入学式
恋さんと凛さんが姿を消した後、拙者は軋む音を気にせずに体育館へ移動した。今の拙者ではまだこの音を消すことはできないでござる。
入学式の会場は忍者の集会所と同義。光量を絞っている上に、存在を消している者が多すぎて、正確な人数がまるでわからない。
これなら恋さんと凛さんの置物が混ざっていても、暗すぎて本物か判別がつかないでござろう。主が先生に怒られる姿は見とうござらん。
『自己流忍法:お口にチャックの術』
新入生席の前から二番目中央やや右。
きっとこの辺りが目立たないでござろう。
座席はガラガラで、開始までまだ時間があるでござる。母上は時間にうるさい。遅刻をすると縛りあげられる。相手を待たせるぐらいなら静かに気配を消してじっと待つのも忍び。
数分間の主との邂逅。
初めてのキス。未だ両頬の熱が収まらない。
主従契約を結ぶたびにキスをしてもらえるなら、一生パシリでもいいとすら思える世界でござった。
相も変わらず香る凛さんの匂い。耳に届いた息遣い。スベスベ肌が全身を優しく包むかの如く回された腕。
凛さんの前世は天女ではござらんか?
上級生の方からだだ漏れの敵意が飛んできたでござる。
後ろを振り返れば恋さんと凛さんが座っている。
手ぐらい振るべきでござろうか? 繋がりが知られていない方がよかろう。
恋さんはもちろんマスクで素顔を隠しているが、拙者の目にかかれば……。マスクなどもうないに等しい。
『自己流忍法:脳内補完の術』
あれ? 顔の表情筋の位置から再現して、怒っているでござる……。
なにゆえ?
拙者の履き物をツンツンする――ネズミ……?
任務では犬や猫などの飼い慣らしやすい動物を使うが、こういう暗がりの空間ではもっと小動物を用いるのが一般的。
体育館に現れたと言うことは誰かの飼いネズミでござるな……。
いったい何の用で、ござろうか?
背中に巻き付けられたメモを開く。
『よくも先生にチクったわね! 後で覚えていなさいよ。恋』
拙者はそんな事をしていないでござる。
慌てて振り返り、首を振って否定した。
すでに怒り心頭。眉間にシワを寄せるなど、美少女には似合わないでござる。
先ほど母上にもらった紙飛行機を小さく破り、文を認める。
『愛しき主へ。拙者の忠誠心は真でござる。家名に誓うでござるよ。日影』
ネズミの背に巻き付けて恋さんのもとへ走らせた。
どうやら、拙者に罪を着せるために裏で画策している輩がいそうでござるな……。
文を読んだ恋さんはさらに怒り、凛さんに文を渡した。まさか『愛しき主へ』とは凛さんになるのでござろうか? 曖昧な表現は時に残酷な運命へと誘うでござるな……。
手紙を読んだ凛さんは恋さんの悔しそうな顔に気を良くして文を胸に仕舞った。
これからは『愛しき主たちへ』とするとしよう。
静かなる二人の戦いの四つ隣に顔に狐のお面を付けている変わり者がいるでござる。マスクよりきちんと顔を隠せる反面、視界が狭く、呼吸が難しくなると聞いたでござる。
在校生の前列だから、あの忍びも二年生でござろう。
人が多くなってきたので、前を向いて大人しくする。
在校生は男が後ろで、女が前なのでござろうか?
どうもピンク色の忍び装束が多いでござるな……。
式の開始直前。
時刻はあと数秒で始まりだと言うのに続々と新入生が入ってくる。
母上が言う「待たせるぐらいなら待ちなさい」とはこう言う事でござるな。動かず、騒がず、静かに待つでござる。これは忍耐力を鍛える修業の一環でござる。
目を瞑って精神統一に勤しむ。心はいつも静かに……。
「長らくお待たせ致しました。たった今最後の新入生が着席しました。開会の挨拶をお願いします」
アナウンスの声に目を開くと、左右に置かれた椅子にも人が座っている。いつの間に……。
入学式が始まり。
校長先生の貴重な話は一〇分以上続き、やっと締めの言葉に入った。
「今年は第二九代服部半蔵恒光様の御子息をお預かりできて、嬉しい限りです」
会場全体から祝いの拍手が起こったので、立ち上がってお辞儀をする。
左右のくノ一は拙者を見上げてくるだけで、拍手はしてくれない。その代わり右の少女はクナイを握って振り上げた。
「その首もらった!」
どこからともなく、手裏剣が飛んできて、彼女の右手の甲を狙撃した。全員が忍なのに、こんなところで不意打ちをするとは……。
他にも会場から五人の忍が彼女の急所。首に三つ、左胸の前後から一つずつ、クナイを突き付けた姿勢で止まっている。その内の一人は母上でござった……。
「元気な新入生がおりますね」
声の主を探すと、手に手裏剣を構えている。
投げた人物は校長先生でござったか……。
どうやらあと三枚ストックがあるようだ。
さすが忍者学校。教師だけじゃなく、校長先生も忍びなのでござろうか?
