軋む床と主
【生徒は直接体育館へ。保護者の方は二階から御入場ください】
今時古風な立て札。貼られた紙は白いが、周りの木は日焼けして年季が入っている。
「母上、ここからは別行動のようでござる」
「そうみたいね。私は先に窓から入ってるわね」
「はい、でござる」
母上は赤い忍び装束に身を包み、一際大きな建物へ歩き始めた。
保護者用の進入口は三通り。初級、中級、上級とコースが分かれている。
初級『窓が開いており、上るための綱が垂れ下がっています』
中級『窓は開いていますが、綱がありません』
そして、上級『何も補助具はありませんし、窓には鍵がかかっています。他にも仕掛け有』っとコースの手前にそれぞれ注意書があった。
「おい。あのくノ一上級コースに向かったぞ。止めなくていいのか?」
上級は選ぶ人が少ないのか、他のコースと比べて人がいない。
どんな方法で入るのでござろう。興味があるでござる。
母上は周囲の注目を気にせず『忍法:壁走り』で、体育館の直立の壁を上り、ネズミ返しの出っ張りを外側にジャンプして回避。右手の指だけで体を引き戻し、そのまま右腕一本で跳ねてネズミ返しの上に乗った。
二階の窓に到着すると、これまた『忍法:鍵開け』で窓を開けて難なく進入する。
そのくノ一は一児の母にして未だ現役。護衛、警護など国家から頼まれる凄腕。
さすがでござる。一連の動作に無駄がない。
入口として設けられた場所には学校関係者らしき係員が立っていたが、見惚れて思わず拍手をし始める。
その拍手の波がどんどん広がり、拙者も釣られて拍手してしまった。
「あれ……何か紙飛行機が飛んできたでござる」
『遅刻するわよ。早く体育館に行きなさい』
のんきに観察していたのを注意された。
あの動きのどこにメモを飛ばす瞬間があったのでござるか? 母上のいる窓の方を向くと手を振っている。
メモをポケットに仕舞って、生徒玄関から通路を進む。その先には細い渡り廊下。左右の壁には小窓が三メートル間隔で規則正しく並ぶ。
手前にビニールテープで白線が引いてあり、一歩踏み出すと、木の床が軋む音がする。
「なるほどでござる。学校全体が忍者修行の場でござるか……」
両親ともこの忍者学校を卒業する時に『忍法:恋煩い』にかかったと聞く。
世代別くノ一のトップに君臨した忍者でも解く術を知らぬとは、禁術でござろうか?
「拙者もいついかなる時も気を抜かず、高校生活を全うするでござるよ」
右足、左足、右足。
「体重移動が難しくて、どうしても床が鳴ってしまうでござるな……」
誰が歩いても絶対に鳴るように造られているのではござらんか?
んっ? 誰か来たでござる。
『忍法:隠れ身の術』
梁の上に移動して、マントを広げて身を隠す。
これは光学式マントで、隠れる直前に撮った背後の映像を反映させる事で、隠れるポイントを選ばなくなった近代の優れものアイテムでござる。父の時代は木の前、岩の中と事前に下準備が必要だったらしい。
「入学式って何か面倒だよね?」
「そうだね~。『忍法:身代わりの術』でも置いておく~?」
「いいね、それ。でも、先生にバレないかな?」
「大丈夫、大丈夫。新入生の男の子がチクらなければ、ね~?」
くノ一の二人が白線の手前で拙者が隠れているポイントを真っ直ぐ射ぬく。ヤバい……。バレているでござる。
くノ一の卵を表す、ピンク色の忍び装束。ハチガネの黒い布に緑色のライン。二年生でござる。
この日のために新調した拙者と違い、学校生活に慣れているのか、少しだけ着崩している。入学式から校則違反をする集団に目を付けられたでござるな……。
マントを懐に仕舞い、軋む床に着地。相変わらず木の音がうるさいでござる。
くノ一二人はそんな拙者をクスクス笑う。
――この床は誰が乗っても鳴るでござるよ。
「さてと、新入生君。お名前は?」
「名乗るほどの……」
二人とも動いていないはずなのに、クナイが顔の横を通過した。いつ投げたのか見えなかったでござる。
クナイは渡り廊下の曲がり角。壁に直角で綺麗に刺さっている。恐ろしい腕前でござる。
「お名前は?」
声をかけてきたくノ一がスカートを軽く持ち上げて、内側に装着しているホルスターからゆっくりとクナイを一本取り出した。
右手で持ったクナイを左手に打ち付けて、嘘をついたら、投げると脅している。マスクで顔は見えないが、布越しでも微笑んでいるのがわかる。しかし、動作と表情が一致していないでござる。
そんな事をしなくても、拙者に見えない速度で投げられるでござろうに……。
