運転士の現実
「ひゃっほーっ! 快速かいそくーう!」
「ちょっと、運転してるんだから静かにしてよ」
研修センターに移動した私たち新入社員は、さっそく運転シミュレータで体験学習をしている。シミュレータは実際に使用していた車両の運転台を切り取って、実際の列車の運転台に設置したカメラの映像を見ながら運転するので、リアリティーが高い。いまは都が快速電車の設定で海浜公園駅からうろな駅を目指し、時速110キロメートルで東うろな駅を通過したところ。
「ああそこ制限90!」
「あっ! 減速信号だよ! ブレーキかけて!」
「外野うるさいよ黙ってろ!」
私のほかに、大勢の男子がシミュレータに興奮して異様に上擦った口調で野次を飛ばし、都が前を向いたまま怒鳴った。
都のブレーキ操作により、信号の手前ギリギリで制限速度まで落とし、ATS、自動列車停止装置の作動による停止は免れた。
都はそのままの速度でうろな駅に進入し、所定の停止位置を3メートルオーバーして停止したので、バックして定位置に戻した。ここで灯里にバトンタッチ。停止位置調整の影響で1分遅れてうろな駅を発車した。
ブレーキ試験をして、閉扉を知らせるパイロットランプが点灯したところで、5段階ある左手のレバー、『マスコンハンドル』を中間の3、次にフルノッチ、自動車でいうアクセル全開の順で手前に倒し、徐々に加速してゆく。ここであ一気にフルノッチにすると過電流となり、車両が故障しやすくなる。って、汐入さんが言ってた。
灯里は標識や信号を一つひとつ声を出して指差し確認、『指差確認喚呼』しながら、運転しているタイプの車両の最高運転速度、時速110キロメートルまで加速して、マスコンハンドルを『切』の位置に戻し、惰性走行を始めた。自転車でペダルを漕がずに走行しているのと同じく、余力で電車を走らせている。
「遅れてるのにノッチ切っていいの?」
「うん。遅れてなければ100キロで運転してちょうどいいダイヤ設定だから、停まるときにブレーキ操作を上手くやれば大丈夫だよ。それとね、電力消費をなるべく抑えて地球環境に配慮した運転をするのが基本なんだよ」
ほへ~と感心している間に、停車する新うろな駅が近付いてきた。灯里は右手のブレーキレバーを動かしやすいように手をひっくり返して下から握り、非常ブレーキを含め9段階あるそれを反時計回りに捻って6に合わせた。非常ブレーキは8と9の2段階なので、常用ブレーキでは2番目に強力だ。
ホームの中間辺りでブレーキを4に弱め、停止位置直前で止まりかけたときに2まで緩め、停車するときの衝撃を殆ど感じさせない理想的な操作で停止位置にピタリと停車。私をはじめ、周囲からは「おーお」などと歓声が上がった。素人で実際の列車と同じくブレーキを3回に分けて停車させられる人は少ないらしい。
「さーあ次はお待ちかね! わたくし久里浜美守がうろな高原駅までお連れしまーす!」
「脱線しそう」
「うん、そうかも……」
「こらこら二人ともテンション上げてこう? えーと、左右前方ヨシ! 上下ヨシ! パイロットランプ点灯! 出発進行!」
新うろな駅を定刻通り発車した私の運転する電車。だけどいまいち加速が良くない。
「ねぇ灯里ぃ、これ、なかなか速度上がらないんだけど、もしかしてどっかイカれちゃった?」
「ううん。この辺りは上り勾配だからあまり加速できないの」
「そっか! 高原だもんね! おっ、うろな裾野定通!」
うろな裾野を定刻通り通過して、勾配に苦戦しながらも列車は順調に走行している。景色はいつの間にか市街地から山の深緑へ移ろう。標高が上がって高架の線路が地面に突き当たり、踏切を一つ通過した。うろな町内では事故防止のため将来的には踏切を全て廃止にして、線路を更に高い位置へ移動させる予定がある。
そして、二つ目の踏切が見えた、その時だった。
「きゃあああっ!!」
ヤバイ非常ブレーキ!!
焦って非常ブレーキをかけたけど、電車はガッコン! と衝撃音を発してふわっと跳ね上がり、数十秒後に強いガタン! 衝撃を伴って停止した。
「ねぇ、こんなのって、ホントにあるのかな」
「うん。残念だけど、たまにあるよ」
踏切が見えたとき、同時に見えたのは、線路上にしゃがみ込む小さな女の子。そこに同い年くらいの男の子が飛び出し、女の子を線路から引き摺り出そうとした。その子たちはCGアニメーションだったけど、実際の事故を想定してこそのシミュレータ。灯里の言う通り、こんな悲しい出来事が実際に起こり得るのだろう。
「久里浜さん、大丈夫ですか?」
別のシミュレータに付き添っていた汐入さんが事故に気付き、私のもとへ駆け寄って来てくれた。
「はい。防護無線発報して、他の電車は来ないようにしました」
でも正直放心状態で、車両の屋根上で回る緊急事態を知らせる赤いランプをボーッと見上げるだけだった。実際の運転では防護無線を発報して指令室に事故発生の旨を連絡した後、指令員たちが落胆する声をBGMに外へ出て現場の状況と事故発生位置を確認し、再び指令室に連絡しなければならない。
汐入さんは黙って緊張した私の右肩に左手を添え、ポンポンと軽く叩いた。
「あの、すみません、時間があるとき、二人で話せませんか?」
運転士を目指す私に突き付けられた現実。実際の乗務が怖くなって血の気が引いてしまった。汐入さんは無表情でコクリと頷き、応じてくれた。
お読みいただき誠にありがとうございます!
本日は書く時間があったため、時系列回復を視野に入れ、三度目の更新となりました。
次回、二人きりのトークです。