポ、ポムフリィ会頭様、貴方から何とか言って下さいげぷ!……このままでは…………」
それに対してセーレはにっこりと笑った。
「スコール侯爵様……今後一切、我々『ポムフリィ商会』は貴家とは取引致しませんので、ご了承下さい。」
笑みを崩さずそう言ってのけたセーレに、スコール侯爵は唖然とする。
「そ、そんな………なぜ、何故なんげぷか…………その……その男がなにか…………」
「貴方は知らなくても良い事ですよ。それではどうかお元気で。もうお会いする事もないでしょうが。」
笑顔のまま言い捨てて、セーレは背を向けた。
「トールさん、折角ですから本日は夕食をご一緒にいかがですか?ご馳走しますよ。」
「そうだな、久し振りに会ったし、それも悪くない。」
「かっかっ!当然、儂も招いてもらえるのだろうな?」
「勿論ですとも。どうぞお越し下さい、スコッツ侯爵閣下。」
「最近あまり贅沢なものを食べていないからな。楽しみだ。」
「最近できた店なのですが、これがなかなか…………ご期待下さい。」
「儂らの馬車で行こうかのう。表に止めてあるぞ。」
「あぁ、そんじゃ行こうか。」
「お、お待ち下さい!!」
三人でその場を後にしようとする………が、ショコラが声をかけてきたので止まって振り返る。
「あっ………お、お呼び止めして申し訳ございません。トール様、本日はありがとうございました。謝礼に関しては、後日当家より使者をお送りしますので、そちらよりお受け取り下さい。」
ショコラは深く一礼した。
「私からも礼を言わせてくれ。今日は本当にありがとう、君のお陰で助かったよ。」
レイトも深く頭を下げた。
その後ろでラーテが無言で礼をしている。
「俺は受けた依頼をこなしただけだ。気にするな…………まぁ、礼は受け取っておく。謝礼に関しても、了解した。」
「あの二人はそちの配下に連行させてくれ。儂が許可を出す。明日までに荷物を纏めさせ、街から出すのじゃ。」
後ろから顔を出したウィリアムがそう言った。
「畏まりました。お任せ下さいませ。」
「うむ!それではの!」
「失礼致しますね。」
ウィリアムが手を上げ、セーレが一礼する。
「んじゃな、また何かあったら…………いや、やっぱりもう依頼はしないでくれ。」
格好のつかないトールの姿に、ショコラ達は笑みを浮かべた。
「ふふっ……わかりました、また何かあったらご相談しますね!」
「いや、だから……」
「その時はよろしく頼むよ、トール殿。」
「いや…………」
「私からもお願いしますね。」
「………………」
「かっかっか!お主の負けじゃよ、ほら行くぞ!」
愉快そうに笑うウィリアムに急かされ、トールは溜め息を吐きながら歩き始めた。
その背にショコラが言葉を投げ掛ける。
「トール様!本当にありがとうございました!!」
その言葉に彼は振り返る事もなく、ただ片手を上げて返事したのであった。