母上が隣にいたくノ一が落としたクナイを拾い上げて言う。
「日影……。今後、自分の身は自分で守りなさいよ」
母上がサッと手を払った。
手信号で『散開』を表すジェスチャーだ。
一緒に止めにはいった忍者たちが保護者席に戻っていく。
鉤縄を二階の柵に引っ掛けて、当たり前のように壁を蹴り、腕の力でスイスイ上っていく。簡単にやっているが、三秒とかからずに二階に到着するには相当な修練が必要でござろうな。
上り終えると、鉤縄を回収。後には何も残らない。
「そうだわ。学校の寮に入って少し揉まれてきなさい」
言いながら少女の体をまさぐり、隠し持っている武器を回収。
少女は口を閉じて耐えるが、身悶えしてたまに声が漏れている。
凛さんには敵わないけど、あれを経験していなければ充分に目に毒なレベルでござった。同級生の淫らな姿。目が離せぬでござる。
『自己流忍法:脳内録画の術』体得。
勝手に新忍法が確立したでござる。あとでゆっくり再生するでござるか……。
武器の確認が終わった頃には、少女は床にへたり込んで、肩で息をしている。
抵抗しても無駄と知りつつ母上相手によく頑張った。
忍び装束は開け、肩は露出。胸は腕で辛うじて防いでいるものの、スカートは全開に上がっている。床に座っているため、パンツを見られる心配はないでござろうが、母上を敵に回すとこうなる。女子と言えど容赦がない。
それができるからこそ一流の忍びと呼ばれるでござる。くノ一にとって捕虜になった時点で辱しめは容易に想像ができるため、会場の動揺は一切ない。
守るためなら暗殺も厭わない忍者集団。よくこの少女はこの程度で生き延びた。
「お母さんが校長先生に言って今日から入れるようにしておいてあげます」
そして母上は言い出したら、聞かない。
自分の身を自分で守れなかったのは、事実でござる。ここは素直に認めておく。
「よろしくお願いする。でござる」
「寮は確か二人部屋だったわね。ルームメイトが必要ね。丁度いい、あなたでいいわ」
母上は今、たった今、拙者を殺そうとしたくノ一を同居人に指名した。
何を企んでいるでござるか? そんな事をすれば拙者の安眠が永眠に変わるでござるよ?
「その者は女性でござろう? 拙者と同じ部屋になれるはずがないでござるよ?」
慌てているのは拙者だけ、少女はすでに諦めの表情を浮かべているが、目には殺してやると強い意志がある。
永眠コース確定でござるな……。
「校長先生、よろしいですか?」
全く話を聞いてござらん。すでにレールは敷かれた後でござる。
「はい、もちろんですよ」
校長先生の挨拶の後だったから、まだステージの上にいるのでござったな。
あなたは母上側の人間ですね。短い時間で理解できたでござるよ。
入学式の校長先生の話が……。寮の話で終わってしまう大波乱。
全校生徒だけに留まらず、保護者たちの面前でルームメイトがくノ一に決まってしまった。
忍び故に、ざわつくと言う現象は起こらず、会場は静かなものでござる。
「日影が卒業する前に亡くなったら、ルームメイトの彼女の家系を皆殺しにして供養してあげるわ。安心しなさい」
母上……。それのどこが、拙者の供養になるのでござるか? 死ぬ前に救うタイミングはいくらでもありそうでござるが……。
今からでも遅くはないでござる。ルームメイトの件を取り下げれば、簡単に回避できる未来でござるよ?