「名乗る……」
クナイの持ち手のところにある輪に指を入れて、回し始めた。いつでも発射準備が完了したようでござるな。
「日影でござる……」
「そう、日影君」
つま先で軋む床を歩く二人。普段通り歩いているように見えるが、音が鳴らない。錬度が違いすぎるでござる。
すぐ隣まで来ると、フワッといい香りがする。こんな状況でなければ、もっとドキドキできたでござるのに……。
「乙女の会話を盗み聞きしたよね~?」
拙者の懐から光学式マントを取り出して広げる。それは拙者のアイテムでござる。なかったら隠れられないでござる。
「い、今忘れたでござる」
奪い返そうと手を伸ばすが、サッと後ろに避けられた。一人分の軋む音しか鳴らないとは何をしても悲しいでござる。
「そうね。その方が日影君のためね。もし、先生に言ったらどうなるかわかってるわね?」
クナイを左頬に何度も当ててくる。言えば、このクナイが拙者に刺さるでござるな……。
「はい、でござる」
丁寧に畳まれたマントが懐に戻ってきた。あ、さっき急いで仕舞ったから、シワにならないように畳んでくれたでござるか? 右のくノ一は優しいでござる。それに比べてクナイを見せびらかしてくる左のくノ一は怖いでござる。
「また後で会いましょう。私は恋。こちらは私のルームメイトの凛」
怖い方が恋さんで、優しい方が凛さんでござるな。
「よろしくね~、日影君。私たちを負かす事が出来たら、私たちはあなたを主と認めて従うわよ~。それまで日影君の主は私たちってことよ~」
主……? 忍者が仕える相手? この二人が……?
凛さんにはお近づきになりたいけど、恋さんはいらないでござる。
「その目は何か不満があるのかしら?」
『自己流忍法:脳内リセットの術』
ブルブルッと頭を振る。スッキリしたでござる。
恋と名乗った、すぐに手が出るくノ一は口許を隠していたマスクをずらす。
赤い唇。日本人離れした高い鼻筋。長いまつ毛。大きな瞳。この人――美少女でござる……。急にドキドキが止まらない。
『自己流忍法:脳内リセットの術』
ダメだ、恋さんの前ではもはや、効果がないでござる。
と、拙者が気を紛らわせようと右を向くと、左の頬に柔らかい感触が……。
恋さんがキスをした?
夢……? 幻術……?
「強くなって私たちを楽させなさいよ。今のは契約の証。これで文句はないでしょ?」
なぜか、自分からキスをしたと言うのに、顔を真っ赤にして背ける。
忍者は変装の関係で、あまり素顔を晒さない。美少女がマスクで顔を隠して勿体ないでござる。
普段見られない小さい唇がマスクを元の位置に戻した事で、再び隠れてしまった。よく見れば鼻立ちの高さは隠しきれていないでござったな……。
『自己流忍法:脳内補完の術』
一度見た恋さんの顔が脳内で再現される。
この美少女が拙者の頬に……。
「恋の色仕掛けには負けられませんね~。では、私も~」
私も……?
今度は右側にいた凛さんがマスクをずらした。鼻立ちや、目のサイズこそ恋さんの勝利ではあるが、全体的にスラッとしていて、大和撫子でござる。本当に一つしか違わないのか、疑いたくなるほど、完成された大人顔。
首に回された腕から甘い体臭とほんのり熱い体温。
耳元で繰り返される息遣い。
体が接触して初めてわかる、忍び装束の下に隠された胸。細い四肢に似合わずこちらは大きいでござる。
一〇秒たっぷり抱き付いて、顔の向きを変えると凛さんの唇が優しく触れた。
やはり恥ずかしかったのか、顔が赤くなったでござる。拙者の方が顔が真っ赤になった自覚があるので、何も言うまい。
そして体は離れ、素顔はすぐに隠された。服に残った甘い匂いがその存在が密着していた事を如実に物語っているでござる。
一日に二人からキスをされるとは……。
「これで契約成立ね。これ以上主を増やさないためにキスをされないように注意しなさいよ」
「キスをされないように……? どう言う意味でござるか?」
「キスをされると負けを認めた事になるのよ。私たちを服従させたければ頬にキスをする事よ。まぁ日影君じゃ一生無理でしょうけどね」
知らずにとは言え、キスをされた拙者は敗北し、あの二人に従う義務が発生するでござるな。
忍者たるもの、どんな状況であれ、気を抜いた者が悪いでござる。
「二人を主として認めるでござるよ」
拙者の返事に満足したのか白線の向こうに引き上げていった。壁に刺さっていたはずのクナイはいつの間にか回収されている。恋さん……、ただ者じゃないでござる。