後編
「ねえ、何で嘘をついたの?」
「嘘って?」
「わたしを殺して、毛皮を売れば高く売れたんでしょう?お金にならないなんて、なぜ嘘をついたの。わたしを殺して、毛皮を売って、薬を買えばよかったじゃない」
雪がこんこんと降り積もる深夜、明かりも火もない殺風景で真っ暗な小屋の中、一匹のうさぎと男が寝そべっていました。
男は掠れた小さな声で、うさぎに優しく語りかけました。
「妻がな、死んだ、妻が、うさぎが大好きだったんだ。白い、うさぎが」
うさぎは黙って男の話に耳を傾けました。
男は今まで誰にも言ったことのない、自身の話をうさぎに聞かせます。
もともとは村に住んでいたこと。
大好きな妻がいたこと。
妻が病に倒れ、妻の看病に追われ、仕事を失ったこと。
薬が買えなくなり、妻は息を引き取ったこと。
妻は流行り病だったため、その病が自分に移ってしまったこと。
病にかかったら村を追い出されたこと。
獣を殺す仕事でなんとか生きながらえていたこと。
ずっとひとりだったこと。
そして、うさぎと出会ったこと。
「初めてお前を見つけたときな、妻が帰ってきたような気がしたんだ。妻はいつも言っていた。白いうさぎが好きだと。だから、妻がうさぎになって、帰ってきたと思ったんだ」
咳をたくさんした男の喉はとうに潰れていました。消えそうな小さな声で、震えるか細い声で紡がれる物語を、うさぎはなんの反応も取らずに聞いていました。
「俺は、死ぬ。妻と同じ病で死ぬんだ。それでも、最後に、お前に会えてよかったと思っている」
男の目から、きらきら輝く雫が流れました。
「ああ、寒いな、今日も、寒い」
うさぎは男の濡れる男の頬に、ふわふわの体をぴったりとくっつけました。男を温めるように。
ありがとう。
男はそう小さく言いました。それから、男が喋ることはありませんでした。うさぎは動かなくなった男から離れることなく、ただ、沈黙のまま寄り添いました。
小屋の外では、雪は止むことなく降り続けていました。小屋までのびる野原の道には、赤い点々が、まるでなにかを小屋まで誘導するように残されていました。
音もなく積もる雪がその赤を真っ白に消し終わった頃、うさぎは口を開きました。
「わたし、あなたと会えてよかったわ。わたしを助けてくれてありがとう。わたしと遊んでくれてありがとう。こんなに楽しかった冬、初めてよ」
うさぎの雪のように白い体は赤く染まり、温度を失いはじめました。それでもうさぎは冷たくなった男を温めるように、何度も、何度も体を擦りつけます。
「あなた、自分が人間じゃないと言っていたわね」
うさぎは微笑みながらそっとつぶやきました。
「次は、うさぎに生まれ変わるの、どうかしら」
もちろん、3匹でね。
そう付けたし、うさぎは動かなくなりました。
その日、その年で一番の大雪が降りました。小屋も、野原も、山も、全てが白く飲み込まれたような、最後の冬でした。
数年間、村の人が山に入ることはありませんでした。病を持った男が山に住んでいる、そう、村人は信じていたからです。
誰も足を踏み入れない野原は、春には豊かな緑色が育っていました。一面の緑の中に、ひとつだけ色を持つものがありました。桃色、黄色、橙色と暖かな色の花が周囲を覆う、小さな小屋でした。
小屋という人工的な建造物でしたが、何年も雨風や雪に晒されたため、すっかりくたびれていました。人の気配もなく、野原の景色に静かに溶け込んでいます。
春の優しい日差しの中、小屋の周りを3匹の白いうさぎが駆け回っていました。




