■ 前 編
『あれ?なんか、今日は随分とご機嫌なんじゃない?』
スキップでもし始めそうなくらい、浮かれた様子のサクラ。
まるで小学生のように頬を染めて、左手指先に巻かれた絆創膏を目の高さに
掲げ誇らしげに見ている。
『今日、ちょっとイイコトあったんデスよぉ~』
ニヒヒ。と一人、サクラが肩をすくめて微笑んだ。
サクラは地元の教育大学の体育学部に合格・入学し、
迷いに迷った末、ソフトボール同好会に入会していた。
部活の入部も一瞬考えたのだが、”教師になる ”という目標をもって
入学した大学。
勉強以外にウエイトを置きすぎる危険性を考慮し、”同好会 ”で趣味程度に
ソフトボールを楽しむことにしたのだった。
4年生のヨシナガSB同好会部長が、ご機嫌なサクラを見て笑う。
『ミナモトは、ウチの弟になんか似てるんだよねぇ~』
そう言って、なんだか嬉しそうに目を細める。
親近感ハンパないわ、と。
やたらとサクラに気を配ってくれるヨシナガ部長は、
大学入学と同時に地元を離れ、一人暮らしをしていた。
毎日きっちり自炊をしているため、やたらと料理上手で、毎日弁当も持参し
たまに、暇つぶしにと言っては、クッキーを焼いてきてくれたりした。
シャツのボタンが取れサクラがふくれっ面をしていた時なんかは
それを縫い付けてくれもした。
しっかりしていて、オトナで親切で、まるで姉ユリのようなタイプだった。
『よっし~部長がさぁー・・・、
あたし、部長の弟に似てるとかゆって、
なんか、やたらと懐いてくんだよねぇ~。
今日も、帰りにラーメンおごってくれた。チョーいい人っ!』
肩を震わして笑うハルキ。
『まぁ、その言葉のチョイスは間違ってんけどな?』
笑いが止まらない。
(なかなか女友達できないのに・・・
いい先輩に恵まれたんだな・・・、良かった・・・。)
毎晩、必ずしているサクラへの電話。
遠く離れるサクラとハルキは、特にこれと言って用事はなくても
欠かさずに互いの声は聞いていた。
最近の話題はめっきり”サクラの大学生活 ”についてだった。
友達が出来ないんじゃないかと心配していたハルキだったが、
SB同好会に入ったことでその問題はクリア出来ていた様だった。
と言っても、サクラ自身は”群れる ”タイプではなかったので、
本人にとって友達の有無は、然程重要な問題ではなかったようだが。
”親心 ”が働くハルキにとっては、やはり内心それは心配の種のひとつだった。
『イジめられたりしてないかー?』
ハルキの、半分冗談・半分本気の問いに
『ヤラれたら2.5倍にしてやり返してやるよっ。』
何処吹く風とばかりに、そこそこリアルな数字を上げるサクラ。
ハルキは声を上げて笑った。
サクラなら本当にやりかねない。考えただけで恐ろしいったらない。
子供の頃の、泥だらけ・絆創膏だらけの懐かしい顔をふと思い出した。
『手は、やめときなさいよー。手は・・・。』
『今日のSB飲み会、参加だっけ~?』
相変わらずニヤけながら、絆創膏の指先を眺めているサクラは
呆れ笑いするヨシナガ部長に、『ぁ。たまには参加しま~っス!』 と、
鼻歌まじりに返事をした。
いつもは殆ど参加しない飲み会。
サクラはアルコールには向かない体質のようだった。
飲んだところで気分が悪くなるだけで、美味しくもないし楽しくもないし
やたらバカみたいにテンション高い内輪だけの騒がしさと
無駄にデカい笑い声と、時には怒ったり泣いたりする姿を横目に、
飲み会の良さなど、目を皿のようにしたって見出すことは出来なかった。
ぶつくさ文句を言うサクラに、ヨシナガ部長はやさしく言う。
『これもコミュニケーションのひとつだからねぇ。
普段あんまり関わりがない人とも話せるチャンスだから。
自分以外の人の意見を聞くって、案外、大事なんだよ?
・・・でも、無理してまで飲む必要はないよ。』
(やっぱ、どっかユリちゃんみたい・・・)
やわらかい笑みを浮かべる部長に、サクラは珍しく素直に
口をパカっと大きく開けて『はーい。』 と良い返事をした。
何故かヨシナガ部長の言うことにだけは、従順だった。
誰かに注文してもらったやたらと甘いジュースみたいなオレンジ色の
カクテルをテーブル下の膝の上に置いた左手の、光る環をこっそり見つめ
微笑みながらサクラは恐る恐る口にした。
深夜1時。
【着信:サクラ】
着信メロディが、ハルキの静まり返った単身部屋に鳴り響いた。
ベットに横になってはいたが、まだ寝てはいなかったハルキ。
こんな時間にサクラから電話が来るなんて珍しい。
小首を傾げつつ、通話ボタンを押した。
『サクラ・・・? どした??』
すると、
『夜分遅くにすみません。
あの・・・ミナモトの、お知合いの方でしょうか・・・?』
男の声。
サクラのケータイから男の声が流れる。
というか、男がサクラのケータイから電話を掛けてきている。
うろたえ取り乱しそうになるのを、必死に堪えるハルキ。
『え。な・・・
サクラに何かあったんですかっ?!』
すると、その電話の男は少し安心したように続ける。
『大学の飲み会で、かなり酔っ払ってしまっていて・・・
誰も家を知らないものですから。
勝手にミナモトのケータイを見たんですが・・・
ほんとは自宅とかに掛けたかったんですけど、
着信も発信も、履歴は”そちら ”しか無くて。』
ハルキが表情を曇らせつつ、電話向こうの相手に丁寧に詫びる。
気付けばベッド上で正座をして背中を丸め、ケータイを耳に当てている。
そして少し悩んだ末、申し訳なさそうにしずしずと不躾なお願いをした。
『大変、ご迷惑をお掛けするんですが、
サクラをタクシーで送って行っていただけないでしょうか・・・?
後日、必ずタクシー代はお返しするので・・・
俺、すぐ駆けつけられる距離にいないもんで。
あの・・・住所、言いますので。』
すると、電話向こうから安堵の息が漏れ伝わった。
低い声がやわらかく耳触りいい口調で続ける。
『ぁ、良かった・・・
送って行こうにも住所が分からなかったので・・・
ちゃんと送り届けますので、安心して下さい。』
ハルキはこの電話の相手が誠実な人間で、心から安心していた。
何度も何度もお礼を言う。
ベッドで正座のハルキは、相手に見えはしないのに何度も何度も
頭を下げていた。
すると、最後に小さくその声の相手は呟いた。
『あの・・・ミナモトの”指輪 ”の人ですよね?』
思わず、小さくハルキが笑った。
『ぁ、申し遅れました。
俺、ソフトボール同好会の部長してます、ヨシナガと言います。』
『・・・・・・・・・・・・ぇ。』