ジーッと母上の顔を窺うが、全く気にする様子はない。
隣のくノ一は手を後ろに回し、忍び縛りと言われる『忍法:縄抜けの術』の極意を修得でもしていない限り抜け出せない結び方を手首にされた。
「これが彼女の錠を解く鍵です」
はいっと、手渡されたそれは、錠とセットになっている。代物。
錠まで付けられ、少女は忍び縛りよりも抜け出すのが難しい状況に置かれている。
今日入学したばかりのくノ一にビップ対応……。
「皆さんのご迷惑になりますので、入学式が終わるまでは解いてはダメですよ」
これって、解くのが遅れれば遅れただけ、根に持たれるのではござらんか?
隣の席を見ると少女が拙者を睨み付けてくる。武器は全部没収されたようだが『自己流忍法:睨み殺しの術』を体得していたら拙者は死んでいるでござるよ。
母上は保護者席に戻るおり、歩きながら走るという『自己流忍法:走歩の術』を披露した。見た目は滑りながら歩いているように見えるが、その速度は走っている程の速度が出る事からそう名付けられている。
スピードの緩急だけで姿を消すと、芸もなくジャンプして二階に移動した。会場からは少しブーイングが起こる。
「敷地内での二階へのジャンプは禁止事項です。保護者の方も例外ではありませんよ」
母上を叱るアナウンスが流れた。
言われてみれば、二階ぐらいジャンプで跳べばいいでござったな。
母上の事だ。時間短縮のために跳んだのでござろう。
入学式よ、早く終わってくれと祈るが、そういう時は、大抵叶わない。この鍵を早く手放したいでござる。
隣の少女は椅子のギリギリに座り、寄りかかってくる。
柔らかい体が右腕に乗っかり、首の付け根には少女の頭。恋さんと凛さんとは違う匂いが鼻腔をくすぐる。シャンプーの香りもそうだが、さっき体を動かしたために、汗をかいたのかも知れぬ。
時々座る位置を変更しながら、声をかけてくる。
「もう襲わないから、縄を解いてくれない?」
甘い囁き声でお願いされた。
先ほどの拙者を睨み殺す目はしていない。
それどころか目が潤んでキラキラして吸い込まれそうなぐらい綺麗でござる。
体を擦り寄せてきたせいか、衣が少しずれて、胸の谷間が見えるでござる。
これが『くノ一忍法:お色気の術』で、ござろうか?
恐ろしい。
主たちの色香に見劣りしない。
「母上との約束を破ると今度は拙者が痛い目に合うでござるよ」
「お願い。トイレが限界なの……」
密着しているとよくわかるが、小刻みに震えている。到底演技とは思えないでござる。
入学式が長すぎて、途中で退場して、戻ってくる人が多々いる。
縛られて、身動きが取れずに、我慢の限界にきたらしい。
この場で漏らすか、助けを乞うか究極の二者択一で後者を選んだようでござる。
「乙女にこれ以上恥ずかしい思いをさせるわけにはいかぬでござるな……」
鍵を錠の鍵穴に入れる。右に回すと、あっさり開錠された。
だが、もう一つの関門。忍び縛りがほどけない……。
この忍び縛り。拙者は過去に一度も『忍法:縄抜けの術』に成功していない。
とにかくガチガチでクナイで切ることもできない。
下手に切ろうとすれば手首を傷付けてしまう。
「お願い。早くして……」
涙目の少女に懇願されても、無理なものは無理でござる。
腕の角度をバッテンにして力を入れると少女は痛そうに顔を歪めた。
「少しだけ紐が緩くなったでござる」
これならクナイが入る。
縛っている部分を少しずつ両断。少女は見事解放された。
「ありがとう、日影様。今夜は一時休戦にしてあげる」
そう言い残して少女は退場していった。
「……様? 一時休戦……?」
紐の中からメモが出てきたでござる。
『利尿作用に効くツボを押しておきました。きっと彼女は日影を殺す前に躊躇いが生じるでしょう。ですが、一流の忍びになりたければ、感情を捨てなさい』
全て母上の手のひらで踊らされていたでござるか。そして一流の忍びは決して目的達成前に縄をほどかないのでござろうな。
『自己流忍法:脳内録画の術』の後ろに【体得】の文字を入れました。